第十三話 兄妹のスタート


「じゃあ、お前はオレのこと兄だと思ってんのかよ!」


 気が付いたら、叫んでいた。何も気にせずに大声を上げていた。


 おもむろに立ち上がったオレ。稲瀬みのりは泣いていた目を丸くして、こちらを見上げた。


「なんだよ、家でも先輩、先輩ってよ……お兄ちゃんとか言わなくていいから、せめて名前で呼べやぁ!」


 勢いで叫んだが、意外にも頭は冷静だった。証拠に稲瀬みのりが呆気に取られて、ぽかんとしていたのが分かったぐらいだ。だけど、勢いは止まらなかった。


「ほら、稲瀬みのり。いや、みのり! ミナユキって呼べ! コール・マイ・ネーム! ミ・ナ・ユ・キ!」


「……え」


「ミナユキだ! ほら、呼んでみろ!」


「……ミナユキ」


「声が小せぇ!」


「ミナユキ……!」


「そうだ。オレの名はミナユキだ。学校じゃ勘弁してやるけど、家だとそう言うように。分かったか妹よ」


「……は、はい」


 本当に何故かはよく分からないが、その後の稲瀬みのりの機嫌はすっかり直ったようだった。


 詩織さんが戻ってきたので、夕飯の支度を一緒に手伝い。三人でテーブルを囲んで、一家団欒の食事となった。


 先ほどの魂の叫びが、彼女何の琴線に触れたのかは分からない。だけど、オレへの呼称を「ミナユキさん」となったので、こっちも彼女のことを「みのり」と呼ぶことにした。


 でも冷静に考えると、やはり兄に向けてミナユキさんはどうなのだろう。兄貴とか兄者でも良かったんじゃないと思ったが、ミナユキと呼べと言った手前もう引き返せなかった。


 母親の墓参りの話に関しては、意外にも提案者は誰でもない詩織さんだった。


「ミナユキくんのお母さんに、みのりと一緒に挨拶がしたい」と親父に言ったらしい。


 稲瀬みのりの耳に入っていなかったのは、親父が帰ってきたときに四人でちゃんと話すつもりだったんだとさ。


 そうなると、余計な真似をしたのはオレだ。先回りで親父に結果だけ聞いて、それを稲瀬みのりに報告した密告者に他ならない。


 すいませんと頭を下げたら、詩織さんは笑って許してくれた。義妹は仕方ない兄ですね、とため息交じりに許してくれた。


 ただ、そういう意図があるならば、親父も言ってくれれば良かったのだ。よって、これはオレ一人が悪いわけではない。後であのオッサンに問い詰めてやる。


 その晩、稲瀬みのりが寝静まった後、リビングに呼び出されたオレは詩織さんに衝撃の事実を突きつけられる。


「実はね、みのりは私の本当の子じゃないの」


 言っている意味が分からなくて、オレは固まってしまった。


「血がつながってないってことじゃないの。みのりは私の姉の子なの」


 ますます言っている意味が分からなかったが、詩織さんはそれでも話を続けた。


 話の半分は分からなかったが、要約すると稲瀬みのりも生まれた時に母親と死別していて、父親は不明。


 稲瀬の実家に預けられた彼女は、祖母に育てられ、一回り以上年齢の離れた詩織さんを姉として慕っていた。そして、詩織さんが大学を出るタイミングで祖母が他界した。


 誰一人、肉親が居なくなった彼女の親になったのは、誰でもない詩織さんだった。


 オレはその話を聞いて、大きなショックを覚えた。それならマザコンになるのは当たり前だし、詩織さんの結婚を誰よりも祝福するのは当然だ。親父をパパと呼ぶのも、初めて出来た父親だからおかしくはない。


 気が付いたのは、彼女は誰よりも家族という存在に憧れていたということだった。


 暖かい家庭、一家団欒。一般家庭の子より家族に対する理想が強すぎて、唯一それにそぐわないオレに対して不満が溜まっていたのだろう。


 そんなんだから、オレに対して強く当たったり、冷たくしたりしていたのだと考えると、何だか罪悪感が沸いてくる。


「だったら、オレの存在なんて無視してくれれば良かったのに……」とオレはため息をついた。


 詩織さんはクスリと笑った。


「それをしたくても出来なかったみたね」


「どうして?」


「ミナユキくんが、優しいから」


「またそれですか……」


「でもね。こないだのことは、本当に嬉しかったみたい」


 そういえば、さっきも稲瀬みのりはそんなことを言ったな。


「こないだのことって何ですか?」


「え、本当に分からない?」と詩織さんはわざとらしく、大げさに驚いてみせる。


「分かってたら、こんなことにはなってませんよ……」とオレは苦笑いをした。


「みのりの事、名前で呼べたらって、こないだは言ったけど。……やっぱり止めた」


「え、どういうことですか?」


「私のこと、ママって呼べたら教えてあげる」


 なんてこった。稲瀬みのりを名前呼びする以上に、ハードルが上がってしまった。


 すると、階段を降りる音が聞こえた。二階にいるのは稲瀬みのりだけなので、彼女と見て間違いないだろう。


 パジャマ姿の稲瀬みのりは寝ぼけまなこでキッチンに入ると、コップを手に取り水道水を飲み始めた。


 空のコップを置くと、始めてオレたちの存在を視認したようで、驚きの声を上げる。


「え、まだ起きてたんですか?」


「ああ、もう寝るよ。詩織さんは?」


 今日も親父が会社泊まりなので、詩織さんもこれ以上起きている理由が無かった。


「そうねぇ、私もそろそろ……」


 そこまで言ったところで、詩織さんは何かを思いついたようにポンと手を叩いた。


「ねぇ、みのり。たまには一緒に寝ない?」


 詩織さんの提案に稲瀬みのりは瞳を輝かせる。


「え、いいの?」


「勿論よ」と言ってから、詩織さんは大きな笑顔を見せてオレの手を引いた。


「ミナユキくんと三人で、川の字」


「ええええ」


「ええええ」


 珍しく、オレと稲瀬みのりが同時に声をあげた。まるで家族じゃないかって思った。


 思ってから、それは違うことに気が付いた。まるで、じゃない。今日、オレとみのりはちゃんとした家族になったのだ。


 思えば、きっとスタートが悪かったんだ。先輩と後輩という枠が出来てしまってからの皮切り、そんな兄妹がギクシャクしない訳がない。


 だからと言って、親父や詩織さん、勿論みのりのせいにするつもりはない。


 ちょっと時期が悪くて、お互いを認められなかっただけ。


 ちょっとタイミングがズレて、秘め事を抱えるようになっただけ。


 まだ色々、問題はあるかもしれない。だけど、オレは来週の墓参りでちゃんと母親に紹介出来たらいいと思っている。


 オレの出来た妹です、と。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る