第98話『その千歳が落ち込んだ』


オフステージ(こちら空堀高校演劇部)

98『その千歳が落ち込んだ』       





 諺に『人間万事塞翁が馬』というのがある。


 良いことが悪い結果を招いたり、悪いことが良い結果を招いたり、人生先は分からないもんだという意味。

 ホームステイ先のお婆ちゃんに言うと「禍福あざなえる縄のごとし」という言葉も教えてくれた。

 これは、人生というものは、良いことと悪いことが捩られている縄のようなもんだという意味で、ま、人生捨てたもんじゃない! というAKB48のヒット曲のような含蓄がある。


 ミッキーを説教しにいって、やっちまった捻挫がこじれて車いすの世話になって二週間。


 とんだ不幸だったけど、車いすでは大先輩の千歳といっそうの仲良しになれた。

 空堀高校はバリアフリーのモデル校だけど、それでも身体障碍者が普通に生活するのは大変なんだと、それこそ身をもって知ることになった。

「もー、見てられません!」

 にわか車いすのわたしが危なっかしくって、千歳は拳をふるって宣言。電動車いすを止めた。

「このほうが小回りが利くんです」

 あくる日からは人力に替えてきた。

 じっさいに小回りが利くためか、わたしが人力なので合わせてくれたのか、たぶん後者の方だろうと済まない気持ちになった。



「ほらね!」



 廊下で車いすバスケットの選手のようにクルクル回って見せてくれる。

「わたしも!」

 真似してやってみるけど、千歳の半分の速さも出ない。

 速さは出ないけど乳酸は出るわけで、三分もやると腕やら肩やらの筋肉がパンパン。

「あーーもうダメええええええええええ!」

「ハハ、無理しない無理しない!」

「しかし、この細っこい体のどこに筋肉が付いてんのよ」

「アハ、いっしょにお風呂入ったら分かりまーす」

「よし、こんどいっしょに入ろう!」


 約束はしたけど、健常者のようにはいかない。


 介助者がいるし、介助者も含めて四人が一度に入れるお風呂は一般家庭には無い。

 ま、その場のノリで出てきた掛け声みたいなもんだから、それっきりになっている。


 その千歳が落ち込んだ。


 文化祭で演劇部が芝居をやることになったからだ。



 でも、何年も芝居をやったことのない演劇部なので何をやっていいか分からなくて、図書室で鳩首会議。

 なかなか決まらなくて唸っていると、図書部の敷島先生、彼女は八重桜というニックネームなんだけど、その意味は分からない。

 先生が『夕鶴』という芝居を提案して、ついでに主役を千歳に押して決まってしまった。

 それから千歳に元気が無い。


 車いす仲間として放っておけないので聞いてみたけど「え、なんでもないわよ」と言って笑顔を向けてくるばかり。


 ちょっと寂しい。

 演劇部で一番仲良しになったと思っていたけど、やっぱアメリカ人のわたしには越えがたいバリアーがあるような気がした。

 外国人にとって日本は居心地のいい国だけど、居心地の良さは観光客でも長期留学生でも変わらないんだけど、結局はお客さんというところがあって、用意には心を開いてもらえないんだと、ちょっと寂しい。


 それで三日ほど、千歳とは距離が出来てしまった。


 ドアというのは押すか引くかすると開くものなんだけど、心のドアは簡単じゃない。

 だから下手に働きかけずに、そっと見守っている。

 アメリカだったら、友だちがこんな風に変わってしまったら、息のかかるくらい近くに寄って肩に手をかけ「黙ってちゃ分かんないよ」と声をかける。そいで、友だちが傷ついていたらガシっとハグする。

 でも、ここは日本だ。忖度とか以心伝心とか空気を読んじゃう日本なんだ。


 ちょ どいてどいて! ごめん通して!


 声に驚くと、ロードレースのような勢いで車いすを漕いで千歳が突進してきたのは朝のホームルーム間近の廊下。


 ちょ、ち、千歳えええええええええええええええええ!!


 激突寸前、器用に車いすを急停車、赤い顔で宣言した。


 ミリー、あなたが主役をやるのよ!


 え!?

 

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