第七章 千年の記憶

 神楽坂を訪れた翌日、諒輔は再び忠彬の入院している病院に行った。特別室のドアを開けて中に招じ入れたのは今回も葛城だったが、通された部屋はリビングではなく別室であった。忠彬は医療機器に囲まれたベッドに、点滴の管、心電図などのモニターを取り付けられた姿で寝ていたが、諒輔が近づくと眼を開いた。

 諒輔は忠彬と葛城に事の次第を報告した。聞き終えた忠彬は「そうか、やはりな」と言うと眼を閉じ、じっと何かに耐えている様子であった。予期していたとはいえ、相当なショックを受けたようである。

「諒輔さん、もう一度理紗様に会って説得する訳には行きませんか」

葛城は縋るように諒輔を見た。

「いや、無理強いは禁物だ。理紗が自ら会うと言うまで、もうしばらく待つことにしよう」

 忠彬は苦しそうな表情を浮かべると、身を捩った。かなり具合が悪そうである。末期がんの痛みを緩和するためモルヒネなどが投与されているが、それでも時々苦痛が襲うようであった。

 突然ベッドの周囲に置かれた医療機器の一つが、赤く点滅しながらピッピッピッという警告音を発し始めた。葛城が慌ててナースコール用のインターフォンのボタンを押す。

「すぐに来て下さい。血圧が低下しています」

 意外な展開に諒輔は成す術も無く茫然としていた。すぐに看護師と医師が相次いで走り込んできて、すばやく状況をチェックすると、注射などの処置を施した。

 処置を終えた医師は、葛城と諒輔を手招きしリビングに行くと「この数日病状が安定していたので、私達も安心していたのですが、容態が急に悪化したようです。今日明日ということはないでしょうが、万一に備えて関係者に連絡するなどなされた方がいいでしょう」と告げ、続けて「一時間位してからまた参ります。その間に何かありましたら呼んで下さい。すぐ駆けつけますから」と一礼すると、看護師と共に特別室を出て行った。

 突然の成り行きにただ驚いていた諒輔だったが、事の重大性に気付き、葛城に申し出た。

「クリスチーナさんと、理紗さんに連絡した方が良いのではないでしょうか。よろしければ私から事情を伝え、なるべく早く病院に来るよう話しますが」

「そうですね、そうして頂けると助かります。私はその他然るべき方たちに連絡いたします」

 諒輔は忠彬の様子に異常が無いことを確かめると、葛城にロビーに行くと声をかけて特別室を出た。気分転換を兼ねてロビーでクリスチーナと理紗に電話をする積りであった。 

 

 特別室専用ロビーには、受け嬢の他誰もいない。諒輔は隅のソファーに腰を落ち着けると、先ずクリスチーナに電話を入れ事情を話した。クリスチーナは忠彬が危篤状態と聞くと驚き、大学での講義が終わり次第、東京に駆けつけると約束してくれた。

 次に理紗に連絡を試みたが、電話は一向に繋がらない。留守番電話に至急連絡するようメッセージを入れたが、その後何分経っても何の音沙汰もない。困惑しつつも諒輔は、神楽坂邦楽稽古処に聞けば何か分かるかも知れないと思いついた。

 メモしておいた番号に電話すると、先日の女性スタッフと思われる者が電話に出て、理紗は現在、銀座のホールで邦楽ライブに出演中であると教えてくれた。あと1時間もすればライブは終了するとのことであった。諒輔は再度理紗の携帯に電話して、留守電に忠彬が危篤であること、クリスチーナが東京に向かっていること、理紗もなるべく早くこの病院に来て欲しいことなどを吹き込んだ。

 

 特別室に戻りると葛城はベッドの傍らの椅子に座っていた。

「ずっと眠られています。病状は安定しているようです」

 諒輔は頷き、葛城の隣に腰かけた。そして互いの報告をし終えると二人は沈黙し、忠彬の寝顔を見守った。

 

 諒輔はふと何かの気配を感じて目を覚ました。この数日来の疲れのため居眠りしてしまったようだ。隣を見ると葛城も居眠りしている。

 先程の気配は何だったろうと、周囲を見回した。するとリビングルームに通じる入口の近くに白い靄のような影が二つ、ぼぅっと浮かび上がっているのが見えた。その二つの影は次第にコントラストを強め、人の形となり、どうやらそれが妙な着物を身につけた少年と識別できるようになった。ただ普通の人間と違うのは、頭髪の生え際から大きな耳が飛び出していることで、もう片方の少年には角まで生えていた。二人が着ている装束はどこかで見たような記憶がある。思いを巡らせて諒輔は気付いた。それは葵祭の牛車の赤い引綱を持つ牛童が着ている水干というものにそっくりであった。

