部分的延命/Birthday Kid

1.

 二〇四〇年のある日、マンションの八階から計五体の赤子が転落死した。それらの持ち主は全て同一人物で、事故ではなく故意によるものだと証言した。

 多数の批判と裁判の末、彼は無罪を勝ち取った。そしてその赤子を殺すことはほぼ合法に当たるという共通認識が広まったのだった。

 一体なぜ?


 その事件から二年後、僕は真夜中の研究所で実験室を睨んでいた。ガラスの向こうは防音壁と真っ白な床があり、無数のカメラとセンサー類が埋め込まれている。

 僕はパイプ椅子の上で足を組んだまま、ガラスに向かって喋った。


「もう一度」


「実行します。スリー、トゥー、ワン、マーク」


 ひゅっ、という風切り音と共に、天井から物体が落下する。頭から床に激突したそれは方々に破片を撒き散らし、ごしゃっという生なましい音と共に鉄屑に成り果てた。

 撮影されていたスーパースローを見返し、ぐしゃぐしゃになったそれをあらゆる角度から確認してため息をついた。


「駄目だ、人間的じゃない」


 美を語る芸術家のように独りごちる。しかしここには僕以外誰もいない。投下指示に従ったのはあくまで自動運転オートメーションで、僕は機械的なアナウンスに話しかけている事になる。アシスタントAIに人生相談をするような馬鹿馬鹿しさだが、延々と落下し続ける「赤子」を見ているのだから誰かと会話の一つもしたくなる。

 眉をしかめ、亀裂の入った表皮を指先でなぞる。質感も重量も限りなくリアルに近づけられたというのに、最大の障壁となっているのは知能ではなく強度だった。


 僕の退屈を誰かが汲み取ってくれたかのように、背後の扉が開いた。


「よう南波ナナミ、うまく行きそうか」


 同期の北灯ホクトだ。僕は物理検証室、彼は人工知能課に所属しており、あと数年もすれば彼は出世するが、僕はいつまでも貧乏くじを引き続けているだろう。


「やっぱり外損が一番難しい。途端に人形臭くなるんだ」


「実験する前から悩んでたもんな、絶対難航するって。案の定か」


「設計を考えれば明らかだよ。まあそれをどうにかするのが僕の仕事だから」


 がらがらと音を立て、排気口へと押し出されていく残骸を見送りながら、彼は苦笑した。


「お前ってある意味、人形裁判の一番の被害者だよな」


 全くだ、と僕も笑った。

 二〇四〇年、マンションの八階から赤子型アンドロイド――通称プロト・チャイルズを投げ捨てた男は酷く泥酔していた。

 妻とは離婚しており一人暮らし、しかし国民固有記録に裁判履歴を全面開示される条件と引き換えに、彼は慰謝料を免除された。

 国民一人ひとりの重要な情報に関してはデータベースに全て記録されており、結婚時には決まってその閲覧申請が為されるほどに価値が高い。そこへ彼は「家庭内暴力」の文字を刻まれた。妻としては、次の被害者を生み出さないことの方が大切だと考えたのだろう、英断だった。

 彼は浮いたお金でチャイルズを買い漁っていたのだが、実はそれらに溜まった怒りをぶつけていたのだ。


 チャイルズは簡易的な振る舞いを実行するだけのアンドロイドに過ぎない。本来は子供を授かれなかった夫婦や老後に癒やしを求める熟年夫婦などに需要のある、立派な「医療器具」だ。

 それを家庭内暴力の身代わりとし、あげく窓から投げ捨てるという行為はセンセーショナルに報じられた。


 だがここで一つの疑問が生じる。果たしてチャイルズを破壊する事は殺人罪に問えるのかと。

 これがもっと精巧で、人間のように多様な振る舞いを行える高度なAIを積んだモデルなら話は別だった。実際海外では、高機能アンドロイドの意図的な破壊を殺人罪と認める事例があった。

 だがチャイルズはより安価で、言うなれば自発的に動くバービー人形のような扱いだった。

 それでも赤子の形をしている以上、批判もやむなしだった。だが彼は裁判においてこのように発言した。


「あれは人形だ。殴ったところでリアリティが無い」


 彼の主張はこの言葉に集約されていると言っていい。人間に暴力を奮ってはいけないという理屈は分かる。だから代わりにチャイルズで発散していた。

 空振りしたバッターがヘルメットを叩きつけるように、モノに対して一時的な怒りを発散したに過ぎない。

 苛立って壁を殴り凹ませても罪にはならない。チャイルズはモノだ。ヘルメットや内壁なんかと変わりないだろう。


 この主張は認められた。というより、妥協したと言ったほうが正しいかもしれない。男は本来なら人間に振るうはずの暴力をチャイルズで代用していたからだ。

 つまり、世にある家庭内暴力や傷害事件の何割かは、チャイルズによって緩和出来るのではないかという風潮が強まったからだ。苛ついてゴミ箱を蹴ってしまう行為とイコールで結ばれる。

 健やかな暴力か、パッチワークで出来た延命策か。どちらを選ぶかは明白だった。


 こうして、チャイルズにはスケープゴートとしての役割も持たせられるという事例が残ってしまった。

 割を食うのは開発者たちだ。リアリティなどという余計な言葉に対して「チャイルズの破損検証」という仕事が付け加えられ、僕は実験室で毎日赤子を壊している。ありとあらゆる殺害方法に則って。

 あるいはせめてもの抗議なのかもしれない。人間としか思えないほど生々しい人形が完成したら、世論もまた揺らぐかもしれない。悲鳴を上げる壁を殴れるだろうか。

 どちらにせよ、求められているのは適切な強度。より硬く、ではない。より脆く、とも違う。程よい壊れやすさが人間たる証拠だ。

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