赤い空、青かった夏
夜水 凪(なぎさ)
赤い空、青かった夏
人魚、だったのだろうか。あの日、私が見た彼女は。
たまたま放課後、図書室に残っていた私は本に夢中になっていて、チャイムの音にはっとして周りを見渡すと、もう残っている生徒は一人もいなかった。
司書の先生に挨拶をして図書室を出る。外は怖いくらいの夕焼けで、まさか隣の校舎や近所で火事があったのではないかと疑う程、赤黒い橙色だったのを今でも覚えている。
もう、ずっと前の事なのに。
暗くなる前に帰ろうと小走りで進んでいると、階段の踊り場に見覚えのない女子生徒が立っていた。廃校の決まっているこの小さな女子高で見たことのない生徒なんていないつもりだったからか、はては彼女の雰囲気のせいなのか、私は彼女から目が離せなくなった。
彼女が見ている窓の外には夕日に照らされているプールが見えた。腰より少し上まであるクセのない艶艶とした黒髪。半袖のセーラー服からすらりと伸びる手足は陶器のように白い。
甘い香りがしたような気がした。
階段の途中で足を止め、食い入るように見つめていた私の視線に気が付いたのか。外を見ていた彼女はゆっくりとこちらに振り返り、静かに微笑した。その三白眼の瞳に見つめられ、蛇に睨まれた蛙のように、私は動くことができなかった。
息をするのさえ躊躇われる程に彼女は美しかった。
少しも赤みのさしていない新雪のような白い顔に真赤な唇が目を引く。吸い込まれるように一歩、また一歩と彼女の方に近づいて行く体。私の意思はそこにない。
気が付けば彼女の顔が目の前に。ふいに彼女が右手を胸の高さまで上げる。私も同じように左手を動かし、こちらに向けられた右手に合わせる。ぴたりと重なった二つの手。反対の手も同じように。鏡に映る自分と鏡の前の自分を真横から見ている図が頭に浮かぶ。
どれくらいそうしていたのだろう。ふいに彼女が真赤に塗られた爪でその唇に傷をつけた。私は滴る赤を見つめることしかできない。
白い手が私の目をふさぐ。ひどく冷たい手だった。空気が揺らいだ直後、唇に少しの温もりを感じると、口の中に鉄の味が広がった。動けずにいると手と共に、さっきよりも近くにある彼女の顔が少しずつ離れていく。一歩踏み出そうとしたところで視界が真暗になった。
気が付くと外は既に真暗で、踊り場には私しかいなかった。
唇を指でなぞる。赤黒いカサブタのようなものが指に付いた。
微かに海の匂いがした。
昔の事を思い出していると隣の部屋から椅子が倒れる音がした。これで何度目だろう。あの人とはもう三十年ぐらい一緒にいたのかな。その前の人が十五年だったから今回は少し長かった分さみしいような気がする。気がするだけだけど。
セーラー服に袖を通して外に出る。
さて、また一緒にいてくれる人を探さないと。
うだるような夏の日に、いなくなった五人目の人とお別れをした。
赤い空、青かった夏 夜水 凪(なぎさ) @nagisappu
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