第103話 誰でもは評価できない芸術
その分野の専門家しか楽しめないものが、最近は増えているように感じる。いわゆる「おたく」と呼ばれる人向けに作られたものだが、それによって、それ以外の人が、入りづらくなってしまっている。
芸術作品は、一般に公開されるものだから、本来なら、誰もが鑑賞者になれるはずである。というよりも、芸術作品とは、もともとそういうものである。けれど、技術が向上し、新しい技法が生み出されることによって、徐々に専門的な知識を有する必要が生じ、そうした知識を持たない人間は、作品を鑑賞する資格はない、というような扱いを受けることが多くなっているように思う。
日本の文学作品は、誰でも読めるものだが、読んで思った感想をそのままネット上に投稿すると、「よく知らない癖に〜」みたいなバッシングを受けかねない。読書家は、今までの自分の読書歴を明らかにしたうえで、感想を述べなくてはならなくなっており、つまりは読書が専門家しつつある、ということである。
本当の評価とは、その分野に精通していない人間が下すものではないか、と個人的には考える。普段から関わっている人間には、バイアスがかかっていることが多いため、無意識の内に、偏った評価をしがちだからである。
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