#4-2
静まり返った王宮内にバルディエスの声が響き渡る。
「勇敢なる騎士たちよ!」
バルディエスの声に反応するように騎士たちは一斉に顔を上げた。両手を広げバルディエスは続ける。
「ついにこの日がやってきた!この一年、不作に喘ぐもの、流行り病に苦しむもの、そして愛する家族を亡くしたもの、様々な民を見て王は心底心を痛めておられる。今こそ貴君らの力が必要だ!この国を、世界を、そして神を救うため力を発揮して欲しい!そこで今回の遠征ではコリオトイの森を目指してもらうこととなる」
"コリオトイ"という言葉に騎士たちの中でざわめきが起こる。傍らで跪くイルザシアスもぐっと眉間にしわが寄る。
「ねえ、コリオトイって?」
少女が尋ねるとイルザシアスは囁くように返す。
「ここから北東地域に広がる森だ。別名禁忌の森。神話では神に見放された者たちが住み着いた森だと言われている」
「神に見放されたものたち…ねぇ」
少女には周囲の張りつめた空気がピンとこない。俯いたまま動かないデールの傍らから黙って麻袋を拾い上げた。
「もちろん多くの犠牲を出すことだろう。だがしかし、この遠征で手柄を上げたものにはその功績に相応しい褒美も授けることを約束しよう。せいぜい俺を楽しませろ」
カツカツと靴の音を鳴らしながらバルディエスが降りてくる。強張る騎士の間を笑顔で通り抜け少女のところまでやってきた。
そして少女を見下ろしながらバルディエスが言う。
「ほう、逃げずにやってきたのか。腹が座っているのか、よほどのバカかのどちらかだな」
その言葉を聞いてからゆっくりと少女は腕を組んだ。
「私の知能はあなたが良く知ってるはずよ、バルディエス」
バルディエスはさっと剣を抜き、少女の喉元に突き立てた。
「気安く俺の名を呼ぶな、奴隷が」
その剣音を聞き、デールは小さく「ひっ」と悲鳴を上げた。じっと大きな目で見つめ返す少女の傍らからすっと立ち上がったイルザシアスが一礼してから口を開く。
「殿下、本日は晴れの日になりますゆえ、どうかその剣先をお納めください」
「イルザシアスか…」
イルザシアスの顔を見たバルディエスは「ふんっ」と唸ってから剣を鞘に戻す。「ありがとうございます」とイルザシアスが感謝の言葉を口にすると周囲は安堵の息を漏らした。
「殿下、遠征は本来騎士のもの。なぜこの少女も帯同するのですか?こんなか弱い少女では森へ行けば必ず命を落とすはずです」
イルザシアスの問いにバルディエスは少女の腕を取る。その細く白い腕には黒い金属の腕輪が光った。
「それはこいつが俺の奴隷だか―」
「彼、私と子作りできなかった腹いせで私を森に行かせるのよ」
バルディエスの言葉を遮るように少女が言った。騎士たちの間でざわめきが起こる。
「貴様!でたらめを言うな!」
焦ったバルディエスは少女の口を塞ごうとする。しかし少女は彼の手をすり抜けて尚も続けた。
「でたらめじゃないわ。私は彼にそういう目的の奴隷として買われたのよ。実際彼は私と交わろうとしたけど邪魔が入ってできなかった。その腹いせに私に森の遠征に行くよう命じたの。もし生きて帰れば奴隷から解放することを条件としてね」
イルザシアスがバルディエスの方を見るとバルディエスは口を真一文字に結び顔を背けている。よほどばつが悪いらしい。
イルザシアスが少女の方を向きなおし諭す。
「しかし君、森の遠征は戦い慣れた騎士でさえ命を落とすものだ。君が行っても生きて帰ることなど不可能、殿下にお詫びし奴隷として暮らすべきだ」
「もちろん私だって生きて帰れるとは思っていないわ。私には戦った経験も強い武器も頑丈な盾も何もないもの。でも嫌なのよ、このまま何もしないで奴隷として一生を終えるなんて。何もないからこそ可能性がわずかでも残されているならできることをやりたいの、たとえ命を落としたとしても」
「しかしだ…」
「それにみんなが恐れる魔の物が住む森というのにも興味があるわ。もしかしたら何か発見があるかもしれない。私はもっと知りたいのよ、イルザシアス」
