第12話『騎士を喰らう者(3)』

 眠ってしまった氷菓を背負うと、その指先が淡く消えかけていることに気付く。

 六年前にはよく見た光景だったため、完全に気にしていなかったが、よく考えれば相当の異常事態だ。その光景を見せてきたのは、まだ一つも封印をかけていなかった頃の舞花だけ。氷菓のような普通の人間が陥っていいような状況ではない。

 同じ考えに至ったか、舞花の柄が震える。


『兄様、これ……』

「ああ、似てるな」


 人間が発している、ということを除けば、現象自体は非常にポピュラーなものだ。


 すなわち、『異端兵装の帰還』である。兵装は常に正統世界にとどまっていられるわけではない。彼らはある程度の時間使用を続けると、元の世界に返却しなければならなくなる。

 戦闘を放棄した場合や、使い手の継戦が不可能と判断された場合には強制的に消滅してしまうこともあった。そういった場合、兵装は無数のポリゴン片となって、元居た世界へと還っていくのだ。

 氷菓の指先の崩壊は、それと同じように見える。


 完全覚醒状態の舞花は当時、封印をしないままだと似たような発光と共に異端世界に還りかけていた。

 有司が彼女に与えた最初の封印、事情を知る者の間で『殻』と呼ばれる、複数の『神殿』による拘束。有司と同じDNAを持った少女の姿をはじめとしたそれらは、その帰還を防ぐためのものなのだ。


 まぁ、普通に生きているだけでは絶対に起こらない異変だ。どう考えても――


「おのれ……まさかこの儀式を邪魔立てすると申すか」

「そのまさかなんだわ。すまんな」


 この目の前の妙な和服男が下手人である。


『兄様、こいつ』

「ああ、うん。俺にも見えた。畜生そういうことかよ」


 舞花の警戒に応える。《第三最大異端》としての力を発動した有司は、普段は封印している舞花とのリンク、つまりあらゆる《異端者》のスペックを確認する能力を自らも行使できるようになる。金色の瞳がその証左だ。

 明けの明星を思わすその輝きが、刀使いの正体を見透かした。そうか、こいつが。


「お前あれだろ、最近噂の《騎士狩りナイト・イーター》さんってやつ」

「いかにも。そのように人は我を呼び表す。だが真名は別にあり。我が名は――」

「トレイズ・モールトン」

「!」


 告げた名前に、男は紺碧の眼を見開いた。その体がわなわなと震え出す。言い当てられたことが、余程の衝撃だったようだ。

 無理もあるまい。彼の名を知る者など、最早この世には誰一人としていないのだから。何せこの男、戸籍の上では既に死人の扱いである。


「……我が真名、知りたると申すか」

「当たり前だろ。どっからどう見ても西洋人なのに生まれも育ちも日本とかいう超個性的なキャラ、忘れるわけねーだろうがよ。取り逃してたとか最悪すぎる。巡り巡って結局俺の責任じゃねぇか」


 ああ、よく覚えている。実によく覚えているとも。

 あの時この男は今とは違うタイプの人斬りだった。有司と舞花はまだ封印が上手く機能せず、時折彼女の力を暴走させていた。こいつと戦ったのはちょうどその最中。第六神殿の施錠に成功する直前だった。忘れるはずもない。


「なんてったって六年前、この手で斬り捨てたはずだからな、お前のことを……!」


 トレイズ・モールトンは、有司が人生で初めて殺した人物の名前であるはずだったから。


 斬り捨てた肉の感触を、まだ覚えているから。

 あのときこいつはレート6だった。今見た情報でもなお、彼のレートは6だった。何人もの高レートを斬ってきたはずだが、やはり一度殺したのは間違いないのか、経験値は変動していないようである。


 で、あるならば、彼の目的はなんなのだろうか? かつて戦った時のトレイズならば、誰かを斬ることそのものがそれにあたるのだろうが、どうにも今は違うように見える。

 そもそも、何故この男は今日まで生き永らえているのだ? 閲覧できるパラメータには、間違いなく『状態:死亡』の文字があるというのに。


「お、ぉお、おおおおおおおお?」


 その疑問は、即座に吹き飛んだ。


「なんと……なんという吉日か! 『救済』に耐えうるものどころか、我を殺せし者にも相まみえるとは! ああ、我が妖刀に与えられた仮初の命、捨てたものではなかったなぁ!」


 トレイズ自身が、その答えを口にしたから。

 血染めの刀、その刃がどぷりと脈打ち、肥大化する。確かこの男の異端兵装だったはずだが……こんな力があったとは。牛刀と言っても可笑しくはないほど肉厚になったそれを腰だめに構え、トレイズの巨体が疾駆する。


 銃弾にも等しい速度だ。瞬きをする前に、その姿が目の前に現れる。まずい、防御しきれない!


