その二――What's worth
屋根付き荷車を引いて、ダームスは歩いていた。空は雲ひとつ無く晴れて、空気もからりと乾いている。仕事柄大量の荷物を運ぶダームスにとっては好ましい道行きだった。
歩き続けて暑くなったために長い袖をまくり、汚れ避けの外套の首元を緩める。そうして視線を上げて、誰にともなく呟いた。
「……お、あれか」
街道沿いに建物を見つけ、そちらへ進路を取る。目印として聞いていた大きな木に近寄ると、その根元に少女がひとり座っているのがダームスの目に映った。
短く切り揃えた栗色の髪にバンダナを被り、シンプルなシャツとズボンの上からエプロンを着けている。大きな板のようなものを抱えて空を見上げていた少女は、馬車の音が聞こえたのか不意にダームスの方を向いた。
「お客様、ですよね」
「キミがこの宿のひとならね」
形は違えどひとに接する仕事をするふたりは、それぞれに培ってきたひとあたりの良い笑顔で向かいあった。
宿の一階はカウンターと、奥に小さな食堂があった。客室はカウンター横の階段の上だろう、とダームスは推測した。鉢植えなどはない、基本的に必要と思われる家具しか見えない室内で、唯一飾られているのが額縁だった。商人の肥えた目から見れば素人の作であることは明らかだったが、いくつか飾られている風景画はどれも丁寧に描かれていた。カウンターの後ろに掛けられた小さな三つの額縁だけは人物画で、そのうちひとつと同じ顔をした年嵩の女性が笑顔で客を迎えた。
「おやいらっしゃい。お泊まりかい?」
「ああ、飯付きで一日、……いや二泊。いくらになるかな」
ダームスの注文に、女将は宿帳を出しながら答えた。
「今の時期なら二泊で銀貨七枚。その間の食事もろもろ含めて金貨一枚ってところかね」
やりとりを聞きながら、リンディは部屋の鍵を用意しシーツを取りに行く。
「聞いてたより安いね」
「そりゃあアンタ、桜の時期の話だろう。今とじゃ違って当然さ」
想定よりも安く済んだとありがたがる素振りを見せつつ、ダームスは財布から金貨を一枚カウンターに乗せる。
「歓迎するよ。リンディ!」
「はーい」
明るい声で呼んだ娘に客の案内を任せ、女将は早速もてなしの紅茶を淹れに食堂へ向かった。
他に客もいないからとのんびり夕飯を腹に収め、身を清めて眠りに就く。そして翌朝を迎えたダームスは、朝食の後で外へ出ていた。
運良く晴れ渡った晴天の下、道ばたの乾いた草地に露天用の絨毯を広げ、積み荷の虫干しと整理を行う。質の悪化は無いか、過不足が発生していないかを、表情を作らなければ人相が悪いと言われかねない目つきで帳面を繰ってつき合わせていた。
絨毯に座り込んで黙々と作業を続ける赤毛の商人の後ろで、草を踏む足音が鳴る。
「……すごいですね」
興味深げに寄ってきたのは、昨日と同じく大きな板を抱えた宿の娘だった。バンダナからこぼれようとする後ろ髪を片手で押さえ、絨毯の上に並ぶ商品を見る。
リンディが目にしたことのある「商品」と言えば家族が街で仕入れてくるものか、ごくたまに行商に来る古い付き合いの商人が扱う日持ちのする食品くらいのものだった。今ダームスが広げている品物は、それらとは随分違う印象を彼女に与えた。例えば草木染めの反物や、宿で使うものに比べて装飾の多い食器類。さらに小粒ながら宝石をあしらったアクセサリーなど。リンディにとっては物珍しい、見たことの無い物がほとんどだった。
「面白い?」
「はい!」
ダームスとしても、自分が選んだ品物が他人の目に留まるのは喜ばしい。焦げ茶色の瞳がうろうろと迷う様を楽しげに眺めていた。
「わたし、食べ物を売ってくれる商人さんしか見たことなくて」
