第28話 夜ゾニャノムコウ

 花は、哲学していた。


 さっき…。


 あまりにも悲しげな繭を見て。励まそうと言葉を探していたはずだった。


 ……のに。


 気づいたら、キスをしていた。

 それも。


 -ファーストキス-


 だった。


 57年間生きてきて。

 初めて誰かの唇に触れた。

 冷たくて、柔らかくて。

 なのに、弾力があった。


「キス…しちゃった」

 小さく呟いて、自分の唇に指を這わせるようにして撫ぜた。


 -カタッ…-


「あっ」

 猫窓が少し開いて、ももと目が合った。

「あ、もも…ちゃん?」

「ニャア…」

 一声鳴いて、ももは後ずさって去った。

「あ、待って。先生の話聞いて!」

 這いながら、花が追いかけた。


(ゴメン、先生。今日は私も無理っ)

 ダッシュして、繭の部屋の猫窓にももは駆け込んだ。


「あぁっ…」

 小さな、花のつやめいた声がして。

 廊下は静かになった。



(ふう……)


 繭…いや、ももは、ベッドに上がると横になった。

(花ちゃん…泣いてくれた)

 私の代わりに泣いてくれた。

 理由も聞かずに。


 それから。それから……。



 キスをした。



 唇が触れている間、不思議とキンモクセイの香りがした。その香りが唇にも移っていたのか、キンモクセイに包まれているような感じだった。


「はぁ…」

 小さく、ため息をつく。

 花の心に、近づけた喜びだけに浸れない自分がいた。

 このまま、何気なくいつものように眠りについたら、ローズのいたあの頃に戻れるだろうかなんて、どうしようもないことばかり考えた。


「はぁ」


 もう一度、ため息をついた時だった。


 「ニャー」

 何処かで猫の鳴き声がした。


(えっ)

 飛び起きて、窓の鍵に手をかける。時間はかかったけれど、どうにか窓と雨戸を開けることが出来た。



「よォ」

 ダミ声でそう言ったのは、ノラ猫のバースだった。

「………」

「何だよ」


 閉めようとした。

「オイ! 何閉めてんだよ」

「あんたに構ってる心の余裕がないの!」

「バカ、ローズの事でわざわざ話をしに来てやったんだぞ」

「えっ! ローズの事⁉︎」

「ああ。お前ら、つき合ってたんだろ」

「それを早く言いなさいよ。ローズ、元気なの⁉︎ どこに居るの⁉︎」


 ももの問いに、バースは返答こたえなかった。

「ケータイ、持って来れるか?」

「…ケータイ…? ちょっと待ってて」

 部屋に戻ると、ケータイを小さな手さげバッグに入れ、口に咥えた。

「よし、ついて来い!」

 ももは無言で首を上下させ、二匹の猫は闇に消えた。

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