夏、京都。その想い 切り取って…

もってぃ

第一幕

一、


 京都の夏は暑くて、桂川の川面の上を少しばかりの風が吹いたところで、もうどうにもなりはしない……。

 だる、ってこんな感じ。


 そんな中、年が明ければ中高一貫の高等部への進級の決まっている中三女子、新澤しんざわ一葉かずはは、中之島公園の川辺で向き合った一組の男女カップルを、少し離れたところから固唾を飲んで見守っている。

 クラスメートの告白に付き合わされて。


 そんな一葉の視界の中で、女生徒の方が何事かおずおずと切り出した。

 すぐに男子生徒は肯いて返すと、右の手を差し出す。

 その手を女生徒が取った。

 少し離れたここからでも、二人の〝初々しい〟表情を見て取れる。

 二人はぎこちなく、それでも仲睦まじく桂川の川沿いを歩き始めた。


 一葉は、女生徒がさり気なく向けてきた〝嬉し恥ずかしそうな目線〟に〝よかったね〟と笑顔で小さく手を振って返すと、男子生徒には気付かれないようにして二人を見送る。


 ふと思いついたふうにポケットから銀色の筐体ハコ──デジカメを引っ張り出すと、手を繋いで歩く二人の後ろ姿を、ライブビューの液晶モニターの中に収めた。


 それから、気合を入れ直すように表情を改めた一葉は、渡月橋の方へと歩き出した。

 一葉にとっての今日という時間は、ようやくこれから始まるのだった。


  ◆ ◆ ◇


 クラスメートの香理かおりが〝密かに思いを寄せていた2組の北園の高校受験の話を聞いてうじうじしている姿〟を見て「せやったら告白してまおよ」と背中を押したのは、確かに一葉だった。

 写真部の撮影会にかこつけて、今日のデートをお膳立てしたのも一葉だった。


 そうしたら、いろいろ頑張った挙句の当然の帰結というべきか、直前になって香里から頼まれた。

 ──もしダメやったら泣いてまうかも知れへんし……、離れたとこから見とって。


 それで他人の告白に立ち会わされることになったというわけだった……。


 でも仕方ない。

 そういうのが新澤しんざわ一葉かずはで、彼女はじっとしているのが苦手なのだ。


  ◆ ◆ ◇


 そんな一葉は、渡月橋の上をカメラを片手に歩く。

 一応、写真部の有志による『撮影会』なのだ。

 一葉は、写真に対しては真面目に取り組みたいと思っている。


 一葉の手にしたシルバーの筐体は、有名メーカーのモノながらもはや製造中止となった旧いモデルで、一昔前の一眼機種並みのセンサーを備えた単焦点レンズの高級コンデジだ。

 Wi-Fiに対応しておらず、画像を直接アップロードできないなど、十代半ばの女の子には似つかわしいとは思えないモノだったが、当の一葉は、これをとても気に入っていた。


 一葉はコレを、絞りもシャッター速度も手動で設定するマニュアルモードで使っていた。

 ピントさえもオートフォーカスを切ってマニュアルで予め撮影距離を定める、いわゆる〝置きピン〟で、機械任せにしない撮り方を徹底している。


 一葉にそういう撮り方を教えてくれたのは紀平きひら正道まさみちで、このカメラを選んでくれたのも、一葉がカメラをやろうと思う切っ掛けをくれたのも、一つ上の高等部一年生の彼だった。



 一年くらい前、まだカメラと言えばスマホの機能くらいしか使ったことのなかった一葉は、写真部の先輩の中でも、なんだかもう大人のようにカッコよくフィルムカメラを使う紀平正道の姿にすっかり気触かぶれてしまい、写真部に入ったのだった。

 何事もやってみなければ始まらない、為せば成る為さねば成らぬ、が一葉のモットーだった。

 そうして入部してカメラを選ぶ段になって、すぐに言ってみたのだ──、

「うちも、紀平せんぱいの使うてるようなカメラで撮りとおです」、と。


 やっぱり先輩たちの呆れ顔が並んだのだったが、そんな中で〝紀平せんぱい〟は一葉の撮った写真プリントを見て何度か頷くと、自分の私物の中からコレを見繕ってきて貸してくれたのだ。

「これをマニュアルで使ってみて。まずは絞りとシャッター速度の関係を学ぶんだ。フィルムはその後だな」

 紀平正道は、いたって真面目にそう言った。


 そういうわけで、彼の私物の高級コンデジを、いま一葉が使っている。



 一葉は渡月橋から桂川の流れを見下ろしていた浴衣姿の女性の二人組──旅行中の女子大生だろうか…──を、液晶画面を見ないノーファインダーで感覚だけでレンズを向け、さり気なくシャッターを切った。

 そうして撮った画像をカメラの液晶画面で確認すると、一葉は満足気に頷く。それから──。


 女子大生二人組にカメラの液晶を見せて歩み寄って、精一杯感じのいい笑顔で声を掛けると、いま撮ったばかりの一枚を見せて、消さないでいいかと交渉お願いをした。

 撮られるのが嫌な人、困る人からは、そうと言われて消すことになるけれど、大抵の人は〝いいよ〟と言ってくれる。

 一葉はそんな笑顔を持っていた。

 女子大生二人組も、嵐山が上品にぼかされた背景に笑顔の弾ける浴衣美人という趣きの一枚に、満更でもないといった顔になって快くOKをくれた。


 一葉は大きく頭を垂れて感謝の意を示すと、女子大生に手を振り返して、次の被写体を求めてその場を離れた。



 このように一葉が撮る被写体は、もっぱら街並みかそこを歩く人物の表情で、いわゆる〝スナップ写真〟というやつである。

 〝紀平せんぱい〟が撮る様な〝風景写真〟は、カメラを始めて一ヶ月で諦めた。


 事前に被写体の状況──時間帯から太陽の位置、天気の予報から光線状態、等々…──を考えて、現場では重たい三脚を広げて、ただひたすら〝そのとき〟を待つ……。

 そんなときの紀平せんぱいの表情かおはかっこよかったけれど……、

 それは一葉の性分には合わなかった。撮る前に考えておくことが多すぎて、ちっとも楽しめなかったのだ。


 それで、そんな一葉に、先輩の中の一人がスナップを勧めてくれたのだった。

 人懐こくて人見知りのない一葉にはぴったりなんじゃないかと。

 一葉もそう思った。

 最初それには基本に拘って難色を示していた〝紀平せんぱい〟だったが、一葉の撮ってくる写真の中の人物の、生き生きとした表情には納得してくれているようで、ほどなく〝置きピン〟にして撮影距離を目測して撮るやり方を教えてくれたのだった。


 結局、面倒見がいいのだ。

 そこは彼の美点だと、誰もが認めている。




 一葉は、渡月橋を渡り終えると北詰の交差点を右に折れ、そのまま桂川を右手に、三条通りに通じる川沿いを歩いて行った。



 夏は、始まったばかりだ…──。

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