第10話『騎士を喰らう者(1)』

 結論から言うと、時凍氷菓は有司の心配するほど弱い異端騎士ではなかった。

 むしろ強すぎたくらいだ。彼女は異法テロリストたちによる攻撃を、遠距離、近距離問わずまるで寄せ付けなかったのである。


「シッ!!」


 白銀の機械鎌を振るう。空間が凝結し、異界の氷が弧を描く。軌道上に立っていた兵士たちが、悲鳴を上げて倒れ伏す。彼らはそのままぱきぱきと音を立てて氷の彫像に変化した。加減はした。死にはしない。だが、この戦線に参加することは二度とできない。


 次の一団が黒くカスタムされた汎用銃を構える前に、《時は流れる、雪崩の様に》を発動。全身を、雪解けの激流と共に、氷塊が崩れる――そんなイメージが走り抜ける。瞬間、氷菓の全身が、諸人には出せない速度で駆動した。


 単純に吹雪を操り対象を時間差で凍らせる能力は、この《異法行為》の真の力の半分でしかない。その本来の役割は、『相手の停止、自己の加速によって、彼我の速度にさらなる距離を開けること』。有司との初戦闘の折、氷菓が彼に高速で追いすがることができたのは、ひとえにこの《異法行為》によるものだ。


 氷菓の瞳は、酷く冷徹な光を宿していた。激情を封じ込めたその視線に射抜かれれば、黒服の男たちはひぃっ、と声を上げてその体をすくませる。


「何だこいつ、強すぎる……!」

「ボスに伝えろ、突破される……ぎゃぁぁっ!」


 機械鎌を変形させ、槍の姿で重突攻撃。すれ違いざまに吹き飛ばしたテロリストたちもまた、壁に激突したまま凍り付いた。


 次から次へと現れる兵士たちだが、所詮は烏合の衆である。

 異端騎士としての才能も経験も、どちらも氷菓には遠く及ばない。それは慢心ではなく、有司風に言うなら『確定事項』だ。覆しがたい、絶対的な差。戦略も何もあったものではなく、ただ無秩序、無計画に汎用兵装を振りかざすだけのロー・レートな《異端者》たち。


 そんな彼らが、有司の作った汎用兵装を、それも人々を傷つけ、自分の欲望を満たすためだけに使っている。その状況が、氷菓には許せなかった。


 有司の話を思えば、彼が汎用兵装を作り出した理由など一目瞭然だ。汎用兵装で『弱い騎士』の数を減らし、五人の《最大異端》による同盟で『強い騎士』による争いをねじ伏せる。

 有司の目指した、舞花が普通の人間でいられる世界――即ち、諸人と《異端者》が共生する社会を作り出すためには、まずは平和が必要だから。


 その願いを省みることも、考えることもなく、テロリストたちは銃を執る。本来の思想を塗りつぶすかのように、そのボディを白銀から漆黒へと染め変えて。


「……ッ!」

「なんだぁ? 随分手古摺ってやがると思えば、見覚えのある顔じゃねぇか」


 氷結の刃が、がきん、と嫌な音を立てて受け止められる。いつの間にか兵士たちをすべてなぎ倒し、首領の下へとたどり着いていたらしい。

 そうと分かる理由はただ一つ。この男、明らかに実力が他とは違う。金品を強奪している最中だったようだが、それでも舞花の攻撃に反応してきた。恐らく、それなりに戦闘経験のある《異端者》だ。


 その証拠に、異端兵装も固有のものだった。ジャマダハル――刀身がグリップに対して垂直に取り付けられた手甲剣。クロムシルバーの刀身には、いかにも、といった禍々しい邪念が込められていた。この気配、どこかで。


「くくく、一度倒した奴のことなんて忘れちまった、ってか? 胸と一緒で態度もでかいな、騎士サマってのはよぉ」

「なっ……」


 バイザーの向こうから自分の身体をなめまわすように見つめる視線に、思わず背筋がぞっとする。それで思い出した。


「その声、その目……ピエール・アルハンブラ……!? 何故こんなところに!」


 首領の口元がにたり、と歪むのが分かった。間違いない。この男、先日ETインダストリーの依頼で対戦した、バテレンテックの専属異端騎士だ。随分とラフな戦闘スタイルだったことと、戦闘中の下卑た煽りが印象に残っている。


「ご名答。覚えていてくれてありがとう。再会できて嬉しいよ、《白雪姫》……!」


 左腕のジャマダハルが轟音を奏でる。右腕の方に受け止められていた《十二時の鐘が鳴る前にグリムリーパー・サンドリヨン》が、勢いよく吹き飛ばされた。思わずたたらを踏む。空中で鎌を槍へと変形させると、氷菓は体勢を立て直すと同時に再び攻撃を仕掛けた。


 ピエール・アルハンブラ。確かスペイン出身の異端騎士。レートは6だが7並に実力の高いことで有名で、同時に非常に素行が悪いことでも知られていた。汚職企業として世界的に有名なバテレンテックが生き残ってこられたのも、彼の高い戦闘力によるものだと聞く。

