壊れた彼女と疲れた俺で、まるで地獄の様なラブコメを 〜歪な恋愛をキミと踊ろう〜

不確定ワオン

第1話 家に帰ったら彼女が裸ワイシャツで待っててくれたんだが、そもそも俺に彼女なんて居なかった。


「もー、けーくんったらぁ☆ お洗濯物は溜めずにちゃんと洗濯かごに入れてっていつも言ってるでしょ?」


 ぼっさぼさのヨレヨレの髪を遊ばせ放題にしながら、見知らぬ女性が独り寡で寂しく侘しく汚い俺の部屋で2週間モノの洗濯物を物色していた。


「──────え?」


 あんまりの衝撃に口を半開きにしたまま、俺は部屋のドアノブに手をかけて固まってしまった。


「お仕事ご苦労様ぁ☆ お風呂沸いてるから、先に入っちゃってぇ?」


「──────は?」


 な、なんだ?

 誰? この子誰?


「ん? え?」


 ゆっくりと扉を閉めて、急いで玄関まで戻り部屋を出る。


「お、俺の部屋──────だよな?」


 玄関の隣にかかっている引っ越してきた時に一回触ったっきりの表札を見る限りは、間違いなく俺が賃貸契約をしている安アパートの一室だった。


 外廊下から周囲を確認する。

 近所のコンビニの明かりが煌々と輝き目に優しく無い。

 錆びて赤黒く変色した手摺りに、管理人なんて滅多にこないせいで枯れ葉や砂に塗れてジャリジャリしている階段や廊下。


 ワンフロアに4部屋あるこのアパートの外廊下はとても雑多で、物やゴミに溢れていて不潔極まりない。


 角部屋である俺の部屋。そのお隣さんの洗濯機なんて動いてる所どころか作動音すら聞いたことがなくて、さらに一つ隣の住人はそもそも日本国籍ですら無い。


 すぐ下、つまり一階の住人は年季の入ったこのアパートが新築だった頃からここに住んでいる生き字引とも言えるほどの高齢で、しかも癇癪持ちで好色ジジイだ。

 夜中に嘘みたいな爆音でアダルトビデオを垂れ流すモンだから、過去に何回か文句を言いに行った事があるのだが、偏屈どころか頭がイカれているみたいで逆ギレされ激しく罵倒されてしまった。

 しかもそのあと数週間、郵便受けにネズミの死体が入ってたり、洗濯機に小便されたりと陰湿な嫌がらせを受け、俺の方が根負けする始末。


 つい半年前に入居した101のホスト風の若い兄ちゃんはどうやらヤバい組織の下っ端だったらしく、先週マトリのガサが入ってめでたくムショにブチこまれ、その際に激しく抵抗したせいで扉は完全に破壊されてブルーシートとガムテープで封鎖されている。


 そう、つまりここはこの日本における一般的な低層の更にありふれた釜の底。

 地獄を切り取って出入り自由にしたかの如く見苦しい一枚絵。


 普通に育ってきた良い大人が立ち寄っていい場所で絶対になく、しかも近隣に歓楽街があるせいで治安も半端なく悪い。


 なのに、俺の部屋に女がいる。


 しかもめちゃくちゃ若かった気がする。

 いや、驚きのあまり急いで部屋を出たからちゃんと確認したわけでは無いけれど、長い黒髪がぼっさぼさだった事が目立っていたが、彼女が身に付けていたのって……俺のワイシャツじゃなかった?


 いやいやいや、いやちょっと。

 ダメだって俺。

 いくらモテなさすぎて妄想逞しくなっちゃったからって、幻覚見るのはダメだって。


 しかもなんだアレ。

 見た目は確かにボロボロで汚いが、あんな美少女が俺の部屋で裸ワイシャツとかほんとちょっと、願望が悲しすぎない?

