第3話 女神のような店員さんに看病をしてもらいました

女神のような店員さんに看病をしてもらいました


「……っ!」

 目を開くと、視界には見知らぬ天井――ではなく、とっても綺麗なつづりさんが映っていた。

 彼女の美しい容貌は、目と鼻の先まで迫っている。

 瞳を閉じていて、それはまるでこれからキスでもするみたいで――。

「うわぁ!」

 びっくりして起き上がると、綴野さんのおでこと俺のおでこがガッチャンコ。

 刹那、ぶつかった部分に猛烈な痛みが走った。

「いてぇ……」「いたた……」

 二人しておでこを抑える。

 こっちも結構痛いけど、綴野さんの方もだいぶ痛そう。

「……綴野さん、なにやっているんですか?」

「す、すみません。熱を測ろうかなと思ったんですけど」

「熱?」

「はい、さいもとさんが急に倒れてしまったので……」

 理解できていない俺のために、綴野さんが説明する。

 そうだ。初めての休日のアルバイトで張り切っていたら、具合が悪くなって倒れたんだっけ。

「……でも、熱を測りたいなら体温計とか使えば良かったんじゃ」

「探しましたが見つからなかったんです。だから、おでこで測ろうと……」

「だとしたら、おでこじゃなくて普通に手を使って測れば良いと思うんですけど……」

 綴野さんは瞳をまん丸くする。

 その手があったか、とでも言うように。

「べ、別に私は気づいていましたよ? で、でも敢えておでこを使ったんです。ほら、手よりもおでこの方が正確に体温を測れるとも聞きますし」

 必死に言い訳を並べる綴野さん。……めっちゃ可愛い。

 彼女は俺のおでこに手を当てる。

「ちょっと熱いですね。風邪でしょうか?」

「けど、そういう感じじゃないんですよね。特に喉の痛みとかもないですし」

「……でしたら、熱中症かもしれません」

「あぁ、それはあるかもしれないです」

 今日は気温がかなり高いからな。

 それに日中のアルバイトも初めてだし、あまり水分補給もしてなかったし。

「そういえば、お店の方は大丈夫なんですか?」

 今日の勤務予定の時間帯には、俺と綴野さんしかシフトが入っていなかったはずだ。

「他の方に連絡してヘルプに来てもらいました。いまはちょっと落ち着いてきているので、私が才本さんの看病をしに来たんです」

「……すみません。色々と迷惑をかけてしまって」

「気にしないでください。それよりもいまおかゆを作っているので、食べられそうだったら食べてくださいね?」

「おかゆ? それはありがたいですけど……料理なんてして、足は大丈夫なんですか?」

「大丈夫ですよ。実はもうほとんど治っているんです」

「え、そうなんですか? でも、無理したら悪化しちゃいますよ」

「それは私のセリフです。倒れちゃうまで働かないでください」

 そう言いつつ、綴野さんは優しい瞳を少し吊り上げる。 

 あの綴野さんが怒ってる……。

「す、すみません」

「……謝って済むなら警察はいらないです」

 ぷんぷんとまだお怒り中の綴野さん。

 こ、これはもう許してもらえないかもしれない。

「な~んて冗談ですよ。とにかく今後は気を付けてくださいね」

 と思ったら、いつもみたいに優しく微笑んでくれた。

 め、女神だ……。ここに女神が現れたぞ。

「今後は気を付けます……けど、一つ良いですか?」

「? なんでしょうか?」

「なんか奥からピューって危険な音が鳴ってますけど」

「あぁ! 才本さんのために作ったおかゆがぁ!」

 綴野さんは大慌てで台所へ向かった。

 おかゆはギリギリのところで無事だった。


☆☆☆☆☆

 

