異界の守人 ――エグゾギア・ザガン――

こたろうくん

第1話

 野山を猿と共に駆ける、一際大きな体躯をした影は木の幹を蹴上がり枝を踏んで鳥のように木々を飛んだ。

 それは一度ぴゃあと鷹の声で鳴き、するとそれを聞いた茶毛の猿たちが集結を始める。やがて群れの中に大猿が到ろうとすると、群れは再び樹上を飛び始め何処か同一の方向へと行く。大猿はそれを追い掛けた。


 しばらくして、地上に生える草花や程好い木々などを薙ぎ倒し猛進する巨影が一つ。全身を鱗の鎧で覆い尽くし、翼を兼ねた前肢とひたすらに強靱な後ろ肢。長い首の先についた一対の角持つ頭は巨大で、その大半は顎という異形――“竜”。


 此度の竜は紅に燃える竜鱗には無数の傷跡が残り、場所によっては再生した鱗が重なり溶け合うことで歪に分厚くなり瘤にすらなっているほど。

 傷は戦いにより負ったもの、そしてそれを刻み込まれながらもこうして生存していると云うことはそれ即ち歴戦にして強大を意味している。


 大猿は猿たちを操り、これを追跡していた。それだけではない、やがて木々の合間に別な影が幾つも現れ始めた。それらは何やら鉄でも打ち鳴らすかのような甲高い音を頻りに発し、それを嫌がった竜は進路を変えた。


 すると更に影が増え、それもまた金音をけたたましく奏でる。竜は否応なしにその向かう先を影らに定められ、やがて飛び出した先は木々の拓けた渓流であった。


 竜はそのまま砂利の上へと着地をし、しかしどういうわけかそれ以上走り続けることをしない。竜に追い付き、影たちが森の入り口からそれを見下ろし、そして見守る。

 影の正体は猿では無く、毛皮と竜鱗で拵えた衣を纏う人――人間のむくつけき男たち。


 そして最後に、竜の眼前にただ一人立つ者が居た。

 その背には樹上よりそれを見守る猿たちの姿があり、ともすれば彼こそが大猿の正体。しかしてそこに居たのは人間の青年。男共に比べればまだまだ尻も青いと思えるような青年であった。


 だが彼は今日こそその尻の青さを払拭する。子分たる猿たちと山野を日夜駆け巡り、狩りに明け暮れ、男共の鍛錬を耐え抜いた。その鍛えに鍛えた肉体を彼は局所のみ純白の絹で覆い隠し、相対する竜へと曝す。

 古き傷は痕になり削られ、所により盛り上がる。更にそれは彼が渾身に込めたる力により筋肉が膨張することで再発し、瞬く間に全身を血塗れにした。構えたるは自ら岩を削り出し作り上げた切っ先備えし槍のみ!


 今こそ魅せよ――!!


 男共が叫ぶ。

 彼らは一様にその目に涙を流していた。それは一人の青年が彼らの庇護を離れることに対する感動と寂寥せきりょうから流れた涙であった。男共にとって眼前の、竜と対峙する青年は兄弟であり子も同然だったのだから。


「――つかまつる」


 かねの皿を男共が打ち鳴らす。その音に気押され、竜が咆えると青年へとその大顎を開き襲い掛かる。彼は右手にした槍を気前よくも回転させ振り回す。風が切れ、空が鳴る。そして構えた!!


「いざ――」


 つかまつる――迫り来る巨竜を前に、彼は黒の総髪を振り乱し立ち向かう。避けるのでも守るのでもなく、彼は

 脱力し、前のめりに崩れようとする身体。その勢いを利用し渓流に沈んでいた両脚を突き動かした彼の背後に盛大な水飛沫が上がり、巻き込まれた魚たちが宙で踊り狂う。


 竜に対し突撃を敢行した青年の右が閃光と化す。槍とは引き手こそが肝要と云われるが、それはあくまで二の次を考慮しての兵法である。故に彼は二の次など考えていないのである!


 閃いた穂先が竜の胸を突く! しかし竜は止まること無く、その顎こそ青年を捕らえることはなかったもののその巨体こそが兵器。


 雄々おおっ――男共が感嘆の音を奏でた。

 竜の体重を受け止めた青年は目から鼻から耳から血を噴き出し、全身の古傷からもまた鮮血が噴出。圧迫感に胃の中が……といわず皮膚の内側に詰まりし肉の全てが踊り出そうとするのを感じながら、噛み締めた両顎に連動し全身の筋肉を凝縮し締め付け耐える。


 両足が地面を削り、渓谷に新たなる浸食を刻む。肉に固められし骨格が突風に苛まれる朽ち木が如き頼りない悲鳴を奏で、人の要たる背骨がしなった。


 ――此処が男の見せ所!!


 負けじと裏返る眼球を引き戻し、両足の爪を地面へと青年は突き立てる。そしてことごとく弾け飛ぶ爪の激痛すら今の彼にはありがたかった。


 やがて沈黙が訪れる。竜がその足を止めたのだ。

 果たしてそれは何のために……?


 ――そして巨体が崩れ、その影より姿を見せしは依然としてその場に両の足で佇んだ青年、あいや男! 血と汗、そして涙に全身を浸しながら竜を見下ろした彼は遂に今、成った!!


 その男の名は――ザガン坐岩

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