 その戦闘スタイルは極めて陰湿。倒れた相手に追撃をかまし、人命を奪ったことさえあると聞く。正直、明確に嫌いなタイプの人間である。

 初対面のとき、有司に対して過剰に反応したのも、この男との戦闘のせいで気が立っていたから、というのもあるかもしれない。正直、《代理戦争》中のピエールの言葉は、思い返すだけで背筋がぞわぞわしてくる酷いものばかりだった。


 だが何故、正規の異端騎士がテロ組織のリーダーなんぞをやっているのだろうか? あの時戦ったアルハンブラは、確かに邪悪な人間ではあったが、あくまでも異端騎士だった。こんな風に、民間人を犯罪に巻き込むような人物には見えなかったのだが。


 機械槍と黒い手甲剣の激突は続く。アルハンブラは氷菓と同じ、兵装主体の戦術をとるタイプの異端騎士だ。近接戦闘に手慣れており、なかなか隙が見いだせない。

 いや、それだけではないだろう。この男、前回戦ったときよりも明らかに強くなっている。

 販売事業拡大をかけた《代理戦争》において、大局だけを見るなら氷菓は圧勝したと言ってよかった。確かに活路は見出しづらかったが、勝負自体は一瞬で終わった。《時は流れる、雪崩の様に》を繰り出す隙が生まれ、一撃で鎮めることに成功したのだ。


 だが今のアルハンブラにはその隙がない。一度戦った相手のスタイルを覚えている、というだけではあるまい。なんというか、こう――

 明らかに、性能そのものが上がっているような。


「ははっ、ははははは!!」

「くっ……!」


 手甲剣の連撃が収まらない。いつの間にか、氷菓は防戦に追い込まれていた。負けはしないのだが、なかなか反撃に移れない。


「はっ、っはははァッ!! やっぱつえぇな《白雪姫》! 俺様をコテンパンにしてくれただけあるじゃねぇの!」


 バイザーの奥から見える瞳が、不自然に血走っていた。尋常ならざる目つきに、氷菓の脳が警鐘を鳴らす。


「だが……おかげで、『上がった』」

「──ッ!?」


 その予感は、的中した。

 突如、アルハンブラの姿がぶれる。正確には、氷菓の目でもとらえきれないほど早く動いたのだ。腹部に衝撃。豪快な蹴り技が、氷菓の小柄な体躯を吹き飛ばしていた。


「がっ……」


 喉の奥から空気が漏れる。倒れ伏す《白雪姫》を見下ろして、邪道の騎士はけたけたと笑い出した。恍惚としたその声は、どう考えても正気の人間の出すそれではない。


「すげぇ、すげぇよ! この力、最高だ……! レートが二つ上がるだけで、こんなにも変わるもんなんだなァ!」

「は……?」


 今、この男は何と言った? その言葉、聞き間違えでなければ、異端深度が二上昇した、という意味だ。あり得ざる現象。レートは高ければ高いほど、次の段階に上がるのは遅くなる。それだけの経験値、二日三日で手に入るものではない。


「《白雪姫》ェ……てめぇさっき言ってたよな。俺様がなんでこんなところに、って」


 バイザーの奥、狂気に彩られた瞳で、アルハンブラは氷菓を見つめる。


「必要なんだよ、金が。俺様が強くなるためには金が必要なんだ」


 ふと、その言葉に違和感を覚えた。

 おかしい。《代理戦争》の最中でこの男が見せた性質と、今の彼の在り方が、何か致命的に、根本的にずれている気がしてならない。少なくともここまで、報奨金や『強さ』に固執する人物ではなかった。どちらかというと戦いそのものを求める、バトルジャンキーであったような。


「……そのお金で、どう強くなると?」

「知りてぇのか? ハッ、思ってたより貪欲なんだな……いや、その見た目なら当然か。欲深そうな体つきだもんなァ!」


 どういう意味ですか、と問い返すことはできなかった。豊かに実った胸のあたりをねめつけるような視線で、全て理解したから。羞恥に頬が染まる。無意識のうちに、体を隠すように構えを変えていた。

 そんな氷菓の様子を伺いながら――それでいて、眼中に入れることもなく。非道の騎士はにたりと笑う。


「こいつだよ」


 かちゃり、と小さな音。アルハンブラがポケットの中から、何かを取り出した音だった。彼の手の中にあったのは、黄色く淀んだ妙な液体。

 厳密にはそれを入れた、小さな瓶だった。何かの薬品だろうか? 蛇の毒に対する血清に見えないこともない。

 アルハンブラが手を振れば、たぷたぷと不気味に液が波打つ。


「こいつを使えば、俺は簡単に強くなれる。それこそ、これまでの人生が無意味に思えるくらいにな! もうこれがあれば誰にも負けねぇ。それこそてめぇにも、行く行くは五人の最大異端にも……! こいつを買うための金が要る。だから俺様はここにこうして立ってるのさ!」


