龍姫

 セラは寒さで目を覚ました。

 目の前の岩に長い銀髪の少女が腰掛けていた。彼女の黒茶の鎧は革製で、袖も肩当てもなく、太腿の半分から下は生足、靴も地下足袋のような革製のものだった。自分で作ったのかもしれない。狩人らしからぬ軽装だった。

 その足元には身長の倍もありそうな大きな突撃槍が寝かせてあった。素材は何だろう。全体が白く、円錐形の穂先の縁と柄は黒かった。

 セラは左腕を押さえた。怪我のことを思い出して確かめようとしたのだ。しかしそこには何もなかった。

「怪我は?」

「消えていたよ。自分で直した」少女は言った。その青い目がセラを見ていた。

 ここは龍の領域だ、と叫んだ彼女の声は凛々しかったけど、地声は柔らかく、顔立ちも童顔だった。セラとサーシャの間くらいの歳だろう。

 確かに鎧には穴が開き、血がこびりついていた。左腕が切断されていてもおかしくない怪我だった。

 彼女が治してくれたわけではないとしたら、まさか、これもメタモーフの能力なのだろうか。本当は左腕が切断されていて、でも変身能力でそれを補っているだけだとしたら……?

「私がメタモーフだってわかったの?」セラは訊いた。というか思わず訊いてしまった。

「そう。だから連れてきたの。違ったら、放ってた」

「ここは?」

「西の島々、と人間たちは呼んでいる」

「ということは……、西の半島のさらに先、海の向こう?」

「ロックホーンの翼なら、ひとっ飛びだから」

 少女はそう言ってセラから目を逸らした。その視線を追うと、セラを挟んでちょうど反対側にロックホーンが行儀よくちょこんと座っていた。巨体を丸めて座り、首を傾げてセラを見下ろす姿は妙に可愛げを醸していた。

「私を見て襲いかかってきたんじゃないの?」セラは訊いた。

「そう。でも、もう危なくないってわかったから平気。ロックホーンはメタモーフのことをとても警戒するの」

「あなたは?」

「私はアウロラ」

「狩人?」

「いいえ」

「人間なの?」

「いいえ」

「じゃあ、メタモーフ」

「いいえ」

 でも、どう見たって人間だ。

 そうか、人間なのに人間ではないと言い張っているのだ、とセラは気づいた。「ここは龍の領域」と彼女は言った。彼女は人間ではなく龍として生きようとしているのだ。彼女の生い立ちは知らないけど、人間になろうとしたセラには理解できる心理だった。

「なぜあの山に入ったの?」アウロラは訊いた。槍の柄を踏んで、持ち上がった穂先に手を伸ばした。

「ロックホーンの生態を調べるため。調査のため」

「ロックホーンを捕まえて解体したり、卵を持ち去ったりするの? それとも山の麓に街を広げる下見?」

「違うよ。ただ知るため。より多くの人が龍を理解するため」

「あなたは龍。でも狩人の格好をして、狩人の味方をしてた。なぜ?」

「サーシャに恩があるから。龍を狩るのは心が痛むけど、でも決して無意味に殺しているわけじゃない。あなただって狩人だからといって無差別に襲いかかるわけじゃない。龍の領域に入り込んでしまった狩人だけ。そうでしょ?」

 アウロラは踏んでいた柄を放して槍を寝かせた。

「多くの狩人はあなたみたいに賢明じゃない。無意味に龍を殺す。お金のため、素材のため。とても利己的な理由で、ただそこに生きているだけの龍を殺す。それはいけない。狩人がそれを狩りと呼ぶなら、私は龍のために無意味な狩人を狩り尽くす」

「その槍、龍の武器でしょう?」

「そう、ロックホーンの牙。数年に一度抜け落ちて生え変わるから、それを使うの。殺して取ったわけじゃない。狩人とは違う」

「人間だって生活を壊されたくない。お互い力が強すぎて傷つけあっているだけかもしれない」

「わからないなら、見てみればいい」アウロラはそう言ってセラの額に手を翳した。彼女の長い髪がセラの太腿にかかった。セラの白い髪より少し青みの強い色だった。

「オーバーライド」

 アウロラが唱えると同時に指先で閃光が弾けた。

「あなたは何に変身できる?」

「カンブリア・インフェルノ、サイリージア・スクーパー、アルカディア・レイ」

「じゃあ、レイになって。レイが一番体力がある」

 どうしよう、と考える間もなくセラは自分の肉体の内側が変化していくのを感じた。服を脱がなければ……。

 そうだ、オーバーライドというのは対象を操る使役の魔法だ。そしてアウロラは魔法使いだったのだ。全く気づかなかったし、いまさら気づいてももうどうすることもできなかった。

