第五話 分からん


 策略と言えば、先程の会話で少し気になった点があった。


「甘いのが得意だったら、こっちをって……」


 稲瀬みのりはオレが甘い物を苦手かもしれない、とまるで想定していたみたいだ。


「実は私も。ミナユキくんは、あまり甘いの得意じゃないのかな、って思ってた」


「え、何故です?」


 確かにオレは外でも家でも甘いものは食べないが、甘党でもなければ買ってきてまで食べやしないだろう。それだけで苦手だと判断されてしまったのか。


「ミナユキくん、珈琲はブラックしか飲まないでしょ」


 勿論、甘いものが駄目だから、紅茶はおろか、珈琲にも砂糖は入れない。


 毎朝、オレに珈琲を入れる詩織さんなら知っているだろう。だが稲瀬みのりの前で、そんなに珈琲を飲むことは無かった筈だ。


 詩織さんを一瞥すると、意図が伝わったかのようなことを言う。


「ちなみに私は言ってません」


「……となると」


 稲瀬みのりは毎朝、オレが珈琲を飲むことも、砂糖を入れないことも知っていたとなる。


「みのりは言ってたわ。和食なのに、お茶や紅茶でもなく珈琲を飲むなんて。よほど珈琲が好きなんだって」


 そこを見越しての、コーヒーゼリーだったのか。


「……すげえな」


 本当に良く出来た後輩、良く出来た義妹だ。人を良く見ていて、その上で自分がどう行動すれば、相手の為になるのかを理解している。母親相手になると、少し残念だけど、それでも良く出来た子だとオレは思った。


「ねぇ、ミナユキくん。今日みのりがコレ買ってきたの、何でだと思う?」


「えっ」


 そういえば、何でだろうか。なにかの記念日か、と考えた。


 親父のは知らんが、少なくともオレは誕生日ではない。稲瀬親子のどちらかだとして。そんな記念日に流石の親父でも、いくら仕事だとしても泊まりはあり得ない。


 他に何か記念になるようなことが個人的にあるのだとしたら、それはオレには関係の無いことだ。


 確かに今まで彼女がいきなり、こういったものを買ってきたことはない。何があったのか、全く分からなかった。


「分かりませんね」


 オレがそう言うと、詩織さんは含み笑いでこちらの顔を見つめた。どういう意図があったのか分からないのが、何となく背中に嫌なものを感じた。


「なんか、今日、学校でいいことがあったんだって。ミナユキくん、知らない?」


 なんだそりゃ。


 オレはどういうことか考える前に、なんだそりゃと言う単語が頭を占めた。


 今日、学校であったことと言えば、部室でジャッカスに激昂したくらい。オレもそうだが、彼女にとっても何一つ良いことだと思えない。


 やはり、稲瀬みのりはアレを見て、オレが昔グレていたことに気づいたのだろうか。だとしたら、何が良いことなのだろうか。


 オレの本性を知ったのが良いことだとすると。もしや、弱みを握ったということか。


「心当たりがある?」と詩織さんは言った


「実は……オレが元不良ってバレたかもしれないです」


 オレがそう言うと、詩織さんは明らかに不思議そうな顔をした。何でそれが良いことになるのかと、全く分からないという表情だった。


「えっとですね。今日、ちょっと部活中にクラスの奴と小競り合いになりまして……」


 不良だった事に関してはバレてしまっている詩織さんに、変に誤魔化しても仕方ない。オレは今日、部室で起こったことを出来るだけ正直に打ち明けた。


 友達にジャッカスという、ふざけたあだ名の奴が居て。そいつが彼女に振られて、部室に飛び込んできた。


 優しい部長が相談に乗ってくれて、振られた理由を話した。


 妹の友達と手を繋いでいたところを見られて振られた。


 友達のゲイザーが面倒だから、妹ということにしてしまえと言った。


 妹と手なんか繋がない、お前らは妹が居ないから分からないと言われた。


 だったら、妹に居る奴に相談すればいいだろうと、オレがジャッカスの胸倉を掴んだ。


 そこまでをオレは、詩織さんにかいつまんで話した。


「今思うと、相談に乗ってやっているのに、あんな態度取ったから腹が立ったんでしょうね」


 苦笑いで言って、オレは紅茶を口にした。


「にしても、あれはやりすぎました。いくら腹が立ったからとはいえ、あいつと友達の南ちゃんの前で……あんな」


「ねぇ、ミナユキくん」と詩織さんの声に頭を上げる。


「ミナユキくんが怒ったのって、そういう理由?」


 何故か詩織さんは笑顔だったので、オレは困惑してしまう。怒りとかで張り付いた笑顔とかなら分かるが、先ほどと同じように穏やかでニコニコした顔だった。よく分からないので、意図よりも質問の返事を考えることにした。


 オレがあの時、怒った理由。


 そんなのオレ自身が分からない、と言っても過言ではない。あの時は何故か、ジャッカスの発言に頭に血が上っただけ。


 理由もなく怒るなんて、まさしく不良じゃないか。だから、きっとジャッカスの態度にカチンと来たに違いなかった。


「ええ、そうですね」とオレは答える他が無かった。


「そう……」と言ってから、詩織さんは小さな笑みを零した。


「でも私は何となく、みのりの機嫌が良かった理由が分かったわ」


「え、なんで」


「わからない?」と詩織さんはニヤニヤしながら言った。


「え、わかんないっす。教えてください」


「そうねぇ……」


 軽やかに詩織さんはソファから立ち上がると、空になったオレのカップを手に取った。


「ミナユキくんがみのりのこと、ちゃんと名前で呼べるようになったら教えてあげる」


 どういうことですかとオレが言うと、詩織さんは時計を指さした。時刻はもう零時を回っていた。


「今日はもうお休みなさい」


 結局オレは訳の分からないまま、寝床に着く羽目になった。


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