『兄様!』

「ぐっ……!」


 舞花を大地に突き立てる。直後、有司の影の中から、紅く錆びた槍が無数に姿を現した。それはまるで剣山の様に四方八方に伸びると、トレイズの突進をがっしりと受け止めた。

 その隙に、上階でテロリストたちを拘束しているのと同じ《剣五月雨、大地は芽吹く》を発動させる。赤黒い杭が檻を形成し、トレイズを封じ込める。

 できるだけ厳重に。手と足の間、腕を動かせないように緻密に関節を通す形で拘束する。


「は、はは、ははははは! 止める、止めるか! 避けるでも、技を振るうでもなく、ただそこにいるだけで我が魔剣を防いで見せる! ああ、まるであの日を再現しているようではないか……!」


 ――嫌な予感がした。有司が斬馬刀を構え直すのと、


「最高だ!!」


 トレイズの全身から、血煙のような波動が巻き起こって檻を破壊するのは全く同時だった。巻き起こる突風に思わず顔を覆う。叩きつけられた衝撃は、有司と舞花の放てる衝撃波と殆ど同レベルの威力だ。


「嘘だろお前……」

『おかしい。明らかにレート6の出せる性能ではない』


 荒れ狂う紅の波動が、ショッピングモールの壁を粉々に破壊していく。ハイ・カーボン製の壁を紙屑の様に引きちぎるのは、物理法則の一部を超越する《異端者》にとって不可能なことではない。

 だがそれは、高レートの、それもレート8以上の異端騎士であれば、の話だ。舞花の言葉の通り、中級の《異端者》がまき散らしていいような暴威ではない。


 肩を揺らしてくつくつ笑うトレイズ。その表情に正気の色が見えなくなったことに気付き、有司は身構えた。


「れぇと・しっくす? あぁ、我が身は本来そのような等級に分類されるのであったな」


 ざり、と。トレイズ・モールトンが、刀を構えて一歩を踏み出す。続く言葉がなんとなく予想できた。有司の脳が警鐘を鳴らしていた。


 血色の煙を纏った刀使いの巨体が、正統世界に与える重圧。

 それがあの戦争の最中、たった四回だけしか経験しなかった、最も印象に残ったそれと、よく似ていたからだ。


「否。否である。我が《血清》は、一時的にではあるが等級を高める力を持つが故に。今の我の等級は『異端深度9(れぇと・ないん)』なれば」


 興奮しているのか、かたかたと怪しげな笑い声と共に、トレイズはそう宣言した。畜生、やっぱりそういうことか、と有司は内心で舌打ちをする。


 異端深度を向上させる《異法》あるいは《異法行為》。聞いたことは戦時中でもなかったが、あってもおかしくないとは常々思っていた。

 何故ならば、それこそが当初、三橋の家が目指していた境地であり、有司が最初に考え付いた『戦争を終わらせる手段』だったからだ。


 結局のところ、《大戦》とは強豪と弱小の間の亀裂、その内容が問われた戦いだったとも言える。強い異端騎士と弱い異端騎士、《異端者》と諸人――そういった格差がもたらしたものだ。


 六年前の有司は、その格差を一定の枠組みの内に押し込むことで戦争を終わらせようとした。そしてその手段に、最初は「弱者のレートを無理矢理引き上げることで、強制的に強者に並び立たせること」を考えていたのだ。結局、その手段は見つからなかったために、廃棄した未来ではあったが。

 結果として汎用兵装が生まれ、結局のところ、争いの根絶には失敗して今日にいたる。


 もしも、この男を殺さずにいたなら? 異端深度を上昇させるその力を何らかの形で解明することができていたなら?

 もしかしたら《大戦》の結果は変わっていて、今日の争いはなかったかもしれない。


 そんな夢物語に、一瞬でも気を取られた自分をぶん殴りたかった。


「さらばだ、かつて我を殺せし者よ。最早我が救済、邪魔させはせぬ。此度は我が手にて、貴様の命を絶たせてもらおう」


 トレイズの血色の刀に、煙の全てが集う。自らの宿した異端の法則、それを解放する絶技の構え。トレイズが戦時中にそれを使った場面は一度も見たことが無い。

 加えて今の彼は、疑似的にだが最盛期の自分たちにも並び立つ火力を誇る。美有の言っていた、『騎士狩り』の誇る《第五最大異端》クラスの破壊力、とはそういうことだったわけだ。


 脳がフル回転を始める。ありとあらゆる自分に取れる方法、どれを使えば予測されるトレイズの攻撃を防ぎきれるだろうか。

 恐らくは大上段からの斬り降ろしだが、その威力が拳神必殺の《異法行為》とほぼ同値とするならば、生半可な防御では耐えきれない。対抗するには、それこそレート9の防御力が必要だ。


 だが今の有司にはそれがない。いや、《百装無神》の内には当然完全防御を可能にする《異法行為》が備わっているのだが、可能な限りそれを使いたくはなかった。


 完全防御をもたらすのは『第五神殿』から先の機能だ。そこまで到達してしまったら、封印の掛け直しに相当の時間がかかる。異端兵装としての機能を露出させたままでは、異端世界への強制送還が始まってしまってもおかしくはない。


 彼女を普通の人間にすると誓った。

 そう誓ったからこそ六年前、争いの無い世界を目指して戦ったのだ。


『兄様、使って!』


 しかしその妹は、兄の決意を知ってなお、大丈夫だからと気丈に叫ぶ。


「駄目だ、これ以上神殿は解錠しない!」

『いいから!! ここで使わないと堕肉も私も死ぬ!!』

「……くそッ!!」


 舌打ちと共に、紅の斬馬刀を大地に突き刺す。

 ほぼ同時に、トレイズが両腕で構えた紅の刃が、大気を引き裂き飛来した。


「我が理想の前に死せよ――《大蛇、青キ血ヲ啜ルガ如ク》」

「第二神殿、第三神殿、第四神殿解錠──確定事項変換、第五神殿施錠!」


 騎士を狩る毒蛇の一撃と、金木犀の加護が激突した。

 地響きと衝撃が、ショッピングモールを大きく揺らす。


 衝突のエネルギーは逃げ場を求めて荒れ狂い、ハイ・カーボンの天井を突き抜ける。

 舞い上がる砂埃と氷の粒が、穴の向こう、昼の青空を覆い尽くした。

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