 見る見るうちにアルハンブラの表情が変わっていく。誇りを捨て、狂道に堕ちた騎士のそれへと。


「バテレンテックはもう潰れる。だからその辺のゴロツキどもに武器貸して、こうやって小遣い稼いでんのさ。ああ全く《第三最大異端》様々だぜ! あのお方のお蔭で俺様はてめぇと武器同士のぶつかり合いで悦しめる! クソザコどもは一丁前の兵士になる! 最高だ。最高の戦争兵器だぜ、異端兵装ってのはよォ! 感謝感激雨あられだ。《異端者》が合法的に戦える世界を作ってくれてありがとうございます、ってな!」

「──!!」


 その言葉のせいで。

 自分の中で、何かが『キレた』のを感じた。一般的に多分それを、『堪忍袋の緒』という。

 無意識のうちに、氷菓は自身に流れる《異法》の出力を上げていた。視界の流れる速度が変わる。まるで世界が凍てつき、自分だけが激流に身を任せているかのように。加速度的に開いていく彼我の行動速度に、アルハンブラが瞠目するのが見えた。

 諸人であれば悲鳴を上げているだろう強烈な負荷。それを無理矢理抑えつけて、氷菓は半ば泣き叫ぶように機械槍を振り下ろす。


「あなたに、あの人の何が分かるというのです!」

「何ッ……!?」


 クロムシルバーのジャマダハルが、鈍い音を立てて叩き落された。強烈な攻撃はその装甲にヒビを入れ、まるでクレバスから極寒が這い出るごとく、ばきばきと刀身を凍らせていく。

 氷菓の《異法》、《時よ止まれ、お前は雪景色の様に美しいグリム・ニル・メフィスト》がもたらす絶対氷結の法則に支配権を乗っ取られ、漆黒の手甲剣は正統世界から姿を消した。


 それでもなお、氷菓の追撃は止まらない。相手に反撃の武器が無いことなどお構いなしに、槍を鎌に入れ替え大気を裂く。氷の軌道はアルハンブラを追い詰めて、なんとか攻撃をかわす彼の動きを徐々に、しかし確実に遅くしていく。


 彼女の内を、感じたことのないほどの怒りが支配していた。平時の彼女が今の自分を省みれば、顔を真っ赤にして驚くことだろう。

 それほど、ぐしゃぐしゃの表情をしていたから。


「あの人はそんなことの為に異端兵装の王になったんじゃない。あの人はそんなことの為に《最大異端》になったんじゃない。あの人は、あの人は……!」


 有司が愚弄されたことに、耐えられなかった。

 有司の目的が人々に理解されていなかったことが悲しかった。

 有司が『正統』に近づこうとすればするほどに、《異端者》であることが彼を普通の日常から遠ざけていく。そんな世界であることが、たまらなく悔しかった。

 彼の想いを何一つ理解しないまま、今の世界の暗黒側面だけを享受する――それを高らかに宣言する輩の存在を、どうしても許せなかった。


 再び槍の形態へと変形した《十二時の鐘が鳴る前に》が、吹雪をまとった強烈な突きを放つ。ドリルのごとく旋回する疾風の穂先に胴を貫かれ、アルハンブラはショッピングモールの柱に叩きつけられた。


 ヘッドギアが破壊され、ラテン系の顔が露出する。同時に黒いバトルスーツが、わずかにだが凍り付き出した。時間の経過と共に対象を氷結させる、侵食の氷だ。異法テロリストの首魁は、身をよじりながら氷結の未来から逃れようとする。


「くそっ、こいつ、急に……ぐふぅッ!」


 その口が、赤を吐いた。

 氷菓の攻撃によるものではない。アルハンブラはあれでもプロだ。戦闘は一方的だったが、彼はことごとく致命傷を避けていた。今の一撃は自分でもよく決まったと思うが、それでも血を吐かせるだけのクリティカルヒットにはできていなかったはずだ。


「が、ぐ、ぐぁっ……な、なんだ、急に体が、動かなく……」


 証拠に、アルハンブラは氷菓の《異法行為》ではどうやっても導き出せないような苦しみ方をし始めた。胸を抑え喀血するだけでなく、血涙までも流し始めたではないか。


「畜生、足りないか、足りないのか……もっと飲まないと、もっと使わないと……!」


 ぶつぶつと呟く彼の瞳は、どう見ても焦点が合っていなかった。氷菓を認識しているかどうかすら怪しい。狂気に囚われた異端騎士は、そのまま膝を屈して再び血を吐いた。

 尋常ならざる光景に、思わず足が止まる。


 ──恐らく、それが間違いだった。

 斬り殺すべきだった、という話ではない。逆だ。今すぐその場から逃げるべきだったのだ。有司と舞花を見つけ、合流し、そのままショッピングモールから退散するのが最適解だったはずだ。

 だってそうしていれば。


「ふむ……やはり、『救済』を受け入れる者としては不十分であったか」


 きっと『そいつ』と出会うことは、なかったのだから。

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