「うちの本屋にこんなところがあったんですね」

 室内をぐるりと見回す。

 綴野さんとのあれこれで気づかなかったけど、やっぱりここ一回も見たことない部屋だったわ。

 奥の方にはキッチンがあって、そこそこの広さがある。

「ここは店長専用の休憩室なんですよ?」

「まじですか。それ、使っても大丈夫なやつですか?」

「本当はダメですよ。でも、キッチンはここにしかありませんし。それに今日は店長、家族旅行でお休みですから」

 店長には秘密ですよ、と綴野さんは口元に人差し指を当てる。

 普段は見せない仕草に、心拍数が段々と速くなっていく。

「あの……才本さん、これ食べられますか?」

 綴野さんが用意してくれたのは、彼女が作ってくれたおかゆだ。

 焦げる寸前で救われただけあって、容器からは熱々の湯気が立っていた。

「先ほど試食して、味は大丈夫だと思うんですけど」

「綴野さんが作ったものに心配なんてしていませんよ」

「っ! そ、そうですか……」

 呟くと、綴野さんは顔を伏せてしまった。

 な、なんだ? 変なこと言っちまったか。

「そ、その……おかゆ食べても良いですかね? 綴野さんの手づくり早く食べたいなぁ……なんて」

 機嫌を戻してもらうために、俺はおかゆ食べたいアピールをする。

 というか、本当に食べたいんだけど。

 将来、絶対に良妻賢母になるだろう綴野さんが作った料理だぞ。

 絶対に美味しいに決まってる。

「わ、わかりました」

 綴野さんはこくりと頷くと、少し大きめのスプーンを持つとおかゆをすくう。

「は、はい。あーん」

 そして、そのスプーンは俺の口元へ。

「なにやっているんですか?」

「え、そ、その……才本さんは食べさせてもらいたいのかなと」

「そんなこと一言も言ってませんよ⁉」

 俺が返すと、綴野さんは一瞬だけぽかんと口を開けてしまった。

「で、ですが、体調が悪い人にはこうした方が良いと昨日読んだラノベにも書いてありました」

「ラノベの内容を鵜呑みにしないでください」

 あれは男の願望が書かれているだけであって、実際にすることじゃない。

 むしろ、現実で起こらないからこそラノベで描かれるまである。

「自分で食べられますから。そんなことしなくても良いんですよ」

「い、いえ。ここまでやって止めたら逆に恥ずかしいです」

 綴野さんは再びスプーンを俺の口元まで運ぶ。

 どうやら最後までやり切るみたいらしい。

 瞳には並々ならぬ決意に満ちたものが宿っているし。

「さ、才本さん。あ、あーん」

 おかゆを食べさせようとしてくれる綴野さんは、ぎゅっと目を瞑ってしまっていて、スプーンを握っている手はぷるぷると震えていた。

 見るからにわかるけど、綴野さんってこういう経験がないんだろうなぁ。

 とかいう俺も女の子からの「あーん」なんて未経験なんですけどね。もうドキドキが止まりません。

「い、いただきます」

 そう言って、おかゆを食べようとする――が、食べる直前で綴野さんの手が急に前に出てきて、熱々のスプーンが直接俺の口周りへ――ジュウゥゥ。

「あつぅ!」

「はわわ! ご、ごめんなさい!」

 リアクションが大きすぎたせいか、綴野さんは「どうしよう、どうしよう」と呟きながらあたふたしている。

「ぜ、全然大丈夫ですから。いきなりで驚いただけですから」

「ほ、本当ですか……?」

 涙目になっている綴野さん。

 可愛い……じゃなくて、このままだと綴野さんにとって「はい、あーん」がトラウマになってしまうかもしれない。それはあんまりよろしくない。

「綴野さん、も、もう一回お願いしてもいいですか? そ、その……あ、あーんを」

「……良いんですか?」

「綴野さんが嫌だったらあれですけど、もしやってくれるなら、ぜひお願いします」

「わ、わかりました! こちらこそお願いします!」

 というわけで、綴野さんは再びおかゆをすくったスプーンを俺の口元へ。

 今度は慎重に運んでくれたので、さっきみたいな惨事になることはなかった。

 そうして俺はおかゆを一口パクリ。

「っ! 美味しいですよこれ!」

 食べた瞬間、梅の香りがふわりと鼻を抜けて、ほどよい酸味と和風なお出汁の味が口の中に広がっていく。

 さっぱりしていて食べやすいし、病人には最適の料理だ。

「ほ、本当ですか?」

「はい! まじで美味いですよ!」

「ふふっ、そう言っていただけてとても嬉しいです。作った甲斐がありました」

 口元に手を当てて上品に笑う綴野さん。

「こんなご飯食べられるなら俺、毎日倒れちゃいますよ」

「それはダメですよ」

 そう口にする綴野さんは、笑顔なのに瞳は全く笑ってなかった。

 ちょ、ちょっとした冗談のつもりだったのに。

