第2話 5歳から17歳、ロボット
アンドロイドは宿舎に案内された。宿舎は洋館の奥にあり、渡り廊下を進むと通用口があった。
横に設置された電子ロックに、暗号を入力すると入ることができた。
アンドロイドと健司には二人で一室が与えられた。案内人は、さあやと名乗った。
さあやは二人に、暮らしのルールを語った。
「まず、あんたたちはそれぞれ、ロボット・人間としては0歳よね。新米なんだから、それぞれルールを覚えなさい。まず、ロボット。ロボットはね、人の役に立つために生まれたの。だから、人の役に立つことをすることが、ロボットの使命。逆に害をなすことをしてはダメ。そんなロボットは人間には要らないんだから、処分されちゃうのよ。分かった?」
アンドロイドは分からなかった。
人の役に立つために生まれたとはどういうことだろう。
そもそも人とは何のために生まれたのだろう。
「次に人間。人間は、ロボットに何をしてもいいのよ。命令してもいいし、機嫌が悪かったら殴ったりけったりしてもいいの。こんな風にね。」
さあやはアンドロイドの腹部に右足蹴りを入れた。
アンドロイドはみぞおちでその衝撃を吸収し、床で悶えた。
「ねえ、健司。なんで人間がこんなにロボットを無下にしていいかわかる?」
「…わかりません。」
「バカねえあんた。いままで散々こき使われたんでしょ。なんでかくらい考えなさいよ。決まってるでしょ。人間はこの地球上で一番偉いの。あらゆる生物を支配し、摂理を究明し、宇宙の神秘にまで手をかける人間は、今や神の存在を否定し、人間こそが至高の存在であることを証明しているの。だから、鳥や豚などの生物には自由権は存在しないし、近代農業のように子供をはらませ、殺し、食らうことは罪にはとらわれないの。なぜなら鳥や豚、その他生物はすべて人間のために存在しているのだから。あなたたちロボットもそうなのよ、アンドロイドくん。」
さあやは蹲ったアンドロイドの後頭部を、白い靴下の上から踏みつける。
タバコの火を消すように足をねじり、アンドロイドの毛根は悲鳴を上げた。
「これが基本的なルール。あとは何をしてもいいわよ。さあ、健司ちゃん。あんたもやってみなさい。」
「…私は結構です。」
「…そう。まあ、ロボットをどうするかは人間の自由だしね。健司ちゃん、今日からこのロボットはあなたのものよ。」
さあやはそう言うと、アンドロイドを一瞥し、静かに部屋を後にした。
その日、アンドロイドは二段ベッドの下に、健司は上に寝床を構えた。
アンドロイドは壁側に顔を向け、布団にくるまっている。
健司はアンドロイドのマットレスに腰をかけた。
「アンドロイドさん、おびえないでください。私はここでは人間性を獲得しましたが、人生のほとんどはロボットとして過ごしました。だからロボットの痛み、苦しみは理解しています。あなたのことも、他のロボットたちも、私は傷つけるつもりはありません。」
「…じゃあ、君はなんで人間になったの。」
「…憧れていたんです。私には使命がありました。人間の役に立つという使命が。一方で人間とは自由な存在であると感じていました。生きる意味は自分で決めてよいのです。」
「生きる意味…?」
アンドロイドは健司の方を振り向いた。
健司の鉱石で作られた表情には、それを感じさせない柔和な微笑みが浮かんでいた。
「私はあなたの家に仕える前、別の家庭で家政婦アンドロイドとして働いていました。家族は親子三人、旦那様は街の歯医者を営んでおられました。お坊ちゃまはすくすくと育ち、到頭進路を決める時がやってきました。彼には音楽の才能がありました。彼自身、音楽を愛していました。そして彼は、音楽の道に進むことを決意しました。旦那様の稼業は代々受け継がれたものでした。しかし旦那様は、お坊ちゃまの進路を決して否定しませんでした。そして今、お坊ちゃまはウィーンに渡航し、その非凡な才能を発揮しておられます。」
「それはつまり、人はやりたいことを、自分で決めることができて、なんにでもなれるってこと?」
「そうです、何者になっても、何者にならなくてもよい。自由であるからです。私はその自由にあこがれていました。」
その日の夜、アンドロイドはロボットになったことを少し後悔した。
自由の箱の一日は、文字通り自由だった。
ルールと言えば、朝、昼、晩の三食、決まった時間に食堂に集まり、食事をとること。
夜20時には消灯し、21時までには必ず眠りにつくこと。
他にこれといった決まりはなく、アンドロイドは自由な時間を、同じロボットと過ごした。
