第6話 暗殺者を雇うのは高額
「それ」は音もなく近づいてきていた。
さながら風にはためいていた吹き流しが、剃刀の硬さを得たような。
害されると気がつくのにいつもより時間がかかったのは、モーウェル騎士が護衛と称して周りをうろついていたから。
……というのは冗談で、私が油断したから引き起こされた事なので、深く反省している。
荷物を狙っているのであれば、騎士達が標的にされるはずだが、どうやら真っ直ぐに私を狙っていた。
騎士たちは、一瞬の事に、何が起きたのか状況を把握することも叶わなかっただろう。
ロイだけが私の右の脇腹に差し込まれそうになった短刀を認め、寸でのところで剣の鞘で弾いた。
ロイの動きに考えるよりも先に体が動く。
素早く抜刀し、次の攻撃を仕掛けた。
暗殺者は最初の一太刀がもっとも恐ろしい。
その姿は、物売りだったり、道に伏した酔いどれだったり、語り合う恋人達、なんて事もある。
早く気が付かなければ一打目で死ぬ。
彼らは命を奪う事に躊躇もないし、手段も選ばない。
奇襲を防ぐことができれば命は繋がるが、危険な二打三打を用意させてはならない。
迷わず抜刀した勢いで暗殺者を切り捨てる。
肉を割いた手応えがあったが、致命傷までは負わせられなかっただろう。
通行人を装った暗殺者は、軽い傷ではないだろうに、素早く身を屈め人混みに紛れ込む。
どうやら高額な値段で雇われる闇稼業の暗殺者のようだ。
人の多い往来では深追いは出来ないだろう。
「私怨ですかね?」
恐る恐るロイを見る。
ロイが暗殺者だと気がつくのが遅れれば、私の命は無かった。
「このタイミングでか?」
よかった、怒られなかった。
ロイはこの手の失敗に厳しい。
ギルドからロイを借り受けている身分で、私が命を危険に晒すような下手を打てば機嫌がすこぶる悪くなる。
「私を狙っていましたよ」
間違いなく私だけを狙っていた。
だからこそ反応が遅れた。
「お前が一番弱そうに見えたんだろ」
底冷えするような目で睨まれる。
「……すみません」
あ、やっぱり怒ってた。しばらく小言を言われるな。
この男は、巷のお姉さん達には無口なクールガイで人気を博しているくせに、私には小姑の如く細々とした小言を飛ばしてくる。
こんな顔して世話焼きなのだ。
それに、ちゃんと心配されてる自覚はある。
「荷物を狙わなかったですね。
あの腕なら荷物だけを奪う事も可能だったとおもいますけど」
思案するように腕を組むロイは、口を開かない。
「……」
「では、この仕事自体なにかあるんですかね」
「……おそらくな」
敵の脂肪がついた刃を手ぬぐいで拭って鞘に収めると、モーウェル騎士と目が合った。
剣のつかを握りしめ、わなわなと震えている。
「逃げられてしまいました。
敵の傷は深くもないですが、暫くは安静が必要な傷だったと思いますので、同じ人が来ることはないはずですよ」
暗殺者に狙われいるというのは恐ろしい事だ。
王都にいて、例え近衛だったとしても、滅多に対峙することはないはずだ。
だって、高いし。
なかなか雇える金持ちもいないし、雇ったら金の動きで大体バレる。
相手側が大金持ちだったら嫌だな。
ギルドを通さない荒事は法外に高い。
それを何組も……昨日のチンピラを数に数えていいのかはわからないけれど……送り込めるとなれば余程の金持ちだ。
「タリム嬢……」
モーウェル騎士は、私に近づくと労わるように肩を抱いた。
割と不快だ。
「済まない。我々がいたのに貴女を危険に晒した」
さりげなく腕の中から抜け出す。
この人距離感おかしいと思う。
「いえ、気付かなかった私が悪いので」
「不甲斐ない」
「ああいう暗殺を稼業とする人から身を守る術はあまりありません。
ほとんど運です。
騎士様ほどの力量を持ってしてもなかなか気が付かないのが普通ですので、何ら恥じることはありません」
まぁ、半分くらいは本当の事だが、それでもロイは一瞬の殺気に反応した。
まだまだ修行が足りないと恥じるのは私のほうだ。
心が鉛のように重い。
「それに、私の不足分はロイ・アデルアが対処しましたので、ご心配なく」
ロイに対するじりっとした嫉妬と焦燥感が湧くのを押し込めて笑ってみせる。
届かないのは剣技だけではないのを思い知る。
いや、知っていたけど、やっぱり落ち込む。
モーウェル騎士はロイのほうに歩みを進めると、胸に手を置いて謝意を表す姿勢をとる。
「アデルア殿、よくタリム嬢を守ってくれた。恩に着る」
騎士は女性全般の安全に責任でもあるのだろうか。
それに対してロイは相変わらず不機嫌そうに吐き捨てる。
「それが仕事だ。着られる恩はねぇ。それと、タリムはギルドのもので貴様とは無関係だ」
モーウェル騎士は勝ち誇ったような良い笑顔を返す。
「そう言っていられるのも今のうちだろうな」
「貴様の妄想にすぎねぇよ」
あー、騎士といざこざとか面倒だからやめて欲しいんだけど。
それにしても、荷物を運ぶだけが、何故か毎日抜刀する事態が起きるのは何故だろう。
秋の空はこんなに青いのに。
今日は、この街に着くまでは順調だったのだ。
モーウェル騎士に幼少期の事をずっと尋ねられ続けたり、好きな菓子について尋問にあったり、王都での住まい事情や隣人などについて詳しく話さなければならないのが煩わしかったが、頑張った。
そうして無事に日が暮れるまでに次の街へ着き、宿を探して歩いているうちにこの暗殺騒ぎだ。
「タリム嬢、今夜は安心して眠れるよう我々が……」
っ!! もう、言わせない!
「今日は離れた部屋に泊まってください。
何か起きた時に気配が分かりづらくなるんで。
警護はロイ・アデルアがいるので無用です」
遮るように早口で頼み込む。
これ以上仕事以外の事で煩わされたくない。
夕食は食堂で食べたいのは山々だが、暗殺者に襲われたのを口実に部屋にこもる事にした。
夕方の市場で買ったパンと惣菜を備え付けのテーブルに並べる。
ロイは肉類を多めに買った。
実際、暗殺者云々よりもモーウェル騎士に悩まされている。
ペースを乱されるし、モヤっとした不快感が付きまとう。
これがあれか、生理的に受け付けないというやつかもしれない。
向かいの椅子に腰掛けて何かの書類を読みながら黙々と食事を続けるロイを見て、ほっと溜息をつく。
ロイのいる空間は心地いい。
その剣士としての腕前に灼けるような嫉妬を覚えても。
「ねえ、ロイ・アデルア、少し付き合ってくれません?」
「風呂くらい一人で行けるだろ」
「違いますよ」
「厠は明かりがついているって言っていたが?」
「違いますってば。少し手合わせして欲しいんですけど」
「さっき死にかけたしな」
容赦ない。
「そうですけど、ちょっと体を動かしたくて」
「まぁ、それはかまわねぇが。泣くなよ」
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