大朝霞帝国興亡記
こだま634号
第1話 朝霞は燃えているか
朝霞市、埼玉県南西部にある人口14万人の都市である。朝霞市は和光市、志木市、新座市、三芳町、ふじみ野市、富士見市から形成される埼玉県南西部の中心市としてだけではなく、朝霞市は軍都としての一面も持っていた。
戦前には旧日本陸軍の予科士官学校が、戦後には米軍のキャンプドレイク、そして今日では陸上自衛隊の東部方面総監部が置かれた朝霞駐屯地がある。
しかし、軍都としての側面を、朝霞に暮らす人々は気づかぬふりをしていたにすぎなかった。
軍靴の音は、ある日突然、東からやってきたのである。
19XX年4月、朝霞は戦火に包まれた。
4月1日、深夜0時、朝霞市を南北に分ける新河岸川の朝霞水門と、内間木橋が爆破された。
時を同じく、朝霞市の東に位置する和光市の第一師団が市境を流れる越戸川を突如渡河、朝霞市田島に軍事侵攻を開始した。
朝霞市は領土問題を抱える戸田市や、荒川以北の割譲を度々迫るさいたま市を中心に防衛線を設定しており、兵力も東北部の内間木にその主力を置いていたため、内間木橋を破壊された防衛戦力は即応することができなかったのである。
守備隊の奮闘むなしく、和光市第一師団、通称新倉師団は瞬く間に朝霞市東部の大字根岸・大字台・根岸台3丁目の一部を占領下においた。
そもそも、なぜ和光市が隣市である朝霞市に突如軍事侵攻を開始したのか。まずはそこから語らねばなるまい。
板橋区・練馬区と隣接する和光市は、東京系埼玉県民…いわゆる埼玉都民が多く住む地域であった。また、領土的野心を隠さない東京都が、その影響力を行使し、市議会選挙で都の息のかかった候補者を「和光を自由にする会(和自会)」として次々と擁立させ、和光市における影響下を強めていった。
自体が急変したタイミングは二回ある。一度目は先の和光市長選挙である。
和自会の代表的地位にいた深志は立候補を宣言。彼は公約の一つとして、東京地下鉄の車両基地を提供することで和光市駅を始発駅とさせ、埼玉都民の東京都への移動の利便化を訴えたのだ。
すでにこの頃、和光市では人口の半数以上が東京系埼玉県民であり、また先述したように東京都の影響も強く、選挙は深志の圧倒的勝利であった。和光市は実質的に東京都の軍門に下っていた。
二度目は今回の軍事行動へ直結する、人口問題であった。また、それには朝霞市と和光市の歴史的問題が影を落としていた。
東京都のベッドタウンとしての開発を急いだ和光市は急激な人口増加に生活基盤の整備が追い付いていなかった。
急激な人口増で、まず不足したのは保育所であった。東京都の人口の流出先ともなっていた和光市では、宅地開発ばかりが推進され、保育所の建設をおろそかにしていたのである。更に和光市では東京都へ通勤する家庭を優遇したため、埼玉県民と埼玉都民の間で対立が深まっていた。
そこで目を付けたのが朝霞市であった。朝霞市は県南西部の雄として、行政問題に遍く対応しており、発展スピードを整えて対応していたため、待機児童問題とは全くの無縁であった。
事の発端は和光市議会で、和自会の最右翼議員である松村会長が待機児童問題として、朝霞市の保育施設の利用を求めるべきだ、と発言したのである。
さらに松村は議場にて「朝霞市の根岸台地区は、かつては新倉村であったため、朝霞市には返還を求めるべきではないか。返還後に施設を誘致し、問題を一気に解決すればよい」と発言したのである。
松村の発言は嘘ではない。明治期に一時旧根岸村と旧台村は、県中央からの一方的な命令により、旧新倉村に合併させられていたのである。
根岸村と台村は新倉村とは生活基盤が異なるため、合併解消を望み、暗愚な中央政府を動かし、合併は解消されたものの、その問題を歴史書に残してしまう結果となった。
朝霞市にも、和光市に住む旧来からの住民が不当な扱いを受けている情報は流れてきていた。朝霞市は南西部の盟主の積を果たすべく、少数ではあったものの、旧来の和光市民を受け入れたのであった。
しかし、受け入れた和光市民の中に、和自会のスパイが入り込んでいたことを朝霞市は見抜くことができなかった。彼らは、朝霞市の施設で和光市民が不当な扱いを受けていると捏造した。
これに朝霞市に謝罪と賠償を要求、更に埼玉都民の受け入れを増やすことを目的とし朝霞市庁舎の前で大規模な集会を開いたのである。
もちろん、その中に松村会長がいたのは言うまでもない。更に一部が暴徒化し、警察が出動、暴徒は逮捕される出来事となった。(朝霞市動乱)
和自会による巧みとも言える事件化によって、朝霞市と和光市の関係に亀裂が入っていたのである。
朝霞市東部を占領後、深志和光市長は「今回の軍事行動は先の動乱によって不当に逮捕された和光市民の解放及び、和光市固有の領土である根岸地区・台地区の回復を目指すものである」と声明を発表、朝霞市に正式に宣戦布告をした。
それは、越戸川渡河から遅れること6時間であった。
大朝霞帝国興亡記 こだま634号 @airmailfrom_sgske
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