 

 おっかしいな。そんな溜まってたっけなぁ。

 ここは一回落ち着いて、さっき買ったエナドリとタバコをキメて落ち着くべきそうすべき。


 コンビニのビニールから最近ハマってるエナジードリンクを一本取り出して、赤錆だらけの廊下の手摺りに置いた。

 洗濯機の上にコンビニのビニールを置いて、その上に位置する風呂場の窓に置きっぱなしにしていた灰皿を取ってエナジードリンクの隣に設置する。


 使い古して裾がクッシャクシャになったスカジャンの右ポケットからタバコの包装を取り出し、軽く降って浮き上がらせた一本を口に咥えた。

 タバコをポケットに戻しつつライターに持ち替えて、咥えたタバコに火を着ける。


 浅く呼吸をすることでタバコの葉を燃やし、ライターをポケットにしまいながら大きく深呼吸をする。


「──────ふはぁ」


 俺は最初の一口は吹き出すのではなく吐き出す派だ。

 喉が弱いからあんまり勢いよく吹くとすぐにチリチリと痛んでしまう。


「──────うめぇ」


 学生時代に覚えてしまったタバコの味が、ニコチンとタールに隷属した脳髄を刺激する。


 あの頃に比べて今や喫煙者に厳しい時代になってしまったもんだから、いつかは禁煙しなければと思いつつも、ストレスフルな生活にコイツはわずかな安らぎを与えてくれる。

 そう簡単に手放せそうも無い。


「けーくん?」


「──────うぉえ!? ゲホっ、ガッハっ!」


 大きく吸い込んだ瞬間に突然後ろから話しかけられて、盛大にムセてしまった。


「もうっ☆ タバコ辞めてくれるんじゃなかったの? いつか生まれてくる私たちの赤ちゃんのためにも、男らしくすっぱり禁煙して欲しいなぁ」


「──────えっ、あっ、あの? は?」


 げ、幻覚じゃなかった!?

 部屋の扉からひょっこりと顔を出して、ボサボサ黒髪の女が俺をじっと見つめている。


「お部屋のお掃除、もう少しかかるから☆ タバコ吸い終わったら先にお風呂入っててね? あ、私も後で一緒に入っちゃおうかなぁ☆」


 焦点の合わない瞳を伏せて、女は嬉しそうに笑った。

 なんだ。本当に誰だこの女。

 

 男だけのむさ苦しい職場に出会いなんかあるはずもなく、金も無いから夜の遊びも全くしてない。

 どこかの飲み屋で会ったとかも記憶に無いし、そもそも俺の生活で女性と接点がありそうなのはコンビニの店員か電車の中だけ。


 ここ数年は女性とまともに会話すらしてない俺に、なぜこの女はこうも気安く話かけてくるのか──────違う! そもそも鍵をちゃんとかけていたはずの俺の部屋に、なんで知らない女が居るんだ!!


「あ、あの? すいません。お部屋間違えて無いですか?」


 そ、そうだ。

 もしかしたらこのフロアの他の部屋の奴の彼女とかかも知れない。

 いや、鍵をどうやって開けて入ったかって言う謎は一切解決しないんだが。


「んー☆ 何言っているの? ここはけーくんと私のお家でしょう?」


 けーくん。

 俺が敬太郎けいたろうだから、けーくん?


 いや何それ。そんな愛称で呼ばれた事なんざ一回も無いんだけど?

 学生時代にいい感じにまで仲良くなれた同学年の女子にすら、『はざまくん』呼び止まりだったんだけど?


「いや、あの。ここは俺の部屋で、君の部屋では無いんだけど」


「もう☆ 今日のけーくんはどうしちゃったの? ここはもう二年前の夏から私たちの愛の巣じゃない」


 い、いやぁ。

 二年前って言ったらここに引っ越して来た直後でしょう?

 しかも夏ってめちゃくちゃ忙しくて、滅多に帰って来れなかった時期──────ん?


 二年前?

 女の子? 黒髪?