柔らかく微笑む少女の顔を見てイルザシアスは「わかった」と一言答えただけだった。麻袋を持つ少女の手にぎゅっと力が入る。戦いに慣れた騎士たちが動揺するコリオトイの森に大きな危険が待ち受けていることは少女にも十分理解できた。しかしそれ以上に、この世界を知りたいと思う。そしてこの世界に自分が生まれついた意味を少女は知りたかった。
大きな音と共に城の東門が開く。出発の時間を迎えた騎士たちはいそいそと支度を始めた。馬に乗るもの、大きな槍を担ぐもの、入念に矢筒に矢を詰めるものなどさまざまだった。
輝くような漆黒の馬に乗り込んだイルザシアスは少女の顔は見ずに「健闘を祈る」とだけ残して出ていった。少女は今にも泣きだしそうなデールに別れを告げる。
「それじゃあデール、私も行くわ」
「奴隷さん…」
「そんな顔はしないで。あなたは笑顔でおしゃべりなところがいいところよ。早口なのも頭の回転が速い証拠だわ。注意欠如、多動性、衝動性といった症状が見えることもまた事実だけれど」
少女が微笑むとデールは決意したように大きく一度頷いた。
「奴隷さん、これを」
デールが自身の腰元から取り出したのは大事そうに皮のケースに入った15cmほどのナイフだった。
「これは?」
少女が尋ねる。
「このデール、いつか一人前のよくできた料理人になった日を夢見てせっせとこのナイフを研いでいたのです。このナイフ、奴隷さんに差し上げます」
ぐっとデールが少女の手元に押し付けたナイフを少女は押し戻す。
「受け取れないわ、あなたの大事なものじゃない」
しかし、押し戻すよりも強い力でで少女はナイフを持たされた。
「いいえ、デールはもっとよくできたよく切れるナイフを作ればいいのです。奴隷さんに言われて集めたものの中に武器は一つもありませんでした。これでは奴隷さんは自分の身を守れません。どうかこのナイフをデールだと思って、用心棒だと思って一緒に行かせてください。これがよくできる見習いのデールのお願いです、奴隷さん」
少女は小さく微笑み、「わかったわ」と大事にナイフを麻袋の中にしまった。
「ありがとう、デール。ガンスリールの言うことをよく聞くのよ」
差し出した手をデールが握る。力強く握った後でデールは「へい」とだけ返事をして去っていった。
王宮に残る騎士の姿もずいぶんと少なくなった。何人かの騎士はその場から動けず、中には泣いているものもいるようだった。少女は覚悟を決めて東門へ歩き出す。
門を出て数歩のところで少女は誰かに右手を引かれた。振り返ると息を荒くしたエルドリがそこに立っていた。
「間に合ったか」
「エルドリ、どうしてここに」
バルディエスの従者の一人エルドリは「これを」と言って少女に小さな靴を差し出した。茶色い皮で出来たかわいらしい靴の踵には小さく太陽の刺繍がある。
「これは?」
少女が尋ねるとエルドリは膝をついて少女の右足を持ち上げる。
「亡くなった娘の靴だ。君のサイズに合えばと思ったんだが、問題なさそうだ。まさか森へ裸足で行く気じゃなかっただろうな」
「そう、娘さんの靴。私が履いていいのかしら」
もう片方の靴にも足を通す頃になるとエルドリは涙声だった。
「いいんだ。君に履いて欲しい。きっと娘もそう思ってる」
鼻をずずっと啜って立ち上がったエルドリは優しい父の笑顔をしていた。そして少女を抱き寄せる。
少女の頭の上でエルドリの声が響く。
「いいかい、死ぬんじゃないぞ。君は手柄なんて上げなくていいんだ。どこかで隠れて危険をやり過ごして、そしてまたこの靴を履いて帰って来なさい」
エルドリの体温、そして鼓動が少女に伝わる。その心地よさに少女は目を閉じてエルドリを抱き返した。
「感謝するわ…」
もうじき太陽が天辺に昇る。
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