第5話 教室 2020/12/10

 教室の中、窓から緩やかに風が吹き込んで、カーテンが静かに揺れた。外から真っ直ぐ差し込む夏の光が、教室の床のタイルを焼いてた。窓の近くの樹にとまった蝉が、うるさいくらいに鳴いている。


 机と椅子は、掃除のために、教室の前の方に寄せられて、教室の後ろは広く空いていた。そこには、僕と、僕の隣に副委員長が居た。僕らの少し後ろには、男女4人の同級生が居て、少し怯えた顔をしてた。


 僕の目の前には、僕より20cmくらい背が大きい男子生徒がいる。名前は、大塚 優。面白そうにニヤニヤ笑いながら僕を見下ろす。その後ろに取り巻きの男子2人。


 僕は、彼らに文句を言わなければいけない。委員長だから。

 心臓がバクバクする。口の中がカラカラに乾く。身体が強ばって固っていくのが判る、身体が銅像になったみたいに動かない。気がついたら、足が細かく震えていた。


「委員長様が、俺らに何の用だよ」


 僕を見下ろす男子生徒が言った。

 後ろで取り巻きが、ヒヒって、笑った。


 僕の心は怒っているのに、僕の身体は怯えて、ここから逃げ出したくて仕方がない。


 僕は、怒りと怯えが口から漏れないように、自分を抑えながら喋る。


「自分の掃除の担当場所に行きなよ。他の人の邪魔しちゃ駄目だよ」


 あぁ、声が上ずって裏声になっちゃった。


「何だよ、委員長。委員長のクセに生意気じゃん。風邪で休んでたら、委員長にされてただけなのに」


 また取り巻き達が、ヒヒって、笑う。

 もう何なの、おまえ達。電源スイッチ入れると「ヒヒっ」て笑う生き物なの?

 

「そんなこと今は関係ない。真面目に掃除している人の邪魔…」


 僕は、胸を強く突かれて大きく後ろへふっとンんだ。

 背中を床で打って、ヒュッと胸の中の空気が全部出た。遅れて、ゴンと、僕の頭が床にぶつかる音が教室に響いた。

 同級生の女子が、ちいさく悲鳴をあげて後ずさりした。


「えっ? 聞こえなかった。何だって?」


 僕の視界が、涙でじわりと歪む。

 あぁ、いつものパターンだ。と思った。


 僕は、曲がったことが嫌いで、怒りっぽい。けど、泣き虫で、喧嘩に弱い。

 僕は、最悪だ。


 この後、僕は泣きながら無茶苦茶に手足を振るって喧嘩して、僕のパンチやキックは全然相手に効かなくて、ボコボコに殴られて終わるんだ。


 誰も助けてくれず泣きながら帰って、心配する母さんに大丈夫だよって強がり言って、無理やり笑って、そして夜、布団の中で泣くんだ。


 正しいことが勝つなんて、嘘っぱちだ。

 だから僕は1人が…。


「委員長に何するのよ。掃除しないアンタ達が悪いんじゃない!」


 倒れた状態から頭を起こして前を見ると、副委員長が大声で怒鳴っていた。

 副委員長の背中が怒りに震えていて、僕は不思議なものを見るように、副委員長の背中を眺めていた。


 僕のために、怒ってくれる人が居た。


「うるせえ、ブス副委員長。委員長のこと好きなのかよ」

「話をそらさないで、アンタ達が悪いって言ってるの」


「ははっ」

 僕は嬉しくて、変な笑い声が口から出た。

 副委員長の背中に、天使の羽が生えているのが見えた。


 僕の頭の中に、菊っちゃんの声が響く。

「男を見せろ、イチ。

 呪文を唱えろ、イチ。

 喧嘩の仕方を教えてやる」


「呪文って、あれかぁ」

 僕は天井を見上げる。

 あの微妙なのをやるのかぁ。


 けど、副委員長は、怒ってくれた。

 僕だって。

 僕は、ゆっくり立ち上がる。

 まだ、やれる。


 手を広げて手のひらに大きく「人」と書いて、その手の平を口に持っていき、空気と一緒に飲み込む。

 2回目、手を広げて手のひらに大きく「人」と書いて、その手の平を口に持っていき、空気と一緒に飲み込む。

 最後にもう1回、手を広げて手のひらに大きく「人」と書いて、その手の平を口に持っていき、空気と一緒に飲み込む。自分に言い聞かせるように言う。


「絶対に…負けない」

                     

 そして、両手を握り「ヨシッ」と声を出しながら、両手を振り下ろす。


 呪文って言っても「ヨシッ」だけだし。動作も微妙だし。ぶっちゃけ恥ずかしい。

 けど、不思議と強ばっていた身体の力が抜けて、心が落ち着いた。


 あれ、僕の身体が勝手に動く。

 あれ、僕の口が勝手に喋る。


「おいクソガキ。みっともねぇなぁ、お前」


 副委員長が、びっくりした顔で振り向く。

 振り向いた表情は、ちょっと涙目で、可愛いと思った。

 それにビックリしているのは、僕の方だから。


 安心させるように、僕の首が副委員長に頷きかけて、僕の顔が微笑みかけた。

 いや、僕の意思じゃないから、これ。


「折角、親から立派な身体貰っているのに、出来る事がこれかよ。自分より身体の小さなヤツを痛ぶって悦に入ることが、強い男か」

 僕の口が、勝手に喋る。

 僕の身体が、勝手に前に歩き出す。


「楽しいのか、それ。

 みっともなくねえか、お前」


 いや、なんか、ラップっぽい韻を踏んでる。ちょっと微妙。

 僕の右手が、副委員長をそっと押しのけて安全な方へ押しやる。


 僕は、クソガキと呼び捨てた少年の前に胸を張って立ち、20cm上にある顔を睨みつけた。


「おいクソガキ。男だったらな、手前よりデカい相手と勝負しやがれ」


 いや、僕の言葉じゃないから、これ。


修正 2021/02/17




 


















 


 

 

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