 諒輔は隣で居眠りをしている葛城を肘で突いた。

「何か異様な者がいます」

 諒輔が葛城の耳元で囁くと、目覚めた葛城は「あぁ、居眠りしてしまいましたか」と言って眼を擦った。

「葛城さん、あそこです。牛童のような水干姿の少年が二人立っています」

諒輔の言葉に我に返った葛城は、慌てて椅子を立ち、忠彬に近づいた。

「お目覚めなのですね」

「うむ、先程から目覚めておった」

「私としたことが気付かず失礼しました。ところで今、式神をお遣いになりましたか」

 葛城は何かを探すように周囲を眺め回した。

「たった今、犬麻呂と牛麻呂を呼び出した」

「私には何も見えませんが……でも不思議です。諒輔さんは見えるようです」

「うむ、そのようだな」

 忠彬は、葛城に小声で何か囁き、聞き終えた葛城が諒輔を呼んだ。

「諒輔さん、会長がお話をしたいそうです。こちらに来ていだだけませんか」

 葛城はベッドの操作ボタンを押して、忠彬の上体を起こすと一歩退いた。

 諒輔は忠彬の近くに歩み寄り、話が良く聞こえるように腰を屈めた。

「君は彼の者が見えるのだな?」

 忠彬が諒輔の眼を鋭い眼光で見据えた。

「はい、牛童のような装束をした二人でしたらそこにいますが」

「うむ、そうか。恐ろしいとは思わぬか」

「いえ、少しも、それどころか、何やら懐かしい感じさえします」

諒輔の返事を聞いて忠彬はしばらく考え込むようであった。

「重ね重ねの願いで恐縮の極みだが、是非にも引き受けて欲しい願い事がある」

 そう言うと忠彬は右手を上げ、指先で宙に小さな円を描いた。すると式神と思われる二人の童がするすると諒輔の近くに歩み寄り、揃って深々と辞儀をした。式神に頭を下げられて仕方ない。

「分かりました、ともかく詳しく説明して下さい」

まんまと忠彬の策に嵌められたようにも思われたが、兎も角その願いを聞くことにした。

 忠彬は頷くと、呪文を唱えた。すると二人の式神は輪郭をぼかして行き、白いガス状のものとなり消えてしまった。それを見届け、忠彬は語り始めた。

 

「私の命がもう僅かしか残されていないことは、この私が誰よりも良く知っておる。しかしこのまま死んでしまっては、千年以上連綿として続いた裏土御門が私の代で途絶えてしまう。死ぬ前に理紗に継いで貰おうと思っておったが、今となっては手遅れと断念せざるを得ない」

 そこまで言うと忠彬は疲れたのか話を中断し呼吸を整えた。

「裏土御門家が途絶えることは何が何でも避けねばならぬ。そこで最期の願いとして、君に裏土御門家の長を引き継いで貰いたい」

思っても見ない申出に諒輔は驚いた。裏土御門家の長は摩訶不思議な力を有して天皇家や安倍家の危急を救うという途方もない存在であるはずだ。

「でも、私は安倍の血筋の者ではありません。そんな私が引き継ぐことなどできるのでしょうか」

「君は常人には無い能力を持っておる。先ほどそれが改めて実証された。大丈夫だ」

 気力を振り絞って訴える忠彬の迫力に諒輔は圧倒された。もうすぐ死んで行く者の最期の願いでは断る訳には行かないだろう。

「うーん、自信はありませんがそれ程に仰るなら……」

「そうかありがたい。それでは私の両手をしっかり握って下さらんか」

「こうですか?」

 訝しがりながらも諒輔は、言われるままに差し出された忠彬の両手を双方の手で握り締めた。すると握った双方の手が熱くなり、次に強烈な電流のようなものが忠彬の両手から流れ込み脳にまで及んだ。そして大量のイメージが次から次へと奔流のごとく押し寄せ、諒輔の意識の中で逆巻き、渦巻いた。同時に猛烈な頭痛が襲いかかって来た。諒輔は忠彬の手を振り解こうとしてもがいたが、力が全く入らなかった。ひたすら歯を食いしばって耐えたが、遂に力尽き崩れ落ちた。


