二、


 京都嵐山、渡月橋の北詰の川辺…──。

 そろそろ陽も傾いできて、光線も幾分和らいだ桂川の川辺の中で、新澤しんざわ一葉かずは紀平きひら正道まさみちの姿を見つけるまでにそれほど掛かりはしなかった。50メートルも歩いていない。


 正道は、部活でもよく一人で写真を撮っていた。

 話せば人懐こいくせに、気付けば人から遠ざかろうとするようなところがある。


 正道は川端の石積みの上に座り、同じく石積みの上に肩掛けのスクールバッグを置いてそれをクッションの様にし、その上にカメラを乗せて嵐山を借景に桂川の流れと渡月橋を撮影をしていた。

 観光客で溢れる中で、周囲に迷惑にならないよう三脚を広げることを避けるための工夫だ。


 せんぱいは、そういう心配りのできるところなんかも──なんだか出来過ぎてるけど…──、みんなから一目置かれてる。


 一葉は、〝紀平せんぱい〟が手ブレ──シャッターボタンを押し込むときの振動でカメラが揺れること──を嫌って2秒のセルフタイマーで切ったシャッターが下りるの待っているのに声を掛けようとして、ふと考えを改めた。

 声を掛ける前に、一枚撮らせてもらうことにする。


 絞り値を開放──この機種の開放F値は2.8…──にして、『晴れ』の露光量LV14でも〝白飛び〟しないようシャッター速度を1/2000秒にする。

 絞り値を開放にしたのは、広角のレンズでも背景の風景をほどよく暈したかったからだ。


 果たして、液晶画面に現れた彼の横顔の〝真剣な眼差し〟は、満足のいく出来だった。

 一葉はそのまま満足気な表情になって液晶画面を消した。


 そうしたら、当の〝紀平せんぱい〟から声を掛けられた。

「どうだった……上手くいった?」


「え……?」

 一葉は、それが香里と北園のことだとは、すぐには思い至れなかった。

 まさか〝紀平せんぱい〟からそんなことを訊かれるとは思っていなかったから。


 微かに頬が熱くなるのを感じつつ、取り合えずは元気に応えようとするものの、他人さまの恋のこと、そんなに語れることはないわけで……。


「──…ぇえ……っと……、はい……」

 その言葉尻はすぼんでしまうのであった。


「そう。そりゃ良かった」

 そんな一葉の様子を気に留めるでもなく正道は言って、スクールバッグの上からカメラ──今日はフィルムカメラじゃなく写真部の備品のデジタル一眼デジイチだ…──を首に掛けると、バッグを肩に背負いながら立ち上がった。

 それから桂川の川縁を渡月橋の北詰の交差点の方へと、先に立って歩き出した。

 一応、歩調を緩めてくれているようなので、一葉はその隣に収まった。



「でも、新澤しんざわもよくやるよ」

 隣を歩く正道の言葉に、一葉は耳を傾けた。「──他人の告白のお膳立てなんか、そんな余計なお世話、ふつうせんだろ」

「うち、じっとしてるの苦手なんです……悩んでるくらいなら体を動かしてまう、みたいな? それに、〝頑張ったことは必ず報われる〟って、言うやないですか」

 そう応えた一葉のショートカットの頭の隣で、やはり正道は苦笑を浮かべている。


「そこで俺を引き込んで『撮影会』、……ですか」

「こないなプライベートな問題、他の部員に相談なんかできひんもん!」 一葉は、頬を掻くふうにしている正道の横顔を見上げて言った。「──やっぱし迷惑やった…ですか?」

「いや、迷惑とかはないけど、……俺でよかったの? いちお〝ダブルデート〟だろ、これ?」


「デ、デートちゃいますよぉ……あくまで『撮影会』、部活動の一環、です……」

 実は男の子と手を繋いだこともない女子中生には一層魅力的に聴こえるその言葉の響きに今度こそ顔を朱くしたものの、一葉は敢然と自分を律するように宣言した。

 胸元にカメラを引き寄せ、その言葉に嘘のないことをアピールしてみせる。


 正道の方は、温かな苦笑をその顔に浮かべて言った。

「…──はいはい。コレって、ふつうならダメージ受けるとこなんだろな」


 渡月橋北詰の交差点の信号を渡り北へと折れる。

 一瞬だけ正道の歩幅に置いていかれた一葉は、駆け足になって追い付くと再び正道の隣に滑り込んで言った。


「せんぱいしか声掛けられる人いーひんかってん。それに、せんぱい、カメラ向けてもいらへんポーズやら取らんといてくれるし、うちにとっては都合がええんやもーん…──」

 正道の横顔を探るように見上げながら、天真爛漫に言ってみる。

「──せんぱいがモデルならお金掛からへんし、いちいち撮ってもええか訊かんでええさかい楽やし」


 正道は、そんな一葉に「はいはい」と頷くと、彼女に合わせ歩調をゆっくりとして、天龍寺の総門前の通りの人混みに入っていった。


  ◆ ◆ ◇


「──せんぱいがモデルならお金掛からへんし、いちいち撮ってもええか訊かんでええさかい楽やし」


 そんなふうに言ったあたしに、紀平せんぱいは何も意識していないふうにこう言って笑った。

「まぁそりゃそうだろうけどさ……俺なんかよりもっと写真映えするヤツ、他にいっぱいいるだろうに」


 そう言ったせんぱいは、去年の文化祭で、写真部幹部の先輩女子たちが、あたしが普段撮り置いていたせんぱいの画像ファイルやそれを印刷プリントアウトしたものを、学校に隠れて売り捌こうとしていたことなんか知らない。

 ──…あ、この計画は、あたしが全力で阻止してあげた。……感謝とか、してくれないかな。




 それでその日のその後は、紀平せんぱい、一日を丸まる付き合ってくれた。

 天龍寺脇の竹林を抜けて落柿舎前の畑の辺りまでを、カメラ片手のせんぱいとあたしは、二人並んで歩いた。


 この日は珍しく三脚を持たずに標準ズームのデジイチという軽装備のせんぱいは、とくにあたしに合わせるでもなく、散策で出会ったあれこれの嵯峨野の風景をスナップしている。


 あたしはというと、やはり嵯峨野の風景を撮ったり、観光客を撮らせてもらったり、民芸店の店先を撮らせてもらったり──かわいい小物とかいっぱい買うことになったけど…──しながら、やっぱり、結構な枚数の紀平せんぱいをスナップしていた。


 スナップ写真の中のせんぱいは、だいたい何かに集中していて、ちょっと大人びている。



 そんなふうにして嵯峨野を撮り歩いて、喫茶店でお茶をして、他愛ないおしゃべりをして、笑い顔を揶揄われて、せんぱいもよく笑っていた…──



 …──そんな夏の午後に、

 ひょっとしたら、コレは〝いい感じ〟なのかも、と思ってみたりもしたけれど……、やっぱりそうじゃないのは何となくわかる。


 せんぱいは、あたしのことを〝そういうふう〟には見ていない…──そんな気がした。

 その距離感が、あたしにはちょうどいいのかな……そうも思った。



 でも、この日撮ったせんぱいの写真スナップに〝写り込んだもの〟を見てしまったことで…──全てが変わった。

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