第十話 繰り返す戯れ
その日の部活は普通に終わった。懸念事項だったオレへの接し方も、誰も何ひとつ変わってなくて、かなり安心が出来た。
一年の二人に「サカイ」という苗字の子は居ないか、それとなく探ってみた。
少なくとも、二人のクラスには居ないらしい。そうなると多摩雄さんの娘は、別のクラスか違う学校なのだろう。
どうでもいいが、我が天文部の顧問は境大吾って名前だが、きっと何ら関係ないだろうな。
帰宅の時間となり、部活メンツ五人で学校の坂を下る。
その先の十字路は前に進むと駅、左折すると神奈川、右折すると東京方面となる。雨梨部長とゲイザーが、神奈川方面なのでここでお別れ。
また明日と二人が手を振ったので、同じような事を言って三人が手を振り返した。
オレと稲瀬みのりは勿論のこと、南タマキちゃんも東京サイド住まいだ。
同居がバレるわけにはいかないので、オレはいつも適当な理由をつけて駅の方へ行く。
南タマキちゃんは、今の稲瀬みのりの家を知っているのだろうか。なんて思いながら二人に、別れの言葉を告げる。
駅へと向かう坂道を登りながら、もう一度、南タマキちゃんの事を考えてみた。
稲瀬みのりと南タマキちゃんは親友だけど、本当に彼女はどこまで義妹の現在を知っているのだろうか。
もしかしたら、オレがゲイザーにそうしているように、再婚した事すらも隠しているのかもしれない。
何かを聞こうものなら、下手な話をしてしまいそうだ。オレには何も出来やしない。
ふと、道の植え込みのピンク色が目についた。つつじの花が夕焼けの中で首を傾げ、やさしく微笑んでいるようだった。
もしかしたら、さつきかもしれない。
この二つの品種の違いはイマイチ分からないけど、もしかしたら大野さつきちゃんなら知っているかもしれない。
「そうか、これが咲いているって事は……」
もうすぐ、五月が訪れる。
まもなく、母の命日だ。
毎年、五月二日はオレと親父と多摩雄さんの三人で、墓参りに行っていた。オレは勿論行くつもりだが、状況の変わってしまった今、親父と多摩雄さんはどうするのだろうか。
夕暮れを泳ぐ、鳥が少しだけ鳴いた。オレは携帯電話を取り出し、親父にメッセージを入れた。今年の墓参りはどうするんだ。
これで仮に行けないと言っても、親父を非難するつもりは全く無かった。もしオレが詩織さんなら、行って欲しくないと思っても仕方ない。
自分個人としても今は、亡き母よりも一緒になった奥さんを大事にしてくれと。それで一向に構わなかった。
オレにとっても、詩織さんはいい人だと思う。下手にあの人が傷つく結果になるのだったら、こっちのことは気にしないでくれて結構だ。
忙しい人間だから、返事はすぐにこなかった。
もしかしたら、今日中に返事はないかもしれない。それなら、それで問題ない。これは既に、オレだけの問題なのだった。
まだ帰るには早い時間だった。今真っ直ぐ家へと向かったら、オレの歩行速度だと稲瀬みのり達に追いついてしまう。
ロータリーのベンチに座ると、また植え込みのピンクの花が目についた。なんとなく、さつきちゃんに電話を掛けてみた。三回の呼び出しの後、すぐに出てくれた。
『どうしたんですか、ミナユキさん?』と電話の向こうから、さつきちゃんの朗らかな声が聞こえた。
「ちょっと聞きたいことがあって、今は電話して平気?」
『ええ、大丈夫ですよ。どうしました?』
オレはベンチから立ち上がり、植え込みの方へと歩み寄る。
「この時期に咲いている、ピンク色の花ってあるじゃん」
『つつじ、ですか?』
「やっぱり。これって、つつじなんだ?」
植え込みの前にしゃがみ込み、一つの花弁を優しく撫でた。夕陽に少し揺れた花びらが、大きく輝きを放っているような気がした。
『どういうことですか?』
