アンチラブコメ倶楽部

夏井優樹

第1章 アンチラブコメ倶楽部へようこそ

第1話 ラブコメなんて現実には起こらない

 諸君はラブコメにありがちなシチュエーションをいくつ知っているだろうか?


 例えば、通学路で食パンを咥えた女子高生とぶつかったり。

 例えば、目を覚ましたら隣で下着姿の美女が眠っていたり。

 例えば、急に神風が吹いて女子高生のスカートが捲れたり。

 例えば、実の妹がお兄ちゃんLOVEすぎて困ってみたり。

 例えば、美少女だらけの部活に無理やり入部させられたり。


 俺が把握しているだけでもこれだけあるわけで、『〇〇のあな』とか『○○メイト』に生息する連中に質問してみたら、きっと古今東西のあらゆるラブコメが網羅もうらされた珠玉のラブコメ百科事典ができるはずだ。


 帯コメントには『萌死もえししたいあなたへ♪』とか意味不明な煽り文が書かれて、ラノベの新刊コーナーに仰々しく並べられるだろう。

 もうミリオンミット間違いなし。

 うむ。我ながら実にどうでもいい妄想である。つーか、萌死ってなんだよ。


 童貞をこじらせた中学二年生じゃあるまいし、英語の授業中に『Ⅵ』の発音でドキドキするぐらいどうでもいい。

 ちなみに正しい発音は『スィックス』なのね。それが日本人の耳には『セックス』に聞こえるという遺伝子レベルの悲劇。神の悪戯いたずら。フリーメイソンの陰謀。もうホントに超絶どうでもいい。


 ラブコメなんて現実には起こらない。

 ソースは俺。実の妹がお兄ちゃんKILLキルすぎて困っている。

 思春期の女子中学生とかニトログリセリンと一緒だからね。

 マジ取扱注意の危険物。同じコップでジュースを飲んだぐらいでブチ切れるなと抗議したい。


 とまあ、そんなわけで高校二年目の四月も半分を過ぎた頃だった。

 放課後の教室に一人残ってラノベの新刊を読んでいると、不意にガラッと教室の引戸を開く音がした。


花村蓮太はなむられんたくん」


 透明感のある柔らかな声に名前を呼ばれる。聞き覚えのない女性の声だった。そもそも校内で女性に話しかけられるとか超珍しい。学外でも以下同文だ。

 俺が不審に思いながらも教室の入口に視線を向けると、山吹やまぶき色の制服を着た少女が扉にもたれかかるようにしてこっちを見ていた。

 腰まで届きそうな艶のある黒髪。端正な顔立ちにクールな印象の鋭い目つき。すらっとした細身のせいだろうか。どことなく儚げな雰囲気が漂っている。


桜宮さくらみや……小春こはる


 自然と彼女の名前を呟く。

 クラスメイトだから面識があるのは当然なのだが、桜宮小春に声をかけられたことには多少なりとも驚いた。

 普段の彼女はどこか近寄りがたいオーラを放っており、喧噪けんそうに包まれた教室でも一人で本を読んでいることが多い。周囲から孤立しているわけではないが、少なくとも自分から積極的に話をするようなタイプではなかったし、俺もこれまでの高校生活で彼女と会話を交わしたことは一度もなかった。

 要するに無口でミステリアスな美少女。それが彼女の印象。まるでよくあるラブコメのヒロインみたいだ。


「はじめてまして」


 桜宮が微笑みながら会釈をする。


「あっ……どうも」


 俺はぎこちなく返事をする。去年も同じクラスだったことは禁則事項きんそくじこうです。


「あら失礼。読書の邪魔をしたかしら?」


「あっ……いや……別に……」


「ふーん。帰宅部という噂は本当なのね」


「いや……その……あの……」


 緊張のせいか会話が続かない。だってほら、クラスメイトの女子に話しかけられるとか想定外の事態だろ。おまけに美少女だしな。俺の人生のハイライトだろこれ。

 そういやさっきまで読んでいたラノベもこんな感じのストーリーだったな。


 放課後の教室。

 美少女と運命の出会い。

 そこから怒涛のハーレム展開。

 

 それにしても最近のラブコメは展開が早すぎて困る。それと異世界転生をテーマにした作品で溢れ返っているのも無理。既視感きしかんが半端なくてお腹いっぱい。


「ねえ。花村くん」


 いつの間にか目の前に桜宮が立っていた。


「あぁ……なに?」


「ちょっと付き合ってもらえる?」


 桜宮が慈愛に満ちた聖母のような表情で手を差し伸べてくる。


「……どういうこと?」


「ほら。急ぎましょう」


 俺が戸惑うのも関係なしに、彼女は無理やり手を握ってきた。


「おい! なにすんだよ!」


「いいから私についてきて」


 俺の発言は完全無視。そのまま強引に椅子から引きずり下ろされる。

 乱雑な扱いに反論しようと体を起こすが、桜宮は振り返りもせずにスタスタと教室から出て行った。

 黙って自分の背中を追いかけろとでも言いたいのだろうか。

 美少女のくせにやることが男前すぎる。

 おまけに説明が足りないとこもマジ男前。

 これがラノベなら鈍感系主人公や難聴系主人公にカテゴライズされるな。もういい加減にテンプレすぎて需要ないだろ。

 とか考えていたのだが、このまま彼女の背中を見送っていても仕方ないので、俺は渋々ながら後を追うことにした。


 これはどう考えてもラブコメにありがちなシチュエーションだった。

 ここから怒涛のハーレム展開とか期待しちゃってもいいのだろうか。

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