第九話 南タマキちゃん


 部室へと向かう途中で、南タマキちゃんと顔を合わせた。


 今日は掃除当番で、部室に行くのは遅れることは先輩に話してあるが、どうやら彼女も状況は同じだったようだ。


 稲瀬みのりと南タマキちゃんは、二人でワンセットみたいなもの。学校でどちらか一人になったのを見たのは、今日が初めてだった。


 昨日の件があったので、どう対応されるか心配してたが。意外にも、南タマキちゃんはいつも通りだった。安心したオレは、彼女と二人で話をしてみたいと思った。


 別に探るわけじゃないけれど、稲瀬みのりの話とか、普段の学校生活の話とか聞いてみたいと思った。


 自分も一年生を経験している身でもあるから、悩み等があれば力になってあげたいとも思った。


 ちょっと自販機でも如何とかいう、変な誘い方だったけど、それでも彼女は笑顔で応じてくれた。可愛い笑顔だと、素直に思えた。


 何を飲みたいか伺ったところ、やはり遠慮したので無理やり押し切った。彼女の希望は乳酸菌飲料だった。


 乳製品をとって少しでも身体つきを良くしたいのかと思ったが、流石にそれは口にしなかった。オレはコーヒーを買って、南タマキちゃんをベンチの隣に案内した。


「いただきます」と言って、南タマキちゃんはペットボトルを口につけた。両手でボトルを持つさまは、まるで小動物のようだと思った。


「学校はもう慣れた?」とオレは聞いてみた。彼女はオレの方を向いた後、少し考えるような仕草をした。


「多分、慣れました……。わかりませんけど」


 そう言って彼女は、こっちの目を見てはにかんだ。歓迎会のあたりから、南タマキちゃんは少なくともオレには慣れてくれたみたいだ。


 慣れましたの意味に、それが含まれているような気もしなくもない。こうして目を合わせるのに躊躇しなくなったのを、少し嬉しく感じた。


 こうして、日々の成長を見れるのは、喜ばしいことなんじゃないかと思った。可愛い後輩のステップアップを見れるのが、先輩としての真価を発揮することだとしよう。


 それを考えると、雨梨先輩がやたらとオレやゲイザーに世話を焼きたがるのも、分かる気がしてくる。


 それならば、あの日のことを切り出しても大丈夫かもしれない。意を決したオレは、改めて南タマキちゃんに向き合うことにした。


「オレさ。ずっと、南ちゃんに言いたいことがあって……」と切り出してみた。


 すると、何故か南タマキちゃんは、肩肘を張ったような姿勢になった。


 オレの物言いが、重大な発表のように思わせてしまったのだろうか。少し顔を赤くした彼女は、数回深呼吸した後。「はいっ」と、つぶやくように言った。


「いつだか。南ちゃんを抱きしめちゃった時あったじゃん。咄嗟とはいえ、あんな乱暴に触れちゃったの悪かったと思ってる」


 オレがそう言うと、南タマキちゃんは暫く呆けていた。何の話だろうと、考えているようだった。そして、思い出したのか。彼女の顔は一瞬にして、火が出るように真っ赤になった。


「あ、あ、えっと、あれは、その……」


 しどろもどろになりながらも、必死に彼女は言葉を紡ぐ。


「み、ミナユキ、さんが、守って、くれたから。わ、わたしは、感謝……してます」


 彼女は真っ赤になった顔を隠すように言った。南タマキちゃんにとっても、あれは恥ずかしい出来事なのだろう。


 悪いことをしたなと反省しながらも、オレは不覚にも彼女のことを可愛いと思ってしまった。


 南タマキちゃんが義妹なら、なんて思ってしまいそうになる。少し沸いた邪な考えを、必死に払拭した。言葉にしなくても、それを思うだけで稲瀬みのりを否定することになる。


「でもオレ、南ちゃんが男性苦手なの。なんとなく分かってたから……」


 分かってたのにあんな真似をしたのかと思われても仕方ないが、こういうのに関しては正直に言うようにしている。ただでさえ、嘘だらけの生活を送っているのだから、少しでも秘め事は減らしたいとオレは思っている。


「……でも」と南タマキちゃんは少し黙った後に言った。


「おかげで、ミナユキ先輩はいい人だって。気づきました」


 詩を朗読するような物言いで、南タマキちゃんは笑顔で言った。小動物みたいな微笑みは、抱きしめたくなる程愛おしく感じた。


「頼りになる人、凄い人だって思いました」


 ペコリと頭を下げてきたので、無意識に彼女のおつむを撫でてしまった。


 オレは犬派か猫派でいうと猫派なのだが、動物は全般的に大好きだ。犬でも撫でてくれと、こうべを垂らしてきたらナデナデしてあげたくなるじゃないか。


 今のはそれに近い状況だったのかも知れない。サラサラの長い髪はやらかくて、ずっと撫でていたいと思える程だった。


「ご、ごめん!」


 正気に戻ったオレは、即座に南タマキちゃんの頭から手を離した。


 いくら先輩後輩の間柄とはいえ、これは度を越したセクハラだと思われても仕方ない。こんな場面を雨梨先輩に見られたら、言い訳も出来ない。


 頭を上げた南タマキちゃんは、こっちを見上げて少しはにかんだ。


「こないだも思いましたけど……」と南タマキちゃんは言った。柔らかい物腰は、どこか懐かしい雰囲気を醸し出していた。


「先輩の手って暖かいんですね」


 なんでこの子は、こんなことを平気な顔して言えるのだろうか。


 嬉しい反面、恥ずかしくなってしまった。オレは思わず、覆うように顔を手で隠した。


 牛乳のように清白で、砂糖菓子のように無垢な女の子だ。稲瀬みのりをそうとは思ってない訳ではないが、綺麗すぎる南タマキちゃんの瞳は眩しすぎるくらいだった。


「……先輩?」と南タマキちゃんが首を傾げた。目の前の男が挙動不審すぎて、不安を与えてしまったのだろう。


「ありがとう」オレは何とか平静な振りをして、取り繕った。


「南ちゃんみたく可愛い子に、そんなこと言われると嬉しくなる」


 歯の浮くようなセリフだと思ったが、心からそう思っていた。


 稲瀬みのりと違って、素直な女の子を相手にすると、こちらも素直な物言いが出来る。


 まるで人付き合いって、鏡のようだと思った。相手が意地を張れば、こちらも素直になれないし。向こうが正直ならば、自分も真摯になろうと思えてくる。


 オレの想いが伝わったのか、南タマキちゃんは恥ずかしそうに顔を赤くした。でも、表情は笑顔だった。


 本当に可愛い女の子だと思った。


 彼女の十分の一でもいいから、稲瀬みのりもこんな顔をしてくれればと思った。


 きっと、それはオレのワガママだ。自分が知らないだけで、稲瀬みのりにも可愛い一面がある筈なんだ。オレが義妹の魅力を引き出せていないだけなのは、重々承知の上だった。


 自分に何が出来るかなんて、分かっていないのだ。


 でも、オレにだって何かは出来る筈なんだと思った。


 今こうして、南タマキちゃんを笑顔に出来たんだ。人を笑顔にする魔法を持っているのだとしたら、稲瀬みのりにも使えればと思うくらいだった。


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