「──────え、えっと。君は確か、向かいの家の娘さん……だよね?」


 そうだそうだ。どこかで見覚えのある顔立ちだなぁとは思ってたんだ。

 確かこの子は、このアパートの向かいにある豪華な一軒家に住む家族の長女さんだ。


 確か両親が共に会社役員かなんかで、ここら辺じゃ珍しく身なりの良い上流階級の一家だと記憶している。

 この廊下から見えるその家の駐車場に、黒塗りでピッカピカの外車が並んでいるのがその証拠で。


「確かに向かいは私の実家だけど☆ けーくんったら今更何を言ってるのよ。やだなー、私はもうけーくんのお嫁さんじゃない。あの家とはもう何も関係ないのよ?」


 ──────ひっ。

 ぐわっと迫って来たその女の瞳に俺は気圧されて思わず後ずさる。

 背後は赤錆だらけのボロボロの手すりで逃げ場は無いが、それでも俺の本能は彼女に対して激しく警戒し身体が目一杯仰け反った。


「私たちは親の反対を押し切ってここに二人で逃げ込んできたじゃない? そうよね? ねっ? 二年前のあの日、けーくんが私を助けてくれたあの日からずっと、私たちはこの部屋で毎日毎日愛し合って生きて来たの☆ そうでしょ? そうよね?」


「な、何を言ってるんだアンタ」


「今でも昨日の事かのように思い出せるの☆ 私が辛くて苦しくて死にそうだった時に、けーくんは優しく声をかけてくれたよね? かっこよかったなぁ。力強く私を抱きしめてくれて☆ 抱えて家まで運んでくれて介抱してくれて、そしてそっと口付けをしてくれたよね?」


「──────ち、ちがっ」


「違わないの!!!!!」


「ひっ」


 部屋の扉を強く叩いて、物凄い勢いで女は俺に迫って来た。

 鼻の頭同士がくっつくかくっつかないかぐらいの距離で、焦点の合っていない濁った瞳で真っ直ぐ俺を見つめ、鼻息を荒くしながら俺の上着を両手で握る。


「けーくん。けーくんなんで。けーくん違う。違わないでしょ? なんでそんな事言うの? 二人の大切な思い出になんで。違うでしょ? 私たちのことでしょ? けーくんどうして。どうしてけーくん? だって私のけーくんでしょ? 私のこと好きなけーくんでしょ?」


「──────落ちっ、落ち着いてくれっ! 待ってくれ一回離れてくれ!」


 怖い。もう怖いどころじゃ無い。

 身の危険すら感じる。


 おかしい。この女──────確かあの家の長女はまだ高校生だったはず──────彼女はどう考えても何かおかしい。


 妄想を現実と履き違えている。

 俺はあの日、二年前のあの夏の日にこの女を優しく介抱したりなんかしていない。


 アパートの前の道で蹲っていて、物凄い勢いで吐いていたのを見かねて救急車を呼び、その間水をあげたり抱えて近くの公園のベンチまで連れて行ったぐらいしかしてない。


「ゆ、柚明ゆあとけーくんは相思相愛なんだよ? あの日からずっと一緒に居たじゃない。なんでそんなひどい事言うの? 柚明、けーくんに何かした? どうして? ねぇ黙ってたらわかんないよ。柚明謝るから、ちゃんと謝るしちゃんと悪いところ直すから、お願いけーくん嫌いにならないで。けーくん。けーくん! けーくん!!  ねぇ聞いてるの!? けーくん!!!!! なんでお返事してくれないの!? けーくん!!!」


「こ、声! 声大きいから! 頼む落ち着いてくれ!」


 ど、どうしたら良いんだこれ!

 け、警察!? それとも病院!? 救急車か!?

 いや、この娘の家がすぐ近くなんだから、まずはこの娘の親御さんに──────。


「お姉ちゃん!」


 アパートの階段下から、突然大きな声が響いて来た。


「お姉ちゃん! ようやく見つけた!」


 階段を強く踏みつけながら、その声の主は駆け上がって来る。


 現れたのは、制服を身につけた女の子だった。


明乃あきの、とっても心配したんだよ! 今まで一体何を──────お姉ちゃん何してるの!? なんで裸なの!?」


 何が何やら全くわからないとある夜。

 かろうじて理解できるのは、裸にワイシャツ一枚の女と言い合っている今の俺は、端から見たらかなりまずい状況に見えると言う事だけだった。

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