「で、では、その……ま、また、私が食べさせてあげますね?」

「え、いや、もう大丈夫ですよ。無理しないでください」

「む、無理なんてしていませんよ。……それに先ほど私は最後までやると決めたので!」

 変なやる気スイッチが入ってしまった綴野さんは再びおかゆをスプーンですくう。

 そうして、それをまた俺の口元へ。

「あ、あーん」

 綴野さんは一回目と同じように真っ赤になって、瞳を思いっきり瞑っていた。

 やっぱり無理してるじゃん。

 ……でも、さっき話した感じだと俺が何を言っても聞きそうになかったしなぁ。

 よし。ここは俺がさっさとおかゆを完食して綴野さんを助けよう。

 そう思い、パクパクとおかゆを食べ進めていったのだが――。

「あー、ハズかった」

 完食後、俺は布団の上でダウンしていた。

 ロクに彼女もできたことがない男に「はい、あーん」の二十連発は、顔から火が吹き出そうだった。

 ちなみにいま綴野さんはキッチンでおかゆの容器を洗っている。

 そんな時、ふとあることを思った。

「でもそっか。綴野さんの怪我はほぼ治ってるのか」

 先ほど綴野さんがそう言っていた。

 だったら、もう俺がこの本屋でアルバイトをする理由はなくなるんだな。

 もともと綴野さんに怪我をさせてしまって、彼女が仕事にちゃんと復帰できるようになるまでの穴埋めとして始めたんだから。

 ……けど、個人的にはもうちょい続けたかったなぁ。

 綴野さんは優しいし、他の従業員の人たちも良い人たちばかりだし。

 なにより毎日のようにラノベに囲まれながら働けるのが楽しい。

「ぼーっとしていますけど、どうかしたんですか?」

 洗い物から戻ってきた綴野さんが不思議そうに訊いてきた。

 でも直後、何かに気付いたようにハッとした表情を浮かべると、

「もしかしてまた具合が悪くなってきたんですか?」

「いえいえ。違いますよ」

「そ、そうですか」

 ほっと息を吐く綴野さん。

 こんな大して仕事もできないバイトくんに、そこまで心配しなくてもいいのに。

「でも、そしたらさっきのは……」

「えっと、その……そろそろバイトを辞めなくちゃいけないなぁと」

「え? 才本さん、辞めちゃうんですか?」

「そうですね。バイトする理由もなくなるので」

「バイトする理由……?」

 キョトンとする綴野さん。

 え、この人まさかわかってないのか。

「俺はそもそも綴野さんに怪我をさせちゃったから、あなたの怪我が治るまで働くってことでこのバイトを始めましたよね?」

「っ! たしかにそのような流れでしたね。ですが、この怪我はあなたのせいでは……」

「いいえ、完全に俺のせいです」

 俺はきっぱりと断言する。

「でも、綴野さんの怪我が治ったら、俺がここで働く理由はなくなるので」

「だから辞めるんですか?」

「そういうことです」

 それにこれ以上ここで働いたら綴野さんにも他の従業員の人たちにも迷惑がかかっちゃうからな。だって仕事できないし。

「才本さんはお仕事を辞めたいんですか?」

 不意に綴野さんから質問が投げられた。

「辞めたいっていうか……辞めざるを得ないっていうか……」

「それはつまり辞めたくないんですね? でしたら辞めない方が良いです」

 綴野さんは落ち着いた、でも強い口調で言うと、こう続けた。

「私は才本さんに感謝してるんですよ」

「感謝……ですか?」

 それに綴野さんは「はい」と頷く。

「いつも私がおすすめした本は面白いと言ってくれますし、ポップの時もあなたがいなかったら今頃どうなっていたことかわかりません」

「べ、別に綴野さんが紹介してくれる本が面白いことは本当のことですし、ポップは俺がいなくたってきっと他の誰かが手伝って完成してたと思いますけど」

「そんなことありません。才本さんのようにラノベがとても好きな人はなかなかいませんから。だから、そんなあなたと一緒に働いていると、とても楽しいです!」

 唐突に放たれた言葉に心臓がドキドキした。

 俺と一緒に働いてると楽しい……。こんな大して仕事もできない俺と。

「私はこれからも才本さんと一緒に働きたいです! ……だ、だめでしょうか?」

 綴野さんは上目遣いで不安そうに訊ねてくる。

 こんな俺でもまだ綴野さんと一緒に働いて良いのか。

 ラノベに囲まれながら仕事しても良いのだろうか。

 だったら俺は――。

「わ、わかりました。今後もここで働かせてもらいます」

「はい! ありがとうございます!」

 綴野さんは嬉しそうに笑う。

 こうして俺はもう少し『古川書店』でアルバイトを続けることになったのだった。


~つづく~


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