 

 アウロラが首に座って方角を指し示すと、セラはレイの姿で10分ほど北へ飛んだ。眼下には点々と西の島々が見えた。まるで人気のない未踏の地のようだったが、端の島の沖合に1隻の船が錨を下ろしていた。海岸にリアス・ピアスのコロニーがあって、カッターに乗り換えて上陸した10人ほどの狩人がそれを襲っているようだった。

「ほら、見て。たくさんの狩人がピアスを狩っている」とアウロラは指差した。

 狩人たちは崖を登り、巣を守る親龍を撃ち落とし、首を切り、小さな雛や卵を袋に詰め込んでいた。

「インビジブル」

 アウロラが不可視の魔法を自分にかけると、セラの体まで透明になった。すぐそこで羽ばたいているはずの自分の翼が見えないというのは不思議だった。


 アウロラはセラの首を押した。セラは降下した。狩人たちの頭上を通過するコースだ。

「見てて」アウロラはそう言うなり飛び降りた。彼女の体にかかっていた不可視の魔法が解けて姿が顕になる。まだ30m以上の高度があったが、彼女は空中で姿勢を整えて頭を下にすると、突撃槍を前に突き出して1人の弓使いの狩人の上に降りかかった。

 弓使いはかなり硬そうな鎧を身に着けていたが、ロックホーンの槍は易々とその胸部を貫いた。

 アウロラにとって弓使いの体は着地の衝撃を受け止めるクッションに過ぎないかのようだった。

 周りの狩人たちは手を止めて一斉にアウロラの方へ振り向いた。

 アウロラは槍を抜いて次の狩人にその先端を差し向けた。すると穂先の根本の笠の部分で小さな爆発が起きた。と同時にアウロラの姿が一瞬見えなくなり、狙った狩人にいつの間にか槍を突き刺していた。

 あの爆発は火薬だ。火薬の爆発を使って瞬間的に加速しているのだ。

 アウロラはその加速を使ってさらに5人ほどを立て続けに突き刺し、あと4人に囲まれたところで柄を短く持ち替えた。

 4人の方はいずれも近接武器で、得物の大柄なアウロラは一見不利だった。しかし彼女は狩人の攻撃を正確に弾き返し、隙をついて槍の穂先で殴り倒し、あるいは足で蹴り倒した。一方的な戦いが終わるまでものの1分もかからなかった。

 そう、狩人は龍狩りのプロであって兵士ではない。対人戦を積んできたいわば「狩人狩り」のプロであるアウロラに敵わないのは当然すぎるほど当然のことだった。


「おいで」

 そんな声が聞こえた気がした。セラは旋回しながら観戦していたが、降下してアウロラの前に着地した。狩人の死体を踏まないように気を遣った。

 アウロラはかなり返り血を浴びていた。彼女は頬を拭い、もぞもぞと動く袋を開けて、中に入っていた雛を抱き上げた。

「ピアスは他の親の子供の世話をしない。他のピアスの匂いがついているから。巣に入れても放り出してしまうの。他の龍や鳥の餌になるだけ」

 アウロラは暴れる雛の首を握ってセラを見上げた。

「私かあなたが育てればいいと思う? でも、それはだめ。それは、この龍の自然な生き方ではないから」

 アウロラはそう言って雛の首を折った。雛はすぐに動かなくなった。アウロラは雛の首を握ったまま目を瞑ってしばらく黙っていた。

 セラはその雛に自分を重ねずにはいられなかった。もしサーシャが同じようにしていれば自分はここにはいなかったのだ。

 そう、私の生き方は「自然」なものではないのだろうけど……。


 崖の方で何かガサガサと物音がした。そして人間が顔を出した。

 中年の男性、狩人ではない。船乗りだろうか。辺りの惨状を見てわなわな震え出した。

「ねえ」とアウロラが呼びかけるとすぐに引っ込んでしまったが、「この辺りの片づけ、お願い」と続けた。

 アウロラはあまり気に留めない様子で歩き始めた。

「卵はまだ大丈夫。まだ匂いで確かめないから。こっそり他の巣に置いてみる」


 ここで死んだ狩人たちも、先日パーティーを組んだ剣使いと同じ、誰かの大切な人だったのだろう。あのクエストもきっと「龍の領域」に踏み込みすぎたものだった。アウロラが見たら放っておかなかったはずだ。

 人の領域に踏み込みすぎた龍は殺される。

 龍の領域に踏み込みすぎた人は殺される。

 同じだ。

 人の立場も、龍の立場も、両方を理解できるところに自分は立たされているんだ、とセラは悟った。

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