第一話 混浴


 気が付いたら、目の前に服を着た大きな怪獣が居る。と思ったら多摩雄さんだった。


 知らん天井、暗い部屋、鳥の声。起き上がると、隣には巨大生物。もとい多摩雄さん。浴衣姿に包まれた自分の恰好を見て、旅行に来ていたのを思い出した。


 寝汗が凄かった。人は寝ている時にセブンオンスの汗をかくというが、ワンパイントくらい出てしまったのではないか。


 この涼しい陽気でそうなるということは、よほど夢見が悪かったのか。空虚な毎日じゃ夢も見れないと思うが、見たところで覚えていないのだから仕方ない。携帯電話の画面を見てみると、まだ五時過ぎだった。


 よし、ならば風呂に行くしかない。


 ここの旅館は、なんと五時から朝風呂が開かれている。帰る前にひとっ風呂とか、いいじゃないか。パンフレットは見ておくものだ。


 着替えなり何なりを用意と思ったが、それで二人を起こしてしまうのは忍びない。タオル一枚で風呂に行けるのは、浴衣と温泉旅館の特権だ。


 運よくドア側で寝てたので、二人の横を通り過ぎずに部屋を出るのに成功した。まさかそれが災いになるとは、思ってもいなかった。


 階段を降りて廊下を歩くと、暖簾が三つ見えてくる。左が女湯、右が男湯。そして、真ん中が混浴。そうは言っても、夜は女性専用の時間帯となるので、混浴ではない。


 どうせ、こんな時間だし、誰も入っていないだろう。折角だから混浴だな、入れる風呂には入っておきたい。


 恐る恐る更衣室を覗いてみるが、やはり人っ子一人居なかった。オレの勝ちだ。


 勝ちだとか、意味が分からん。浴衣をカゴにぶち込んで、身も心もさらけ出したオレは、堂々と浴場の戸を引いた。


 予想通り、中には誰も居なかった。身体を洗うのも面倒なんで、掛け湯だけして風呂に浸かる。しびれるような感触が皮膚を襲った後、全身にくまなく温もりが広がっていく。


 チェックアウトしたら、観光しながら帰宅となるだろう。一泊だけなのに、本当に色々あった旅行だった。


 本当に、色々ありすぎた。五月入ってから、まだ五日しか経過してないのに、色んなことが起こり過ぎている。絶え間無さ過ぎて、飽きる余裕もない。


 矢のように過ぎる日々、置いてかれないように時間を止める術は無いかと考えた。だけど、誰もそんなものは持ち合わせていない。じゃあ、何故みんな平気な顔をしていられるのだろう。


 あるいは誰一人平気な者はいないけど、そんな振りをしているだけかも。自分の感情、切なさを抑えることに、どれくらいパワーが要るのだろう。


 空の見えない場所に居るだけで、余計なことを考えてしまいそうだ。湯舟から上がり、オレは露天風呂へと足を進めた。


 外の空気が美味しくて、空に向かって思い切り両手を伸ばした。


「ふぁーあ……」と思わず欠伸も出る。今回の旅行の中で、一番平和な時間が今だな。


 そう思ったのも、束の間だった。風呂の方へと顔を向けた時、先ほどの考えは全く真逆になった。


 今回の旅行で、一番やばい時間が今になってしまった。


 この時のオレの所持品はタオルだけだが、武器と防具は装備しないと意味がない。先ほどまでは装備する必要性が無かったから、片手に持っていた。


 平たく言うと、今のオレは産まれたままの姿。


 差し詰め、フルチンだ。


 そんな状況にも関わらず、風呂の中に人を発見してしまった。更衣室にも屋内湯にも居なかったからといって、露天に居ないとは限らないのだ。


 更衣室で、使用済みのロッカーが無いか見ておくべきだったんだ。


 オレはその人に見覚えがあった。


 見覚えというレベルではないので、言葉を失ってしまう。起こさないようにという気持ちで部屋を出たので、起きているとは思いもしなかった。


 浸かっていたのは、オレの従妹。


 ならびに、多摩雄さんの娘。


 及び、義妹の親友。


 かつ、亡き母親の双子の妹の娘だった。


 想定外、腑抜けた気持ち、油断大敵、慢心の装い。こんなんだから、忘れたころにやってくるんだよな。


 ここで叫ばれたら、オレはお終いだ。急いでタオルで我が子を隠し、ケツを見せないように、少しづつ後ずさる。


 とっくに終わっているような気もしたが、みのりにわざわざ言うような真似はしないだろう。タマちゃんから目を離さずに、慌てずに後ずさる。


 まるで熊に会った時のような対処法だが、従妹の父はそれ以上におっかない生物だ。


 子熊を刺激すれば、親熊を目覚めさせる。タマちゃんを泣かせば、多摩雄さんに滅殺される。一度泣かしている身なので、二度目は無いと思った方がいい。


「あ、あのっ!」


「は、いっ!」


 タマちゃんの上ずった声に、驚いたオレも上ずってしまう。


「わ、わたし、後ろ向いてるんでっ、入ってください!」


 そう言って、タマちゃんはオレに背中を見せた。天使の羽根が生えててもおかしくないくらいの、綺麗な肩甲骨だった。


「いや、出ます」


 見とれてしまいそうになったが、堪えてオレはそう言った。


「命令ですっ!」とタマちゃんは少し声を張り上げた。


「きのう、わたし、まだ命令してませんでしたよね?」


 何の事だと一瞬考えたが、昨日と言われて思い出した。多摩雄さんのゲームでの勝者の特権、何でもオレに命令出来るという話だ。


 あの時、みのりはオレに命令したが、そのゴタゴタでタマちゃんのを聞いていなかった。


「でも、だからと言って……」


 だからと言って、それってどうなのだろうか。道徳的にも社会的にも、こういうのはいけないような気がする。


「ここは混浴です。それに、わたしとミナユキさんは家族です」


 それなら問題ない気がしてくるのが、今の状況の怖いところだ。そりゃあ、折角の露店風呂だし出来れば入りたい。


 だからと言って、これは家族の一線を、超えているような気もしなくはない。そういうものなのかどうかも分からないが、オレの心情的にそれをやってしまうのは駄目なような気がする。


「それとも……わたしと入るの、嫌ですか?」


「嫌なわけがないだろう!」と言ってしまった。


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