「ああ、食いもんは地域を知らないと手を出しにくくてさ。オイラこの辺地元じゃないから」
そう言って、ふと思い立ったように背後に手を伸ばす。
「ところでリンディさん、だっけ」
「はい?」
首を傾げたリンディに、ダームスは大きな布きれを被ったカゴを引き寄せた。
「こういうのもどうかなって思って」
覆いを取って現れたのは、彩り豊かな布の山。色の洪水じみたそれに、リンディは目眩がする思いだった。
「それ、は……?」
「全部服。それぞれの文化ごとに生地や模様に工夫があって、面白いでしょ」
それらもひとつひとつ広げていく中で、一着をリンディの前に掲げてみせる。
そのワンピースは、深い赤に染め上げた肌触りのよい布で仕立てられていた。襟元や袖口には細かな刺繍が施され、裾にはそれに加えてウッドビーズも縫い付けられていた。
若い娘が喜びそうな仕立てであるにも関わらず、ただただリンディはぽかんとするばかり。期待した反応ではないことにダームスは首を傾げた。
「あんまり趣味じゃなかったかな」
「あ、いえ、その」
慌てたように片手を振って、リンディは恥ずかしそうに笑う。
「昔は着せてくれていたそうなんですけれど。働くようになってからは、綺麗な服なんてほとんど触ったこともなくて」
本当は勧められたこともあったが、自分にはもったいないからと断ってきた娘は、言葉通り触れがたそうに飾るための服を見つめた。
「……キミ、絵描くでしょ」
ダームスの深い赤色の目が、リンディが抱える画板に向く。肩にかけた小さな鞄には画材が入っているだろうと、彼は考えていた。
「綺麗なもの、好きかなって思ったんだ」
「え、っと」
言葉に迷っていたリンディは、不意に柔らかく微笑した。
「……好きです。でも、描くのはそれだけじゃなくて」
そうして振り仰いだ先には、色づきはじめた葉を抱えて巨木が佇む。
「この目で見られることが嬉しいんです。その気持ちを忘れたくないから」
咲いた横顔にダームスは目を惹かれた。知らず笑うと、勢いのまま提案する。
「どれか一枚、買わせてもらいたいな」
「え?」
きょとん、と振り返った丸い瞳へ真剣な顔を向けて、ダームスは画板を指した。
「キミの絵」
聞き間違いではないと気づいて、リンディはわたわたと首を振る。
「わたしのなんて、そんな」
「そんなに気負わなくていいんだよ。オイラが個人的に欲しいだけだから」
商品としての価値ではなく、直感的にこれを逃さない方がいいと思ったままに口にされた台詞だった。
「でも、とてもお金になるものじゃ」
「……それなら」
ダームスは、広げる途中で止まっていた服の山から覗いていたものを丁寧に引きずり出す。先程娘の目が止まった瞬間に気がついていた。
「これと交換。あんまり高いものじゃないけど」
迷って、迷って。そしてバンダナを巻いた頭を小さく縦に振ったリンディに、ダームスは顔つきを和らげた。
翌日。
「お待たせしました……!」
予定通りに発つ準備を整えたダームスを玄関の前で捕まえて、リンディは布包みを差し出した。その一部をめくって中身を確かめたダームスは、笑ってリンディを見返した。
「確かに。ありがとう」
思いを込めて描かれたのだろう、大きく葉を茂らせる大樹を色鉛筆で映した小さな絵。見た中で一番気に入ったと伝えたそれを、リンディは丁寧に額に収めて渡したのだった。
「いえ、こちらこそとても、……楽しかったです」
リンディはとびきりの笑顔を浮かべ、一足横に出て扉を押し開ける。
「どうか道中、神と聖霊様のご加護がありますように」
商人を見送る宿の娘は、桜色のエプロンを着けていた。
終
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