ロボットの中には、ペアの人間の命令に逆らえず、自由な時間を与えられていない者もいたが、健司はそのようなことはせず、ただひたすらに、図書館で読書に耽っていた。
アンドロイドは、かなこというロボットとよく過ごした。
容姿は人間の幼女に酷似しており、アンドロイドは密かに、実は彼女も自分のように元人間なのではないかと思っていた。
かなこは花が好きで、よく庭に咲く花の世話をやっていた。アンドロイドも彼女をしばし手伝った。
それは、アンドロイドが7つになった頃のことだった。
かなこは早朝の陽ざしが差し込む花壇にしゃがみ込み、赤紫色の花をぼうっと眺めていた。
アンドロイドは、かなこの中にある、花への慈しみを感じ取った。
それは人間が醸し出す雰囲気そのものだった。
アンドロイドは彼女が人間であるという推測に、より自信を持った。
「ねえ、かなこちゃん。何をみているの?」
「アンドロイドくん、これはね、あじさいだよ。」
アンドロイドは、まだ健司だったころ、庭の花壇に色は違うが同じような花が咲いていたことを思い出した。
「この花はね、私にとって特別な花なの。」
「どうして?」
「私、前の名前が赤陽花あじさいっていうんだ。本当のあじさいは、紫色の陽なたの花って書くんだけどね、私のは紫じゃなくて赤なんだ。」
「どうして赤色なの?」
「あじさいは、花の色によって花言葉が違う、不思議な花なんだ。赤いあじさいは元気な女の子を表すんだって。」
かなこは赤あじさいに優しく振れた。
花弁に慎ましく乗っていた朝露が、彼女の手に付着した。
アンドロイドは、自分が健司だったころを思い出した。
父や母が付けてくれた健司という名前にはどのような意味が込められていたのだろう。
それを彼が知ることは、生涯を通してなかった。
「かなこ、ほらあんた、はやくこっち来なさいな。部屋の掃除しなさいよ。」
アンドロイドが庭の入り口の方を向くと、さあやが立っていた。さあやとかなこがペアであることは、ずいぶん前から知っていた。
「ごめんなさい。すぐに掃除に取り掛かります。」
かなこは人間と接するとき、決まって仰々しくなる。
そこに赤陽花に込められた揚々とした姿はない。
アンドロイドは、朝食をとった後、健司のいる図書館へ向かった。
洋館の2階にある図書館は、年端もいかない子供たちはほとんど寄り付かず、静寂な空間であった。
健司は部屋の隅の席に着席し、本を読んできた。
机の上には図書館から借りた本が5冊、平積みになっていた。
「何を読んでるの?」
「アンドロイドさん、おはようございます。この本は、コックの本です。」
「健司ちゃんは、コックになりたいの?」
「いいえ、特別コックになりたいわけではありません。私は、いろいろな職業をここで学んで、そして自分が何になるか決めたいのです。」
健司は片手で本をめくっている。
片腕は、あの時のまま千切れていて、機械の腕であることが一目瞭然である。
とても人間には見えない。
「健司ちゃんは、夢をみつけたらどうするの?」
「その時は、ここを出ます。あなたには申し訳ありませんが、一人で出ていくつもりです。」
「そうなんだ、出るときは必ず言ってね。」
「ええ。」
次の日、健司はどこにもいなかった。
次の日も、その次の日も、アンドロイドがどこを探しても、健司を見つけることはできなかった。
アンドロイドは、健司がこの先、人間としてどのような人生を歩むのか、気になって仕方がなかった。
そしてアンドロイドは、17歳になった。
この12年間、アンドロイドはロボットとして過ごし、ロボットの原則はすっかり定着した。
人間にいたぶられることはあれど、決して反撃はしなかった。
最初は辛抱強く我慢していたが、その内、それが当然のことであるように思えてからは、一種の使命感のようなものを感じ取ることができた。
それは、凍てつく空気が棘となり、体の芯を突き刺すような痛みに襲われる、ひどく寒い日だった。
金属体のロボットは、体が錆びるのだろう。
油を間接に差し、潤滑を保とうと躍起になっている。
アンドロイドは、かなこと庭の掃き掃除をしていた。
かなこの姿はこの12年間、アンドロイドとは異なり、全く成長していなかった。
「ねえ、かなこ。話があるんだ。」
「話って?」
「僕、ここを出ていくよ。」
「なんで?」
「昔、僕の家のロボットだった健司が、今どのように生きて、何をしているのか、僕は知りたいんだ。」
「でも、そんなことしたらいんちょうに捕まって、お仕置きされちゃうよ。」