 葛城は諒輔が忠彬に覆い被さるように崩れ落ちるのを見て、諒輔を抱え起こし、椅子に座らせた。諒輔はぐったりとして、時折身体を痙攣させている。

 振り返って忠彬の様子を窺うと、がっくりと首を項垂れ気を失っているようだ。慌てて葛城がベッドに近寄ると、数種類の医療モニターが点滅をし、警告音を発し始めた。葛城はナースコールのボタンを押して、医師と看護師を呼んだ。

 やってきた医師は応急措置を施すと、ストレッチャーの運び込みを看護師に指示した。

「昏睡状態に陥りました。非常に危険な状態です。この病室では充分な治療と監視が出来ないので、集中治療室に移します。よろしいですね」

 医師が葛城に告げると、看護師たちは手慣れた手付きで忠彬の身体をストレッチヤーに移した。そして一同はストレッチャーを取り囲み、急ぎ足で集中治療室に向け出て行った。

 葛城は、椅子に腰かけ、頭を抱えて身体を小刻みに震わせている諒輔に近づき、「諒輔さん、大丈夫ですか。しばらくベッドで休んでいて下さい。私は集中治療室に行ってきますから」と耳元で叫んだ。そして肩を差し入れ、諒輔を立ち上がらせ、支えながらベッドに運び込んだ。大きな諒輔を抱えて息が切れ、肩で息をしていたが、諒輔の靴を脱がし、シーツを胸元まで掛けると特別室を出て行った。

 

 諒輔は放心状態でベッドに横たわっていた。混濁した意識がどんどん拡散して行く。


 どの位の時が経ったのだろうか。諒輔の脳の一部が何かに感応した。どこか遠くで声がする。その声は次第に鮮明になり、どうやら諒輔の名を呼んでいるようだ。眼を開けようとしたが、瞼に力が入らない。手足も同様で全く動かすことが出来ない。そうこうする内にも、呼びかける声は更に大きく鮮明になった。

『私の声が聞こえるか』

 諒輔は答えようとするが、話すことはもちろん、頷くこともできない。

『そうか聞こえておるな。心で思えば私に通じる、言葉は入らぬ』

 聞き覚えのある声である。

『その声は……』

『うむ、忠彬だ』

 諒輔は今起こっている事が何が何だか分からず夢の中の出来事ではと疑った。

『いや、夢ではない。テレパシーで伝えておる』

 忠彬なら他人の心を読む事も、自分の心を他人に伝える事も出来て当然かもしれない。

『今どこにいるのですか』

 諒輔は疑うことを止めて尋ねた。

『私は、今、集中治療室のベッドに寝かされておる。もう間もなく命が尽きるであろうがその前に是非にも伝えておかねばならぬことがある。裏土御門の長となる者にとり、極めて重要なことなので心して聞いて欲しい』

 忠彬がテレパシーで諒輔に伝えたのは次のようなことであった。


 安倍晴明公は嫡男に、天文、暦、有職故実などを伝え土御門家の正統としたが、これとは別に、式神遣いなどの呪法に類するものは、非嫡出子の子息のうち霊力が備わった者に伝えることにした。これが裏土御門家の始まりであり、代々その伝承は、直接記憶を脳に転写する方法で行われた。

 この秘伝の法により、自分の記憶を諒輔の脳に送り込んだが、転写された記憶はまだ封印されている。しかし、このまま放置しておくと、やがて記憶が一斉に蘇り、過去の記憶が野放図に発露され、多重人格のような状態になってしまう。

 これらの記憶を諒輔の意のままに制御して、駆使出来るようにするには、記憶の跡を遡り、始祖の晴明公の下に行き、裏土御門の長として認めて貰わねばならない。自分を含め、過去の皆が為してきた極めて重要な通過儀礼である。

 過去の記憶の封印が解かれるのは明日の夜明けである。従って今夜中に晴明公の承認を得なければならない。晴明公の下に行き、承認を得るのに要する時間は、順調に行けば三十分程度である。晴明公の下に行く方法の記憶だけは封印されていないので、強く心に念じさえすれば今すぐにも晴明公の下に行けるであろう――――


