第7話 安楽死号と前任教師 2021/08/15
ピーターとサンディは、エアロック(気密室)に停めた<安楽死号>に備品類を積み終えると、その荷台に腰掛けて2人仲良く足をぶらぶらさせていた。
サンディが<魔術師の巣>へ乗りつけてきた<安楽死号>は、スクラップ一歩手前のポンコツローバー(探索車)だった。6輪式の旧式車台のうえに、まるで泡のように透明なキャビンが乗っかっている。キャビンには、さりげなくクラック(ひび)が入っていた。その後ろには、経年劣化で焼けて変色した太陽光パネルと、剥き出しの古いバッテリーとモーターが積んでいて、車体全体がブルブルと振動していた。
このローバー(探索車)は、サンディの前任の歴史教師が所有していたものだった。サンディの着任と同時に、火星の高校へ転勤することになった教師だった。サンディは、足をぶらぶらさせながら、前任の歴史教師へ着任の挨拶をしたときのことを思い出した。
サンディが、後に自分の巣となる歴史学準備室へ初めて訪れたとき、そのドアは開かなかった。サンディがドアの前で9度大きな声で叫んで、もう1度叫んで今日は帰ろうと思ったそのとき、やっと前任の歴史教師がドアを10センチほど開けた。
サンディは、まず大声で挨拶をしながら、スニーカーのつま先をドアの隙間に突っ込んで、自身が後任の歴史教師であることを伝えた。
前任教師は、サンディの挨拶が耳に入らなかったようで、その表情は、諦めたような、疲れ切った表情をしていた。
「冬眠から覚めた熊みたいなんですよ」と前任の歴史教師はポツリと言った。
「すごく控えめに言ってですよ。元気が良すぎるって言ったって、限度ってもんがあると思うんです」
生徒達への対応に疲れ切った前任教師は、ようやくサンディを認識した。そして、サンディが、ドアの隙間につま先を突っ込んだ状態で、自分が交代要員として挨拶に来たことを大声で伝えると、その瞳に少し光が戻ってきた。
「ご冗談でしょう?」 前任教師は囁くような声で言った。
前任教師は、刑務所の独房に下ろされた1本の脱出ロープを見るような目で、サンディを見つめた。
「大丈夫です。僕は、自分で希望して、ここに歴史教師として着任しました」
サンディは、自分が何がしでかしたこと、そしてそこから引き返せないことに気づいて、引きつった笑顔を浮かべて事実を述べた。
前任教師はなにか大事なことに気が付いたように大きく頷き、堰を切ったような口調で喋りだした。まず、サンディが<ムサシ公立第一高校>の歴史教師となる決断をしたことを褒め称えた。そして、サンディの服装~ほぼ3年間毎日着続けている一張羅~のセンスを褒めたたえた。そしてその場で引き継ぎを開始して、約1時間で終了した。そのほとんどは愚痴だった。
「大丈夫です。人間生きて入れさえすれば、何かしら良いことがあります」
前任教師は、1時間のうちに5回その言葉を繰り返した。
今日がまさに「良いことがあった日」だと判る微笑みで。
そして、前任教師は、火星行きの定期便の予約を取り、3時間後に出発すると判ったとき、まるで太陽のような明るい笑顔を浮かべた。
「あぁ、あと私も前任者から受け継いだものですが、命知らずの貴方なら使いこなせるかも知れない。これをどうぞ」と言うと、<安楽死号>のキーをサンディに押し付けた。
「それでは、私はこれで。貴方にも良い日が来ることを祈ってます」
そして、前任歴史教師が足早に立ち去った後、サンディは茫然としていて、埃が舞う歴史準備室と、壊れかけの<安楽死号>が残ったという訳だった。
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