メイドはじめました
その誘いを受けたのは、授業の間の休憩時間、アイリスがお腹を抱えて教室から飛び出していったタイミングだった。
「今度の休日なのですが、お母様から呼び出しがかかりましたの。それで、急遽屋敷に帰らなければならないのですわ」
キャメリアにしては珍しく、落ち着きのない様子でボクに話しかけてきた。
令嬢が集まるこの学院では、家や領地の都合で一時的に帰省する生徒は少なくない。皆、それぞれに令嬢としての事情や責務があるのだ。
だから、キャメリアが屋敷に帰ると聞いたところで、特別驚きはない。
「シランさんがもし気乗りするようであれば、で構わないのですが……わたくしと一緒に屋敷に来ていただけないかしら。日帰りの予定ですから、何日も拘束するようなことにはなりませんわ」
わお、これは珍しいお誘いだ。
キャメリアは公爵家の令嬢というだけあって、入学後すでに二度ほど帰省している。
だけど、取り巻きであるボクやアイリスが誘われたことなんて、これまで一度もなかった。遊びに出掛けるわけではないので、まあ当然と言えば当然である。
突然の話で不思議に思い、首を小さく傾けてキャメリアに尋ねる。
「いいけど、どうしたの?」
「いえ、その。今回、何となく不穏な空気を感じておりますの。それでですね、こんな方法でお誘いするのは少し気が進まないのですけれど……先日マーガレット会長が提案なさっていた、独り占めの権利とやらを使わせていただきたいのですわ」
なるほど、そういうことか。要は、ひとりで帰るのは気が重いから、気心知れた友人についてきてほしいということだね。
そして、それを頼むのに都合が良い相手がボクだったと。それにしたって、キャメリアの取り巻きであるボクに対して、なんだか水臭い頼み方だなぁ。
「もちろん、いいよ。でも、キャメリアが困っているなら、権利なんて使わなくてもいい。付き添うくらい、いつでも引き受ける、から」
「感謝いたしますわ、シランさん。あなたって、やっぱりとても優しい人ですわね。それでは、その権利を使って別の我儘をきいていただけないかしら。厚かましい話だということは、重々承知しております」
キャメリアがこんなにも前のめりになってお願いしてくるなんて、正直珍しい。
話の流れ的にも何となく断りづらいし、静かに頷いて続きを話すよう促す。
「こんな失礼なお願いをするのはどうかとも思うのですが……その日だけ、わたくしのメイドとして付き添っていただきたいのですわ」
ん? んんんん?
それはつまり、このボクにキャメリアのメイドになれと、そういうことだよね? 一応、これでもボクは伯爵家の令嬢って立場なんだけど。
でもまあ、キャメリアが何の理由もなくそんなことを言うとは思えないし、とりあえず真意を訊いてみよう。
「えっと、どうして、メイド……?」
「わたくしの私情で伯爵家のシランさんを巻き込んだとなれば、内容次第ではお母様からお叱りを受けかねませんし……何かと面倒なことになると想像がつきますから」
キャメリアも、勝手なことを言っている自覚はあるのだろう。顔に申し訳ないという文字が浮かんで見える。
まあいいか、いつも助けられているからね。そんなことでキャメリアの助けになれるのなら、メイドでも何でもなってあげようじゃないか。ふふん。
それに、そこまでしてボクについてきてほしいのだと思うと、ぶっちゃけ嬉しいという感情が勝る。
◇
さて、海よりも広い心で受け入れたものの、ボクにメイドの経験なんてない。どうせ付き添うだけだから、格好さえ何とかすれば問題ないと思うけど。
こういうときは、本物の優秀なメイドさんに頼ってしまうのが手っ取り早い。そう。困ったときの頼みの綱、マグノリアさんの出番だ。
「えっ? わたしの使用しているメイド服を貸してほしい、ですか!?」
もちろん、キャメリアの屋敷に着けば、その屋敷で働くメイドの衣装を借りることはできるだろう。
だけど、学院と屋敷の間の送迎をしてくれるのは、フアネーレ公爵家の使用人だ。まさか、道中では友人の令嬢として振舞い、屋敷に着いた途端、メイドへジョブチェンジするというわけにもいかない。
「お嬢様が、わたしが普段から着用しているメイド服で全身を包むだなんて。そんなの、もはや一線を越えるに等しいのではないでしょうか? 理性を保てる気がしませんし、下手したらメイド服相手に嫉妬を覚えかねません……いや、でも」
何やら延々と自問自答してる様子のマグノリアさん。うねうねと身体を捩じっていて、ちょっとだけ気持ち悪いなんて思ってしまった。
「そっか、そうだよね。嫌なら、無理にとは言わない。べつに大丈夫」
さすがにそこまで悩むほど嫌がられてしまっては、ボクとしても申し訳ない。こうなれば、自力で何とかしよう。
「なななななんて残酷なことを仰るんですか!」
「う、うん?」
ボクが相談を撤回しようとした途端、飛び出すような勢いでマグノリアさんが接近してきた。
それにしたって、マグノリアさんをそこまで狼狽えさせるようなこと、言ったっけ?