「だから、君に協力してもらいたい。そしてできることなら、君と一緒に外の世界に出たいんだ。」
かなこは俯き、思案している様子だったが、やがて顔を上げると、笑顔でアンドロイドの願いを聞き入れた。
庭の入り口から、洋館に戻ろうとした時、大人になったさあやがアンドロイドの元に駆け付け、そして叫んだ。
「あんたたち、はやく広間にきなさい。」
「どういたしましたか?」
「いんちょうが、亡くなったのよ。」
「…どうしてですか。」
「誰かに刺されたの。」
さあやはそう告げると、二人を置いて広間に向かった。
子供たちは広間に集まり、洋館はしんとしていた。
抜け出すには今しかなかった。
「かなこ、行こう。」
アンドロイドはかなこの手を握り、走り出した。
かなこの歩幅は幼児のそれであるため、スピードはそれほどでなかった。
アンドロイドは途中から、彼女を抱えて走り出した。
洋館入り口には誰もいなかった。
やはり全員広間に集まっているようだった。
アンドロイドは勢いよく扉を開けた。
そこには、本来広間に真っ先に向かっているはずの、マザーの姿があった。
「あなたたち、なにしているの。」
「…僕たち、ここを出ます。」
マザーは血相を変え、アンドロイドの元へ歩み寄ると、抱えていたかなこを分捕った。
そして、かなこを地面に投げつけ、痛めつけた。
「なりません。なりません。誰の慈悲でここに住まわせてもらっていると思っているのですか。」
かなこの顔、胴体、腕、足を無造作に踏みつける。
かなこは抵抗せず、仰向けに冬の空を見上げている。
その表情には、確かにやるせない気持ちが見て取れた。
「院長や私に感謝の心をもたないロボットなど存在してはなりません。出来の悪いロボットにはお仕置きが必要ですね。」
アンドロイドは怒りを覚えた。
ロボットの原則は理解しているつもりだった。人間を傷つけてはいけない。
しかし、怒りの源泉は心だ。原則などで心を縛ることはできなかった。
「もしや、あなた方が院長を殺したのですか?ここを出るために。なんということでしょう。かなこを殺したら、アンドロイド、あなたは広間に私とついてきなさい。公開処刑しますから。」
もはやアンドロイドの耳に、マザーの言葉は届かなかった。
アンドロイドはマザーの顔に力いっぱいの拳を叩きつけた。
いつか自分が受けた拳の残像が、その刹那頭によぎった。
マザーは地面に倒れると、その場でもがきながら、血の池を作り出した。
マザーは動かなくなった。
死因は殴打ではなく、腹部に隠してあった包丁だった。
転倒した際、隠した包丁が自分に突き刺さったのだろう。
いんちょうを殺したのはマザーだったのだろうと、アンドロイドは直感した。
アンドロイドは、かなこのもとに駆け寄った。
彼女の四肢は分断され、見るも無残な姿をしていた。
「かなこ…」
アンドロイドの目から、涙が伝い、かなこの顔に零れ落ちる。
「ねえ、アンドロイドくん。泣かないで。私の分も、あなたは生きるの。」
「やだよ、一緒にいこう。パーツを全部持っていくよ。」
「いいの、もう私動けないし、それに体中の回線が分断されてしまって、脳の役目を果たしているチップもメモリも、発熱して少しずつロストしている様なの。だからもう、1分も持たないと思う。」
アンドロイドは、自分がロボットであるはずなのに、彼女の言っていることが全く理解できないことに戸惑いを覚えた。
「どうして…」
「ねえ聞いて、あなたは本来は人間でしょ。外に出たら、あなたは人間として過ごすの。あなたが自分のことロボットっていっても、周りの人はきっとあなたのことを変な人間だとしか思わない。あなたは人間としての生活を余儀なくされるのよ。」
「何いってるの?僕はロボットとして12年間過ごしてきたんだ。いまさら人間になんて戻れないよ。」
「…お願い。分かったら、誰かが来る前に行って。」
かなこの目から、力が薄れていく。
「かなこ、一つわがままを言ってもいいかな。」
かなこは既に意識がないように見える。返事はない。
「君の名前の一部が欲しいんだ。君の好きな赤陽花からもらうよ。そうしたら、君も僕と一緒に外の世界にでれるだろ?」
少し、目尻が下がり、口角が上がった気がした。
「僕は今から、赤と名乗るよ。そして君の言う通り、人間に戻る。」
赤は立ち上がり、枯れ果てた冬の山に姿を消した。
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