「つつじなのか、さつきなのか分からなくて。名前的にさつきちゃんならさ、知ってるかなって」
オレが言うと、さつきちゃんは電話の向こうで少し笑った。その仕草が何となく、雨梨先輩を彷彿させるようだった。
『ミナユキさんは洒落のつもりだったかもしれませんが、割とつつじとさつきについては詳しいですよ』
「そうなんだ」とオレも少し笑った。
『この時期に咲いているのは、つつじです。さつきは五月の中旬に咲くんですよ』
「ほうほう」
『大きさもつつじの方が大きいんですよ』
言われてみると、つつじと同じ形だけど、小ぶりな花を見たことがあった気がした。あれがさつきなのか。
「なるほど、勉強になる。やっぱり、同じ名前だから詳しいの?」
オレはわざと、おどけるように質問してみた。
『妹がつつじって名前なんですよ』
「おおっ、マジか」
『わたしと違って控えめで、可愛い妹です』
「へえ、見てみたいな。さつきちゃんの妹なら、絶対可愛いだろうし」
『なっ、何を言ってるんですか』
何故か電話口のさつきちゃんが、取り乱した声になる。
「さつきちゃんの名前の由来って花なんだな。オレはてっきり五月生まれだからかと思った」
『五月生まれですよ、わたし』
「まじか」
『妹は違いますけど。わたしの名前は五月生まれだから、付けられたんですよ』
「あ、そうだよな。つつじの方が先に咲くんだっけ」
『ええ。でも、両親はそれ知らなかったみたいで。姉がさつきだから、妹はつつじかなって』
「成程ね。あ、それじゃ誕生日近いんだ。お祝いしたいから、何日なのか教えて」
『ええっ!』と電話口でさつきちゃんの驚いた声が聞こえた。
『そ、そんな、そういうつもりじゃなくてですね』
さつきちゃんの声に、電話の向こうで慌てふためく姿が容易に想像出来た。
「催促したなんて思わないでさ、オレが単純にお祝いしたいだけなんだ」
『うう……。なんか、すいません』
「悪いと思うなら、誕生日を教えて」
『ええ……。はい、五月、二日です』
五月、二日。
その日付を聞いて、オレは思わず心臓が飛び出しそうになった。
先ほどまで母親の命日のことを考えていたというのに、なんてタイミングだと思った。
『ミナユキさん……?』
さつきちゃんの声に我に返った。悟られないように、オレは出来るだけ明るい声を出す。
「そ、そっか、来週だね。当日は用事があるけど、ゴールデンウィークにゲイザーの家に行くから、その時にでもお祝いさせてよ」
『あ、ありがとうございます!』
その声を聴いて。なんとなく電話の向こうで、さつきちゃんが頭を下げている光景が浮かんだ。
「それじゃ、また来週にでも連絡するよ」
『はいっ、楽しみにしています!』
電話を切ったオレは、再びベンチへともたれ掛かった。
五月二日は、オレにとって特別な日。だけど、全く逆の意味で特別な日であるという子が、身近に居る。何故かそれが、オレの頬を緩ませた。
その日が悪い日な家庭があるように、その日が良い日な家庭もある。人間は何億人も居るのだから、そんな事は当たり前。なのだが、それを近くで実感するとは思わなかった。
どうか五月二日が、さつきちゃんにとって、ずっと良い日であり続けますように。夕暮れに向かってオレは、細やかだけど大事にしたいと思える願いごとをした。
そろそろ、帰ってもいい時間かもしれない。オレは再び携帯電話を取り出すと、親父からメッセージが届いているのに気が付いた。
五月二日は例年通り、墓参りに行く。勿論、詩織さんと、みのりちゃんにも来てもらう。
オレは目を見開いて、携帯電話の画面を何度も見た。ジーザス、ガッデム、まじかよ。
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