「嫌なはずがないじゃありませんか。お嬢様の頼みとあらば、断る理由なんてございません。ええ、そうです。これはお嬢様の頼みなのですから!」
「あ、うん」
ボクの頼みってことを、やたら強調するね?
まあ、メイドのアイデンティティとも言えるメイド服だし、主人の頼みでもない限り、他人に貸すなんて考えられないのだろう。
「お貸ししますが、必ずわたしにもメイド姿のお嬢様を拝ませてくださいね。絶対ですよ?」
「お、拝む……? まあいっか。ありがと」
「ところで、今更なのですが……メイド服なんてお召しになって、何をなさるつもりですか?」
ああ、たしかに。言われてみれば、事情も話さないまま頼んでしまっていた。はじめに説明しておくべきだったね。
全て話すと余計な心配をかけてしまいそうなので、リリー関係の話は適当に誤魔化しつつ、キャメリアの帰省に付き添うことを説明した。
ボクの説明が終わるや否や、マグノリアさんが震え出す。
「お嬢様がご友人の下僕に成り下がるだなんて……そんなこと、お嬢様のメイドとして認めるわけにはまいりません!」
「いや、下僕じゃないよ!?」
むむむ、これは変な方向に話が拗れそう。下僕じゃなくて取り巻きなんだけどなぁ。
そもそも、ボクはメイドのことを下僕だなんて思ったことはない。こんな優秀な人たちを、下に見るなんてあり得ない。
「ボクは、マグノリアのこと、下僕だなんて思ってない。大切な人、だから」
「お嬢様ぁあ……わたし、一生お仕えさせていただきます!」
当たり前のことを言っただけなのに、やたらと感動されてしまった。どうしてこんな展開になっているんだろう。
ともかく、都合は良いのでこのまま押し切ってしまおう。
「メイドのこと、悪く言っちゃ、だめ」
「お嬢様のお気持ちはよく理解しました。ご友人との件も、お嬢様が決めたことであれば協力させていただきます。下着だろうと何だろうと喜んで差し上げます」
うんうん、分かってくれたようで一安心。
あっ、下着は貸してくれなくて大丈夫。いや、本当に大丈夫だって。
「ただし、お嬢様ひとりを他所様のお屋敷に行かせるなんてことはできません。わたしもお嬢様たちに同行させていただきます」
なるほど、それはボクとしても助かる。
一応公爵家にお邪魔するわけだから、何か失礼があってもいけないし。こんなところで破滅フラグを立てたくはない。
「じゃあ、よろしく、ね」
「はい。しっかりよろしくされましたよ、お嬢様」
話がまとまったのは良かったけど、今日のマグノリアさんは妙にテンション高いなぁ……
「あ、でもですね、べつにわたしはお嬢様の下僕でも、何なら牝〇隷でも構いませんよ?」
おっかしいな、幻聴が聞こえるぞ。どうやら急に、耳の調子が悪くなったようだ。
ーーーーーーーーーーー
メイドの皮を被った変態「わかりましたよ、お嬢様。もしかしなくても主従逆転プレイをご所望なのですね?」
幻聴に悩むジト目少女「……この世界、耳鼻科ってあったっけ?(現実逃避)」
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