『さて、伝えるべきは全て伝えた。これで思い残すことは無い。そろそろ、この世とお去らばするとしようかの』

『待って下さい。本当に私のような者でも大丈夫でしょうか』

『私が見込んだ者だ。大丈夫、心配するな。よいか、くれぐれも夜が明けぬ前に……』

 声は次第に小さく不鮮明になっていき、『いざ、さらば…..』という声が微かに聞き取れたのを最後にそれきり声は聞こえなくなった。その後、諒輔が幾ら呼びかけても答えは返ってこなかった。


 ちょうどその頃、集中治療室では、医師が葛城に対し、忠彬が息を引き取ったことを告げていた。


 諒輔は我に返った。頭がずきずきと痛む。思わず顔をしかめ頭に手をやった。次にそっと眼を開いてみた。今度は瞼を開けることが出来た。しかし視界の全てがぼやけている。それでもしばらくするとようやく眼の焦点が定まり、周囲の状況を視認出来るようになった。

 部屋の様子から忠彬が入院している特別室の病室であると分かり、少し気分が楽になり、先程の出来事を振り返る余裕が出来た。忠彬の手を握った途端、激痛と共に夥しい量のイメージが流入してきて、遂に耐えられず崩れ落ちたことまでは覚えている。そして葛城が抱えてくれてベッドに寝かせてくれたことも微かに記憶がある。しかしベッドに倒れ込んだ後に我が身に起こったことは果たして現実だったのか、それとも夢幻の類であったのか。

 誰かが部屋に入ってくる気配がして諒輔は病室の入り口を見た。入ってきたのは葛城であった。

「諒輔さん、気分はどうですか」

 ベッドの近くにきて諒輔の顔の上で語りかける葛城の目は赤く充血している。

「大分頭痛は治まりました。でも何が何だかよくわからなくて……」

 諒輔は起き上がろうとして、ベッドの手すりを掴み、何とか上体を起こした。

「つい先ほど、忠彬様が亡くなられました」

 また涙が溢れてきたのであろう、葛城は手の甲で目を拭った。

「あぁ、するとあの時が、亡くなられた時だったのですね」

 諒輔は忠彬がテレパシーで語りかけてきた事を葛城に詳しく説明した。葛城は一々頷いて聞いていた。

「忠彬様がテレパシーをお使いになったのは間違いありません。ちょうどその頃、集中治療室の脳波計が激しく動いていましたから」

 傍らにあった椅子を引き寄せ腰掛けると言葉を繋いだ。

「忠彬様が伝えられたことは極めて重要なことです。必ず今夜中に晴明公の下に行かれて下さい」

「はぁでも……」

 晴明に会うこと自体はさほど恐ろしいと思わない。それどころか、会って見たい気さえする。晴明は諒輔にとり、子供のころからの憧れの人だったのである。しかし、晴明が認めてくれなければ、死ぬか、狂人になるか、そのいずれでしかない。

「忠彬様は、最後におっしゃられたのでしょう。自分が見込んだ者だ、大丈夫、心配するなと……躊躇するなんて諒輔さんらしくありません」

 逡巡する諒輔をみて葛城が叱咤激励した。

「分かりました。行きますよ。それ以外の選択肢はないのですから」

 諒輔は不貞腐れた子供のような表情で答えた。

「えぇ、えぇ、それでこそ、諒輔さんです」

 葛城は乗せ上手、煽て上手でもあるようだ。

 

 その時ノックする音がして、ドアから特別病棟の受付嬢が顔を覗かせた。

「葛城様、お客様をご案内して参りました」

 受付嬢が退くと入れ替わりに病室に入ってきたのは理紗であった。

「あぁ、諒輔さん、こちらでしたか。何度か携帯に電話したのですが繋がらなくて」

 今日も理紗は和服姿である。きっと邦楽ライブをしていた銀座のホールから、直接駆け付けてきたのであろう。葛城はその女性の容姿から、安倍理紗と判断したようで、歩み寄り、椅子に座るよう勧めた。理紗はベッド上の諒輔を見て心配そうな表情をした。

