49 王宮に蔓延る毒(エリーアス視点)

 王太子となり、グリンダ侯爵令嬢と正式に婚約を結んだマティアス殿下は、品行方正、容姿端麗、清廉潔白と誉れも高く、民からの信頼も厚い。


 このナゼール王国の現国王は、前国王であるマティアス殿下の祖父が何者かに暗殺されたため、急遽王位に就く事となり、大変苦労されたという。

 だから国王も一人の親として、殿下の教育にはかなり熱心だったと聞く。

 殿下も周囲の期待に応えるべく、絶え間なく努力を重ねてきた方なので、私自身も殿下に尊敬の念を抱いている。

 このまま殿下が王位に就けば、この王国は順風満帆で輝かしい未来が待ち構えている……と、官民誰もが夢を見ていたのだが──。


「エリーアス様! またグリンダ様がいらっしゃいません!」


「……またですか」


 王妃教育を施すために、王宮から依頼を受けた指南役が私に訴えてくる。

 それは本来私の役目では無いのだが……しかしそれは仕方がない事なのだろう。たとえ殿下に直訴したとしても、その訴えは殿下には届かないのだから。


 私は思わず溜息を零す。


「また執務室でしょう。私もこれから向かいますので、申し訳ありませんが少々お待ちいただけますか?」


「どうかよろしくお願いします……! このままでは婚姻までに間に合いません!」


 指南役の悲痛な叫びを聞きながら、私は執務室へと足を運ぶ。

 飴色の重厚な扉を開くと、そこには以前よりかなり豚……豊満になったグリンダ嬢に愛を囁く殿下と、その周りを取り囲んでグリンダ嬢を熱い眼差しで見つめる側近たちが居た。


「ああ、グリンダ……この柔らかく滑らかな手に口付けても良いだろうか……」


「うふふ。マティアス様ったら、手だけでよろしいの?」


 ……何だコレは。


 以前の勤勉実直な殿下は一体どこへ!? と言った状態に目眩がする。


 ──やはり、レオンハルト皇子の仰る通り、殿下はかなり<魅了>の効果に侵されている様だ。

 こんなに醜く肥え太ったグリンダ嬢に愛を囁けるとは。人は外見では無いというが、いやしかしコレは……。


 私はそこの諸悪の根源、グリンダ嬢に向かって話しかける。


「グリンダ様、指南役が探しておられましたよ。早くお戻り下さい」


「まあ! エリーアス様ったら冷たい事を仰るのね。あまりにも厳しく指導されて私、辛くてたまりませんのに……」


 まだほんの初歩だろうに、あの程度で音を上げるとは……今までの王妃達に土下座して来い。


「そうだぞ! エリーアス! こんな辛そうなグリンダに追い打ちをかけるような事を言うな!」


「そうですよ! グリンダ様が可哀想ですよ!」


「グリンダ様を悲しませると、いくらエリーアス様でも許しませんよ」


 婚約して、グリンダ嬢が登城するようになってから、殿下達はすっかり人が変わってしまい、グリンダ嬢至上主義のようになってしまった。

 この事に王や王妃は胸を痛めていると言うが……。その親心も今の殿下には届かないのだろう。


「私もグリンダ様とご一緒したいのをぐっと我慢しているのです。グリンダ様の為を思えばこそ、心を鬼にして進言させていただいているのですよ」


 レオンハルト皇子のアドバイス通りに、私はあくまでグリンダ嬢に惹かれていると言う風に装っている。

 王太子の婚約者に横恋慕してしまった側近が、身分違いの恋に苦しんでいるような演技をしろとは……無理難題を言ってくれる。

 しかし皇子曰く、脳内お花畑のこの女には効果覿面のようだ。


「まあ……! エリーアス様はそこまで私の事を……? ……なら仕方ないわね。指南役の元へ戻って差しあげるわ。そこまで連れて行ってくださる?」


「はい、喜んで」


 私は何とか微笑みを浮かべてグリンダ嬢のブヨブヨとした手を取り、殿下達の嫉妬の視線を背に受けながら執務室から退出する。

 しかし演技としてもコレはキツイ。まるで拷問のようだ。しかしグリンダ嬢には心の内を知られる訳には行かず、何とか顔が引き攣りそうになるのを我慢する。


「そう言えば、貴女の義姉であるユーフェミア嬢のお加減はいかがですか?」


「ああ、お義姉様……。私もお会い出来ず心配しておりますの。でも感染させる訳にも行きませんし、ずっと部屋に籠もっていらっしゃいますわ」


 今思い出したような素振りのくせに、心配しているとは片腹痛い。


「早く良くなると良いですね。もしよろしければ、腕の良い医者を紹介させていただきますよ?」


「まあ、お優しい。でもお気持ちだけで結構ですわ。我が侯爵家の主治医も優秀ですのよ」


「そうですか。なら安心ですね」


 もう長い事治せていない医師が優秀だとはこれ如何に。普通は疑問に思うところだと言うのに……。

 しかし未だユーフェミア嬢の安否確認は出来ず、か……。早く彼女が無事かどうか知りたいのに、忌々しい女だ。


 名残惜しそうなグリンダ嬢を指南役に押し付け……引き渡し、やっと苦行から解放されて一息ついた私はふと、銀の髪と紫の瞳を思い出す。


 少ししか会話を交わした事が無い筈なのに、ずっと心の中にいる存在。もう一度彼女に会って話がしたい。その紫水晶の瞳に私を映して欲しい──。

 私の中に渦巻くこの感情は一体何だろうと思った時、私の腹心の部下である文官の一人が、慌てた様子で私の元へやって来た。


「エリーアス様、お忙しいところ申し訳ありません。至急確認したいことがありまして……」


 いつも落ち着いている性格の彼にしては珍しい。何だか嫌な予感がする。


「実はユーフェミア・ウォード・アールグレーン侯爵令嬢の婚姻話が持ち上がっている様なのです」


「……! 何だと!?」




* * * あとがき * * *


お読みいただきありがとうございます。


エリーアスさん、初恋はまだなので戸惑ってるの巻。


次のお話は

「50 王国に蔓延る闇(エリーアス視点)」です。


不快な表現があります。ご注意ください。


どうぞよろしくお願いいたします!

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