愛する美しい足への手紙

大箸銀葉

足へ出した手紙

拝啓


カナコ様


長い冬も終わりを告げて、今日鶯の鳴く声を聞きました。お初にお目にかかります。松田幸三郎と申します。普段は砂原の道田アルミという小さな町工場で働いております。


急なお手紙となりましたが、お読みくださりありがとうございます。このようにペンを走らせながら、恋と罪に思いを馳せると胸が張り裂けそうになります。しかし私はあなたに告白をする義務がありましょうし、あなたはこの懺悔を聞く権利があるでしょう。そのためにはまず3年前、私が困窮にあえいでいたころからお話ししなければなりません。


私は毎日のように足を棒にしながら働いて、週に1度見る映画だけを楽しみにしておりました。しかし、突然の不況に社長は給料を勝手に減らしたのです。薄給は加速し、すぐに生活は苦しくなりました。貯金なんてありません。私は映画を見に行くことができなくなりました。


しかし、知らないうちに私は映画依存症になっていたのです! 頭が狂ってしまうようでした。時間はあるのに金がない。己の無力感を噛みしめる日々。


そのときです。悪魔のささやきが聞こえました。「買えないなら盗めばいい」と。私は映画を泥棒しに行ったのです。チケットを買わずにシアターの中に入る裏道を探しました。ああ! 私はなんて酷いことをしたのでしょう! 大好きな映画を、映画館を裏切る行為を行なったのです。


ぐるりと映画館の周りを一周すると、昔、従業員が使っていたのでしょう古い錆びた扉を見つけました。私は神に感謝をして、重い扉をギギギと開けて中に入ることにしました。


小道具がうず高く積まれた物置を抜けて、変に従業員に見つからないように通気口に入りました。ほこりと蜘蛛の巣をかぶり、それでも私は前に進むことをやめませんでした。ついにうなるような音が聞こえ、シアターがすぐそこにあることに気がつきました。


はじめは雷の音でした。次に勝ちどきのような男たちの声。焦燥を掻き立てる音楽。会話。モノローグ……。見慣れた15番シアターの通気口にたどり着いたのです。長い通路を抜けた観客が昇る階段のすぐ横、人が気にしない足元でした。


通気口にはネズミを通さないように格子がはめられていて、外さないようになっていました。私は格子の隙間から、身をよじりスクリーンを垣間見ました。スパイが敵のアジトに忍びこみ、情報を抜き出そうとするシーンでした。私はまるでその主人公に自分を重ね合わせ、高揚感に浸っていたのです。


すぐに映画が終わり、観客が私のいる目の前の階段を続々と降りていきます。誰も足元の通気口に人が潜んでいることに気がついていません。通気口は狭いので上を見上げることもできません。私はただ、人々の足を眺めていました。


こうしてまじまじと見ると不思議なもので、足にも個性があるのです。男と女と優美と粗野と。人生の色々が膝からくるぶしの間に全てつまっているかのようです。男は苦労をふくらはぎにため、女は必死に粗忽を隠して白く塗っていました。ストッキングを履く人もいました。なぜ、女の人はそこまで美にこだわっているのにガニ股を直さないのでしょうか。私にはよくわかりません。ああ、失礼しました。カナコさんにはなんの関係もない話でございます。


何度も何度も映画館に忍びこみました。話題の映画、昔の名作、うなだれるほどに甘いラブロマンス。しかし、私はそんなことより人々の足に夢中になっていました。2時間の映画なんて退屈で仕方ありません。そんなことより、チラリと見た足の形に人生を想像する楽しみと言ったら! この密やかな遊びは私しか知りません。足は私に色々話しかけてくれます。映画が全く面白くなかったこと、このあとプロポーズする予定なこと、人生が忙しくてしょうがないこと。


その中で一際目立つ足が2本ありました。上から下に流れる足足に逆行し上へ上へと昇る足。どうやら掃除に来た従業員らしい女の足でした。その白さになんら偽りなく透き通る肌でした。才能のこもった足でした。努力の一切が感じられず、自然の白が輝いていたのです。


ああ! 私はその足に恋をしてしまったのです。どうしてもその肌を私のものにしたくなったのです。私はその人の顔を知りません。体つきもほとんど知りません。しかし、その足の美しさは本物です。


何度も何度も通気口の中で美しい足を見ました。朝露のように滴る汗。華奢な足に生命のさざなみを感じ、私は息を飲みました。永遠の美はきっと死を意識させますが、その足は常に瑞々しく前に進もうとしていました。


ああ! ああ! そうです。もうお気づきでしょう。その足の持ち主こそ、カナコさんあなたなのです。私はあなたを知りません。しかしあなたの足は誰よりもよく知っています。最後まで打ち明けずに密やかな楽しみにしたかった。もし打ち明けてしまったら、もう私はあなたに会える機会を永遠に失ってしまうかもしれない……。しかし、しかし、ああ! 私は狂ってしまったのです。


私はあなたに知ってほしかったのです。カナコさんの知らない女神のような美しさを私だけが気づいていることに! そのために私はこうして手紙を書いたのです。


掃除をしているあなたに婦人が「カナコさん」とかけた声で私は名前を知りました。素晴らしい名前です。その足にふさわしいと思います。映画が終わり、客が帰った後で掃除と点検に入ったあなたはきっと通路に落ちているこの手紙を拾うことになったあなたは今なにを思っているのでしょうか。


あああ。カナコさん。あなたはきっと通路口を全部チェックするでしょう。そして倉庫に人が歩いた形跡を見つけるでしょう。そして鍵が錆びていて実は簡単に外から入れることに気がつくでしょう。もう、私はあなたに会うことはできません。これでさよならなのが寂しくてたまりません。しかしこれでいいのです。こうするしかなかったのです。愛しています。カナコさん。


敬具

松田幸三郎

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愛する美しい足への手紙 大箸銀葉 @ginnyo_ohashi

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