幽霊は明日を歌わない
吉沢春
1 幽霊を見たことがあるか?
「だって、わたし、今まで幽霊なんて見たことないし。霊感ゼロだから。去年の夏休みにみんなで心霊スポットのトンネル行ったときもさ」
交通事故で亡くなった女の幽霊が出る、というありがちなエピソードを持ったトンネル。
あのときはみんなが「なにか見えた」「なにか聞こえた」と青ざめながら言う中、わたしだけなにも見えずなにも聞こえず、それにしても蚊が多いな、なんて考えていた。でもなんとなくノリを合わせておかねばという義務感から、一緒にきゃあきゃあ声を上げておいた。
そして、結局、一番の怖がりである高橋さんが泣きながら自転車に跨って走り出し、わけも分からぬままパニック状態でみんなが必死に追走し、さすがに夜のトンネルにひとり置き去りにされるのは嫌だから、わたしも最後尾から自転車を全速力でこいだのだった。
本当に怖かったのは普段おとなしい高橋さんの豹変ぶりだったな、と思い出す。
「という感じだったわけ。幽霊なんていないでしょ」
「そうなの?」
「いや、そうなの? って。幽霊を信じるかと訊いてきたのはあなただけども」
「うーん、信じないならいいか」勝手に納得して、水原は靴下を履いた。ローファーに足を入れ、ベンチからのそのそと立ち上がる。ズボンの尻をはたき、コロンビアの赤いリュックを持ち上げ、片方の肩に引っ掛ける。そして、公園の出口の方へ歩き出しながら言う。「うん。それじゃ」
「いやいや、ちょっと待ってよ」
「なんで?」
「なんで? って……」
確かに、引き止める理由は特にない。でも、なんとなくもやもやする。途中で止まってしまったくしゃみのように。
「信じないんだろ?」
「信じさせなさいよ」
「それは簡単だけど」
「どうするつもり?」
「そうだな。俺から言い出したことだし。じゃあ、ちょっと見てて」
やる気がなさそうに水原が言う。小学校低学年くらいの男の子がふたり、サッカーボールを持って公園に入ってくるのが見えた。水原の視線は彼らに向けられている。
「何? 何するつもり?」
水原は答えず、リュックを再びベンチに置いて、男の子たちのほうへふらふらと歩いていく。途中、なにもないところで、一度
まだ梅雨前だというのに、男の子たちは半袖半ズボンだ。わたしはシャツの上に学校指定のカーディガンを着ているし、水原も学ラン姿。そういえば、子どもは風の子、って一体どういう意味なんだろう、とどうでもいいことを考える。
坊主頭くんが手に持っていたサッカーボールを地面に置いた。「行くよー!」と威勢のいい声を出し、蹴るモーションに入る。水原はそのボールへと近づいて、坊主頭くんよりも先にちょんと蹴った。坊主頭くんは「わあっ」と可愛らしい声を上げ、脚は空を切った。バランスを崩して転びそうになったが、運動神経がいいのかぐっとその場に耐えた。
ボールはころころと転がっている。
「あれー? ボール動いたー?」
「今蹴ったのー?」
「蹴る前に、転がったー!」
男の子たちの声は大きく、こちらまで届く。彼らは水原に一瞥もくれなかった。いきなり現れた怪しい男が、勝手にボールを蹴ったというのに。
坊主頭くんが首を傾げながらボールを取りに行くのを、わたしはぽかんと見ていた。水原は、男の子たちのすぐそばで、ポケットに両手を突っ込んで立っていた。
子どもらしい素直さで気を取り直し、男の子たちはあらためてサッカーボールを蹴り合い始める。水原はそのままそれを眺めていたが、ボールがなん往復かすると、またふらふらと歩きだし、今度は男の子たちの中間地点に立った。
水原の邪魔を意に介さず、ふとっちょくんがボールを蹴る。ちょうど足元に転がってきたボールを、水原が靴の裏で止める。
「あれー! なんでー!」
「止まったー!」
水原はふとっちょくんにボールを蹴り返した。
「戻ってきたー!」
再び騒ぎ始めた男の子たちを背に、水原が手を振りながらこちらに戻ってきた。わたしは恐怖でも感動でもなく、強いて言うならば呆れていた。
「ほら。俺のこと、あの子たちは見えてないんだよ」あまりにも緊張感がなさすぎてぴんとこない。こんなにはっきりと、わたしには見えているわけだし。そして、先ほども聞いた台詞を繰り返す。「俺、幽霊なんだ」
「なんだかなあ」
少し風が吹いて、水原の長い前髪を揺らした。
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