第三話 五月二日


 親父の運転する車に乗ったのは、最後がいつだったか。


 とりあえず、今年は一度も無い。去年はあったっけか、墓参りの時か。前の墓参りは学校から帰宅すると、家に親父と多摩雄さんが居た。制服を着替える暇すら許さずに、さっさと多摩雄さんの車に乗せられたんだっけ。じゃあ、去年も親父の車に乗ってねえよ。


 霊園までは歩いて行けない距離ではないが、この街は山を切り開いて作った街だ。行きは下り坂みたいなものだが、帰りは三十分丸々ずっと上り坂となる。


 オレと親父はいいとしても、女性二人には苦行になるに違いない。ただでさえ、自分たちの知らない人の墓に行かされるんだ。そこまでちゃんと、配慮してあげなきゃいけない。


 小高い丘のような所にある我が家、その下に尾根に向かって続く環状線がある。家からも見えるが、そこにはクジラのように大きな橋が架かっている。


 広大な公園を繋ぐ、我が街の名物といっても過言ではない。久しぶりにくぐり抜けたが、下から見上げると本当にクジラの腹のようだった。


 それを抜けると左折するが、その左もまだ公園だった。まるで公園に沿って車を走らせているようだった。タイル敷の歩道は、東京区内でもなかなかお目にかかれない。


 そのまま真っ直ぐ行くと、商店街が見えてくる。ケーキ屋やパン屋などがあるが、帰りの事を考えるとオレはあまりこの辺りを使わない。その内、行ってみたいと思ってはいるが、学校方向にもパン屋はあるので、行かずじまいだろう。


 道なりに行くと、再び左手に公園が見えてくる。実はこの公園、展望台がある。


 地元民であるオレすら登ったことがないし、周りにも行ったという人は居なかった。天文部だから一度は入った方がいいかもしれないと思うが、ここを開放しているのは五月から十月の日曜と祝日だけ。


 おまけに四時に閉まってしまうので、天文部的にも使いづらい施設なのだ。仮に行くとなったとしても、ゲイザーのショック死は免れなくなる。


 その公園に沿うように左折すると、下り坂にはスーパー銭湯が見えてくる。勿論、行ったことはない。その正面には図書館がある。行く気にもなれない。


 坂を下りきると街道にぶつかるが、その十字路の左斜め前に霊園がある。中央分離帯の存在が右折入庫を許さないので、左折して街道をUターンすることになる。


 そのUターン地点の少し先には病院が見える。オレが生まれ、母親が亡くなった病院だ。


 自身は何も思うことなんかはないが、親父にとってはどういう存在なのだろう。助手席から、運転席の親父を盗み見てみる。別に普通のオッサンの顔をしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る