2.

 今から二年前、二〇三九年にエヴァーラスター計画という一大事業が先進国を中心に動き出した。目的は人類の「健やかなる未来」、「緩やかな延命」、そして「絶命の私物化」だった。

 かつて未来学者レイ・カーツワイルは「二〇二九年に人工知能はチューリングテストを通過する」と予想した。

 だが実際にはボードゲームで人類を超える知能を獲得するなどといった、一点特化型のモデルしか完成しなかった。人間のようなあらゆる事象に対し思考できるような汎用型の知能は見つからなかった。


 だが、模倣という点に置いては限りなくそれに近いものが三十年代に入って確立していった。

 元々人間の脳がどうやって思考しているのかはとうに分かっていた。突き詰めていけば人間だってスイッチのオンオフ、ゼロとイチの集積で出来ているコンピュータとそう変わらない。ただし余りにも複雑に干渉し合い、再現が不可能な程に多層化した並列処理を行っている。プロセスのスケールは人間を超えられても、その密度までは真似できなかった。

 だから代わりに、よりシンプルで記号的な感情プリセットを用意し、その時々に合わせてその感情をレシピにした。


 美味しいパンケーキを食べたらこのくらい喜びを感じ、道端で可愛い猫を撫でた時くらいの幸福感を得る。いくつかの感情を同時に発現させ、無数の組み合わせをレシピとして記憶させる。

 その数が増えれば増えるほど、つまり現実に多くの出来事を体験していく程にその思考ルーティーンは増え続け、数えきれないレシピは一見すると非常に複雑な思考を実現しているように感じてしまう。

 そんな一時しのぎのテクノロジーが世界を沸かせた。そしてその技術は延命治療の領域に手を伸ばした。


 人間一人の為に新たな人工知能を生み出す、言わば「人工知能化」。それがエヴァーラスター計画の目的だったのだ。

 しかし人間の様々な感情を記録しようにも、日常生活を普通に送っていただけでは網羅できない。いい事ばかりの時もあればその逆もまた然りだ。

 プラスもマイナスも、ポジティブもネガティブも、あらゆる感情を満遍なく体験出来てかつ効率よく回収出来れば、この「一人間特化型」の人工知能は迅速に完成させられるだろう。


 そうして天国は作られた。

 そこに住む人は、そこにある建物は、そこで見る景色は、全て計画的に配置された舞台装置だ。

 いつもカップに可愛い絵を描いてくれるスターバックスの店員も、インスタントカレーにお箸を付けようとするドジな新人スタッフも、家の向かいで日向ぼっこをする野良猫たちも、全ては彼女の感情を採取する為に採用された演者たちだ。


 今日は彼女を喜ばせなければ。

 今日は彼女に意地悪をしなければ。

 それらは全て天国の管理者、あるいは神様、あるいは悪のマッドサイエンティストによって指示され振る舞っているだけの事だ。つまりここに住む人々はみんなミッキーマウスと同じなのだ。与えられた仕事を忠実にこなし、死にゆくまでに夢を見させるキャストなのだ。


 感情採取と人工知能へのラーニングには一年が想定されている。はじめの半年は外部との接触を禁じたのは、恐らく徹底して檻の中の雛を育てる為だ。残りの半年は友人らとも面会を許可し、ある程度のランダムな感情、あるいは個々人にしか見せない顔も採取する……というシナリオなのだろう。

 しかし招かれた客人は演者たちによって常に監視される。難病患者の隣で歩き煙草などご法度だ。流石に私が悪いけれど、怖くもある。

 彼女だってそうだ。こうして二人でプライベートな時間を過ごしていても、常に脳波は記録されるし、何なら盗聴も監視もされているだろう。


「リン……あんた今、幸せ?」


 だからつい、尋ねてしまった。

 今の今まで明るい笑顔を絶やさなかった彼女は、ふっとその色を失った。


「何それ、どういう意味」


「あ、いや、ごめん。何でもないんだ。凄く楽しそうなんだなと思っただけだよ」


「やっぱり、まだ納得出来てないの」


「何の話」


「去年の……冬だっけ。私が天国に行くって話したとき、貴方だけ猛反対した」


 日本人初の、人工知能化。本当は親族にも反対派はいただろう。しかし彼女は三年以内に死ぬのだ。そしてそれまでに完治に至るような治療法が見つかる可能性はゼロに近かった。

 しかし人工知能化なら、肉体を機械にするわけでも意識をダビングするわけでもない、ただそっくりそのまま彼女の模倣をする機械が現れるだけだ。仮に知能に欠陥があったとしても、彼女は決して苦しまない。

 何故なら人工知能の完成を見届けてから、彼女は安楽死するのだから。これが天国と呼ばれる所以だ。


 余命幾ばくもない患者は一年で特注の人工知能を作り上げ、そいつに看取られながら静かに息絶える。後は任せて、と囁かれながら。

 その後「人工知能くん」と揉めようが離反しようが、それは遺された生者たちの物語だ。死者たるリンには関係のないもので、その頃彼女は本物の天国に行っているだろう。


「感情を精巧に模倣したところで、それはリンじゃないんだよ」


 私はを望んでいるのだ。たとえそれがあと数年しか続かなかったとしても、違う何かによりは余程マシだ。友人に似た別人と明日から友達になれ、と言われてもみんな無理だと言うだろう。 


「確かに、模倣に過ぎないのは事実だよ。でも貴方だってきっと、目を瞑って話しかければ見分けがつかなくなるほどに忠実なんだよ。それはもう本物と言っていいと思う」


「本気で言っている?」


「私は本気だよ。まだ死にたくないから」


「じゃあ何で私を呼んだの」


 唯一、この延命治療に反対した私を家族よりも先に天国へ招待する意図が分からなかった。こうしてお互いの意見が衝突してしまうのは十分予想できただろうに。


「マイだけなんだよ」


「なっ、何が」


 私だけ。同性とはいえ、思わずドキリとしてしまう。彼女は艷やかな笑みを称えて私の手を取った。


「貴方だけが私を私として見てくれるの。死にかけの病人じゃなく、ただの友達としてね」


「気遣いが出来ないだけだよ」


「それで良いんだよ。優しさも気遣いもオーバードーズになりそうだから」


 なら、私は私の思いをそのまま伝えていいのか。

 この半年間、ずっと伝えたかった事を言ってしまっていいのか。それであんたが苦しんでも、悔いなく死んで生まれ変われるのか。

 考えても答えは見つからなかった。だからもう、口を開いて喋ってしまえと思った。この先のことを考える必要を意図的に無くした。


「じゃあ本音を言うよ。私にはあんたを止める権利なんて無い。けど、機械は絶対に本物にはなれないって証明をさせて」

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