#2-3
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すっかり陽が落ちて暗くなったころ、少女は首都レスクアの中央に位置する王族たちの住まいカン=タルビア王宮へ到着した。外壁にある物々しい門を従者たちと一緒にくぐると、そこで手枷も鎖も外された。これでは逃げれてしまうのではないかと変な心配をしたが、逆にいえば、自由に動き回れたところで逃げ出せるような場所ではないと言いたいのだろうと少女は察した。
従者たちは少女を別の女性に預け、そのまま何処かへ行ってしまった。豪奢な造りの王宮はすぐにでも中を見てみたいと思った少女だったが、そんな自由はもちろんなく、自分を従者から預かった女性に「こっち」と連れられて、小さな小屋に入る。
後ろで一つに束ねた髪は少し赤っぽいような気がする。麻袋を被ったような自分から見れば、幾分かマシなようだが、それでも綺麗な恰好とは言えない彼女を見て、少女は言った。
「あなたも奴隷?」
先行く女性はちらりと目で少女を確認してから答える。
「ええ、そうよ。あなたと同じ」
「名前は?」
「名前はないわ、奴隷だから。あなたはあるの?」
「私は奴隷番号07と呼ばれていたわ」
「それは名前とは言わないわ」と女性は言った。
小さな小屋の床には引き開ける扉がついていて、女性が扉を開けると地下へと続く階段が現れた。すぐそばのたいまつに火打ち石で火をつけると、「さあ」と少女を促して女性は進んでいった。ひんやりとした空気に冷やされた石の温度が足の裏に伝わりながら少女は後に続く。階段の先には小さく嫌なにおいのする部屋が一つあって、ここが自分の、いや自分たちの家なのだと少女はすぐに理解した。
「体を洗うから、ここへ来てその服を脱いで」
女性は大きな
「自分で洗えるわ」
「奴隷の体は奴隷が洗う決まりなのよ、さあ早く」
少女は粗末な衣服を脱ぎ去り、裸で女性の前に立った。考えてみれば、この体になって自分の裸を見るのは初めてだった。発育している、とも発育していない、とも言えない微妙な体つきに思える。
「その水で体を洗うの?」
少女が尋ねると女性は「ええ、そうよ」と返事した。
「その水はどうやって手に入れたの?」
「どうやってって、川から汲んだ水よ、昨日ね」
「…じゃあだめよ、危険だわ」
「危険…?でも洗わないと、それが命令だもの」
困る女性を見て少女は仕方なく自身の体を差し出した。
「あなた、この水を飲んでいるの?」
「ええ、そうよ。これしかないもの」
奴隷の暮らしは死と隣り合わせなことを少女は改めて実感する。奴隷という身分でなければ、安全な水くらいは確保できるのだろうか。
「あなた年は?」
少女の体を見ながら女性が聞いた。
「年齢…いくつかしら。第2次性徴期のようだから…12歳くらいかしらね」
「あらそうなの。年齢の割にずいぶん落ち着いているのね」
優しく体をこすりながら女性がそう言ったのを聞いて、少女はなんだか妙な気分だった。中身は成人女性なのに、12歳だと答える。大きくサバを読んでいるような気分だった。
「でも12なら、そのうち子どもを産ませられるわね。さあ、両手を挙げて」
それまで手枷がつけられていた両手はずいぶんと軽くなったように感じた。しかし、長時間歩いたせいで、足と肩に痛みがある。見ず知らずの女性にブラシで脇の下を洗われながら少女は言った。
「それはつまり、年齢的に初潮を迎えているから、ということかしら?」
「しょちょう?」
質問をすると質問が返ってきた。どうやら女性にはその意味がわからないようだった。
「生理のことよ。子どもを産める体になると女は毎月あるでしょう?」
「ああ、あれ。そうね、私はあなたくらいの年にはもうそういう体だったから。もし奴隷じゃなかったら結婚もできるのよ、12なら」
女性の答えを聞いて、初潮という言葉がこの世界にはないのか、それとも彼女が教育を受けていないからかどちらかだと思った。身体、そして生殖に関しても大きな違いがないことは、昼間のバルディエスと奴隷商人との会話で何となくわかっていた。しかしよくよく考えれば、別の世界の自分がこの世界の人々と普通に会話できていることも不思議だ。
「私くらいの年には、ということは、あなたはもう子どもを産ませられたの?」
少女が尋ねると女性は一瞬固まってそれからぎゅっとブラシの柄を両手で握りしめた。
「ええ、二人。女の奴隷なんてそのために生きているようなものだもの」
「その子どもはどうしているの?」
胸の前でブラシを両手で抱えて、肩を震わせながら女性は話す。
「一人は売られていって、一人は殺されたわ、男の子だから。みんな人じゃないのよ、全部ものなの」
男の子だから殺されたということは、もう一人は女児だったのだろう。奴隷が産んだ子どもは自分たちと同じように奴隷なる運命が待っているのだ。
「さあ、いいわよ」
体を洗い終わると麻袋よりは幾分かマシな服を着せられた。すでに着古され汚れてはいるが一応綿で出来ているチュニックに袖を通し、腰に紐のベルトを着ける。それは女性と同じ格好だった。編んで出来ている簡易的なサンダルは彼女の脚には少し大きかった。
そして腕には黒い金属の腕輪をはめる。これがこの世界の奴隷である証なのだという。少女は金属の素材を考えてみたが、見ただけではその金属は特定できなかった。
少しだけ身ぎれいになった少女は女性に連れられて王宮の中に入ることができた。もちろん、正面からではなく、小屋の近くにある奴隷用の小さな勝手口からだった。
王宮の中で先ほどの従者の一人が迎えに来る。そこで少女を引き渡すと女性の奴隷は頭を下げた。それから彼女と目が合うと一度だけふっと笑みを見せ「それでは」と去っていった。彼女を見たのは、それが最後のことであった。
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