「諒輔さん。どうされたのですか?」

「いえ、もう大丈夫です、心配ありません。あ、こちらは葛城さんです」

 葛城はポケットをあちこち探って、名刺を取り出すと差し出した。互いの挨拶が終わると葛城が尋ねた。

「お爺様のことは、まだ何もお聞きになっていませんか」

 頷く理紗を見て葛城は沈痛な面持ちで、忠彬が亡くなったことを告げた。理紗は覚悟していたのであろう、冷静な態度を崩さなかった。

「母から先ほどメールがありました。新幹線に乗ったそうです。こちらに着くのに後二時間ほどかかるとの事でした」

「そうですか、それではお母様が見えたら葬儀の事など相談させていただく事にして、その前にお爺様の所に行かれますか?」

「はい、お爺様のお顔を拝見したいと思います」

「では、霊安室の用意が整った頃と思いますので、ご案内しましょう。諒輔さんはどうしますか?」

 諒輔は同行することにした。葛城が隣室から車椅子を持ってきて、乗ることを勧めたが、申し出を断りベッドを降りて靴を履いた。何とか歩いて行けそうであった。


 病院の地下にある霊安室の前に、男が一人見張り番をするように立っていた。その男は葛城の姿を認めると葛城の側に来て小声で何やら話し掛けた。葛城は一々頷き返している。男が着ている詰襟服に見覚えがある。どこで見たのだろうと思案して気付いた。葛城が栗原運輸に来た折のリムジンの運転手であった。

 霊安室に入るとそこにも、男が一人立っていた。黒の上下に黒のネクタイ、手には白い手袋をしている。こちらの人物の面識は無い。財団の職員か、あるいは葬儀社のスタッフと諒輔は見当を付けた。

 霊安室の奥まったところに祭壇が設えてある。その前に神式と思われる枕飾りが施された忠彬の亡骸が安置されていた。忠彬の顔は穏やかで、威厳に満ちていた。忠彬の亡骸を目の当たりにした理紗は、動揺を隠しきれない様子であった。理紗に会うことを切望していた忠彬の想いに応えなかったことが、理紗の心を苛ませているに違いない。

 

 忠彬の亡骸と対面を終えた三人は、また特別室のリビングに戻った。葬儀の打ち合わせなど色々話し合わねばならないことがあったからだが、諒輔としては、それらを協議する前に、理紗に事の次第を報告し、理紗の了解を得ておきたかった。本来であれば裏土御門家は、理紗が継ぐべきであったからである。葛城にその旨を話すと「ご尤もです」と言って賛意を示したので、諒輔は一部始終を理紗に語って聞かせた。

 

 聞き終えた理紗は半信半疑の状態であった。安倍の血筋を引く者として、素直に肯定してしまいたい気持ちがある一方、母方から引き継いだ合理的な DNAが、真っ向から諒輔の話を否定していたからである。

「正直に言いますが、記憶が転写されるとか、遠い昔の先祖の認可が必要とか、そのような話、直ぐに信じるわけには行きません。でもこれだけははっきりとお答え出来ます」

「それは何ですか?」

「私に代わって諒輔さんがお爺様の後を継いで裏土御門家を継ぐことは、まったく異存ありません。それどころか代わってくれた諒輔さんに感謝します。大変な事を押し付けてしまったようで申し訳ありません」

「いえ、理紗さんから感謝されたり、謝られたりするなんてとんでもないです。理紗さんはまだ信じられないでしょうが、僕はあの方が言われたことをすべて信じます。ですから間もなくしたら、記憶の跡を辿って晴明公の下に行こうと思います」

「信じません。信じはしないけど、何かそれはとても危険なことだと心の底で何かが警告を発しています。そういう感覚は昔から私にはあってよく当たるのです。ですから行くのは止めた方がいいのではないでしょうか」

「えぇ、とても危険なことのようです。でも行かなければならないのです。それ以外の選択肢は無いのです……そこでお二人にお願いなのですが」

諒輔はそこで一旦言葉を区切り二人の顔を真剣な眼差しで見つめた。

「何でしょう」

「何ですか、おっしゃって下さい」

 二人は口々に言って、諒輔の言葉を待った。

「僕が記憶の果てから戻って、正気に帰るまで、そう多分三十分位と思うけど、僕の側に付き添っていてくれませんか」

 諒輔は我ながら情けないと思ったが、側に誰か付いていて欲しいと切実に思ったのだ。

「えぇ、そうすることが諒輔さんのお役に立つなら」

「はい、私でよろしければ理紗さんと一緒にお側にいさせていただきます」

 二人の返事を聞くと諒輔は大きく頷き、吹っ切れた表情で告げた。

「ありがとう。それでは千年の時間旅行に旅立つとしましょうか」

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