第465話 小説はお喋りでは?

 眠ったはずなのに眠いし、起きて作業をするに連れて、どんどん眠くなる。もう一生眠っていても良いのではないか、と思うが、一生眠っていれば、死んでいるのとほとんど変わらないので、それは一生と呼べるのか疑問である。


 話は変わるが、小説とは、お喋りなのではないかと思った。多くの場合、お喋りには内容が含まれていない。いや、含まれているのだが、その内容は何でも良いといった汎用性を持つ。授業中には、授業に関係のあることしか話してはいけないから、それはお喋りではないが、友人と喫茶店でべらべらと話しているときは、内容が固定されていないし、全然体系的ではない。お喋りはそうした性質を持っている。


 現代では(というか、昔からずっと?)、小説は決まった展開をしないといけないことになっている。起承転結という言葉があるが、この通りになっていないといけない。また、意味深長な言葉を使ったら、それがきちんと活かされなくてはならない。いわゆる伏線回収というものだが、これがないと読んでいて面白くないらしい。


 小説がお喋りだとすれば、起承転結を伴い、伏線回収してお喋りする人間がいるのだろうか、と個人的には不思議に感じる。

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