第50話 こんなに繭を愛しているのに

 だん、だんと、その場で地団駄を踏みながら、フローラは、なおも叫び続けた。

「八時二十分ばっかり! 私には八時二十分ばっかり!」

「八時二十分…?」

 繭はエミリーに通訳を求めるように視線を向けた。

「ああ」


 エミリーが笑った。

「繭ちゃんの眉毛が、お姉ちゃんと会ってる時だけ、時計の針に例えると八時二十分の位置にあんの」

(八時二十分…)

「ほら! 今も。今も八時二十分じゃない」

 フローラが指を差した。

「そうなの?」

「まあね」

 エミリーは、自分の眉頭に親指をあて、ぐいっと引き上げた。

「こーんなになってますけど」


 -ははっ-

 思わず繭が乾いた笑い声をあげた。


(笑った)

 それを見ていたフローラが、慌ててエミリーの横に座った。

「ねえ、もう一回。もう一回笑ってみせて」

「え?」

「今の。繭の笑顔。私、こんな近くで見たの初めて。胸の奥がきゅんってなった。お願い、もう一度笑ってみせて」

「ムリ。面白くないのに笑えない」

「………」

 みるみる、フローラの表情が曇った。



「そっか」

 ふらっと立ち上がると、二枚の伝票を手に取った。

「また邪魔しちゃった。帰る」

「あ……」

 繭がフローラを見上げて何か言いかけたのを、エミリーが止めた。


 やがて、店を出たフローラの背を見つめながら、

「本当はね、今日繭ちゃんとゆっくり話そうと思ってたの。伝えたい事いっぱいあったから」

「伝えたい事?」

「うん」

 エミリーが小さく微笑わらった。


「先生が若返ったでしょ、突然。あれはね、お姉ちゃんが王様に頼んだものなんだよ」

「えっ⁉︎」

「だっておかしいでしょ? ある日いきなり若返るなんて。お姉ちゃん、バカなんだよ。繭ちゃん取られちゃうのわかってて、それでもあえて、そうしてあげたの。繭ちゃんがそれを望んでいたから」

「………」

「それから、私達が王城に出入り出来るのも、お姉ちゃんの関係者だからなんだよ。普通は門前払いなんだから」

 エミリーは、ズズッと、残りのアイスティーを全て飲み干した。


「でも、お茂さんが現れて、だんだん雲行きが怪しくなった。だから、自分が人間になって繭ちゃんを守ってあげようって思ったみたいなの。でも、守るどころか、どんどん繭ちゃんに煙たがられていっちゃってさ」

「そんなこと…」

 繭は、キュッと唇を結んだ。

「まあ、あれだけやられたら、そりゃそうだよね。けど、お姉ちゃんなりの愛情表現ってゆーか、美学ってゆーか。でも一コ言えるのは、繭ちゃんのこと、ただ真っ直ぐ思ってるんだよ。誰よりもね」

「………」

「あ、そうだ。それからもう一つあった」

 目を上げたエミリーが最後に言った一言で、繭は思わず立ち上がっていた。



「フローラ!」

 公園でキコキコと地に足をつけたまま、ブランコを揺するフローラの姿を見つけると、繭は思わず叫んで、駆け寄って、その萎れた体を抱きしめていた。



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