こちら日本妖怪連盟『都市伝説課』でございます!
いちまる
第1話
少年は、目を覚ました。
最初に入ってきたのは、世界の色だった。
陽は少しだけ傾き、もうじき夕方になると彼に告げていた。
ぼんやりとした意識だが、周囲の景色は網膜を通して彼の思考に入ってくる。体に感じる感触は土のもので、コンクリートブロックの塀や無造作に生えた雑草や、何の種類かも分からない木が乱雑に生えている。
ここは恐らく、学校の裏庭だ。何度も来たところではないが、少年はそう直感した。
そしてその直感が正しければ、ここは自分の地元だ。少なくとも、いつも通っている学校や実家から何百キロメートルも離れた、辺鄙な場所ではない。そう思うと少しだけ安心したのか、体を少しだけ起き上がらせるだけの体力は湧き上がってきた。
僅かな呻き声を漏らし、倒れていた体をどうにか起こす。それくらいの体力はあるようだが、まるで何キロもマラソンした後のように、体も、心も疲弊している。
それ以上に、頭の中はミキサーでかき混ぜられたかのように、様々な情報が混濁していた。脳に黒い靄がかかってしまったかのように、脳内回路がぐちゃぐちゃになってしまっているのだ。まるで、常識では理解出来ない物事に、たった十分間の間でいくつも遭遇してしまったかのように。
何が起きたというのか、思い出したい。いや、思い出さねば。
かけている黒縁の眼鏡がずれているのも構わず、少年は少しずつ、今の自分に出来る範囲で、いったい自分に何が起きているのかを思い出すよう、努める。
朝、昼、夕方。何事もない、いつも通りの授業を受けていた。
そして授業が終わって、家に帰る途中だった。
いや、違う。
何かをずっと考えていた。その日の昼から抱えていた、鬱屈した感情について。
その途中で、恐ろしい目に遭った。だが、クラスメートが助けてくれて、事なきを得た。
だとすれば、その感情とは、クラスメートとは。
少年の頭にかかった靄が少しばかり晴れそうになった時、どこからか声をかけられた。
「お、目が覚めた?」
快活な声だ。それでいて、どこかで聞いた声だ。
声のした方を見ると、そこには自分と同じか、それよりもう少し高い背の少年が立っていた。どんな顔をしているのかを見たかったが、逆光のせいで顔が見えない。目を細めてみても、眼鏡をかけ直してみても、やはりしっかりとは見えない。
それでもどうにかして情報を取り込みたい少年は、か細い声で聞いた。
「こ、ここは?」
「気分はどう? オレに担がれた奴ってだいたいグロッキーになるんだけどさ、まさか気絶するなんて思ってなくて! ごめんな、次からはちょっとだけゆっくり走るよ! でもオレが速かったおかげで逃げ切れたんだから、そこは感謝してほしいんだけどね!」
一瞬、少年はバイクか何かが通り過ぎたのかと思った。それくらい彼は早口で、もう少し少年の意識がしっかりしていなければ、その半分も聞き取れなかっただろう。今だって、しっかり聞き取れたのか、定かではない。
「いやあ、やっぱりオレって速いなあ! ターボジジイなんて呼ばれたのはずっと昔だし、公認都市伝説にもなっちゃったけど、この足だけは裏切らない! いいかい少年、筋肉は裏切らない、健脚は裏切らない、覚えておいて損はないぜ!」
しかも、彼の発言は、少年の聞きたい内容とはまるでかけ離れている。言いたいことを言いたいだけ話して満足げな相手に、少年はもう一度、問いかけようとする。
「え、えっと、何が……」
「ああ、自己紹介がまだだったな、オレはターボ。二十年くらい前なら『ターボジジイ』なんて呼ばれてたけど、見た目的にジジイ、って感じしないだろ? それにオレ、割とハンサムだって自負もあるし、ターボって名前ならハリウッドスターみたいで――」
質問とは何の関係もない名前とその由来について、あと一時間は無関係な話をしそうな雰囲気を察したのか、これまた別の声が、彼を制した。
「はいはい、やかましいから黙るか死ぬかどっちかにして」
女の子の声だ。車輪の音と一緒に聞こえる声の主は、どこかきつめの口調だ。
「自己紹介なんて人間にしたくないけど、あたしは
車輪の音の原因と思しき、車椅子に乗った少女が、これまた逆光で視界に入ってくる。その後ろから更に、てけと名乗る少女に紹介された人物が、少年の目に映る。誰も彼も、顔が暗くて、しっかりと見えない。
三人目は、見る限り女の子。制服も、長い髪も、女の子のそれだ。
「あ、えっと、その、ええと」
だが、唯一、彼女だけは自己紹介がうまく出来ないようだ。
人と話すのが苦手なのか、両指をもじもじと動かし、言葉を必死に探している。ただ、この様子だと何時間経っても自己紹介すら終わらなさそうなので、てけが代わりに、彼女について話すことにした。
「……
「そう! 二人を含めたオレ達は『日本妖怪連盟』所属、『都市伝説課』の派遣チームだ」
日本妖怪連盟。都市伝説課。派遣チーム。
聞いたことのない言葉の羅列に、少年はもう一度混乱する。
「日本妖怪連盟、都市……なんだって?」
少年が聞き返すと、男子生徒がずい、と顔を寄せて、言った。
「『都市伝説課』の派遣チームさ。まどろっこしいことは抜きで、単刀直入に言うぜ。君に、オレ達の調査の補助をしてほしいんだ。伊佐貫市の現地調査員としてね」
「ちょ、調査? 何の?」
「おいおい、知らないはずはないだろ? これだけ有名になってる事件だし、何よりさっきまで君を狙ってたヤツのことさ。オレが助けなきゃあ、君はあの鋏の餌食だったんだぜ?」
鋏の餌食。
彼を狙っていたもの。
ターボと名乗る彼の言葉を聞いて、少年の頭の靄が、ほぼ完全に晴れた。
思い出した。自分は、恐ろしい事件に巻き込まれたのだと。起きた事件も、助けてくれたクラスメートも、まるで現実に起き得る事柄ではないと。だとしても、その事件の原因について最も詳しいのは、自分だとも。
彼らのことは知らない。相手のことも知らない。しかし、全て知っている。
情報として、噂としてなら、他の誰よりも知っている自負がある。
「――まさか」
「そう、そのまさか。オレ達と一緒に、『口裂け女』の調査をしてほしいんだ。いいだろ、都市伝説オタククン? いや」
顔を離したターボは、てけ、リカと並んで、言った。
「クラスでただ一人――オレ達の存在に気づいていた、
そうして、逆光で黒く染まった顔の、白く並んだ歯を見せて、笑った。
少年の名前は、語部百。
幸運にも、或いは不幸にも、最も愛した空想に巻き込まれた少年。
彼について、いや、彼と都市伝説課についての事件の発端は、半日ほど遡る。
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