猫と呪いと高校生。

超絶神的に猫好きな男子高校生。

 カーテンの隙間から差し掛かる眩い光、瞼の奥の瞳まで突き抜けてくるその光にうっとおしさを感じながらも、詠野えいや晶止しょうとは目を覚ます。


 いつもの朝だ。そう感じながら徐々に意識が覚醒していく。


 すると、いつも寝ているはずのベッドに違和感を感じた。


 いや、ベッドに違和感を感じるというのは誤解が生じるかもしれない、正確には俺の体の上に掛け布団ではなく違う感触のものが僕を取り巻くように覆いかぶさっている。


 少し薄眼を開けると、何かが見える。見えたそれは例を挙げるとすると、動物の毛だろうか。その毛はシルクの様な光沢を持ち、一本一本がしっかりと手入れされている様な手触りで最高に心地よかった。


 その毛の正体を確認するために薄く開いていた眼をゆっくりと開く。すると徐々に俺を覆っている全体像が見えてくる。


 全身を覆う黒い毛、頭部から生えた尖った耳、特徴的な眼、長いヒゲ、足裏にある桃色の肉球、そうそれは、


 《猫》


であった。





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 たった今、俺の目の前で額に青筋を浮かべこちらを睨みつけているのは、ポニーテールと背が低く童顔なのがトレードマークな俺のクラス担任の教師、和泉いずみふう先生だ。


 そして、俺が和泉先生に呼び出された理由は、彼女の右手に握られているストラップに関連するのだろう。


「おい詠野、呼び出された理由はわかっているんだろうな」


 こんな顔と体からは想像もしない様な口調で話す。軽く詐欺だ。


「なんでしょうね」


 俺が適当に答えると、より一層眉間にシワが寄る。眉間を虐めないで!顔が怖いですよ!せっかく可愛いのに勿体ないですよ!


「なんでしょうねじゃない!これはなんだ!」


 和泉先生は右手に持っていたストラップを掲げて、これを見ろとばかりに見せつけてくる。


 ふとそのストラップを見ると、とても見覚えのあるストラップだった。


 まぁそれもそうだろう、そのストラップは元々俺のだからな。


「とても超絶神的に可愛い僕の猫型ストラップですね」


 このストラップは俺の行きつけ猫カフェランラン限定のこてつちゃんストラップだ。見間違える訳がない。因みにこてつちゃんは足が短い事で有名なマンチカンという種類の猫である。付け加えると超絶神的に可愛い。さっき言ったなこれ。


 和泉先生は俺の返答にうんざりしているのか、額に手を当て深く溜息をついていた。


「詠野。入学してまだ一ヶ月も経っていないのに、お前は何回没収されれば反省するんだ?」


 そう、俺はストラップを没収されるのは初めてではない。計十回程没収されている。なんなら今日含めほぼ毎日没収されている。


「でもですね、別に校則でストラップは禁止では無いですよね?」


「あのな、詠野。自分の担当しているクラスの生徒が、猫のストラップを凝視しながらニヤニヤしていたら没収するしか無いだろ?」


 こちらを見ながら手のひらを上に向け聞いてくる。その動作でポニーテールがゆらりと揺れる。


「いや、没収するしかって、別に注意してくれればやめますよ。そんくらいの常識的な判断は出来ますよ。舐めてもらっちゃ困りますよ」


「常識的判断ができる奴は猫のストラップを凝視しながらニヤニヤしないと思うがな。だから友達が出来ないんだぞ」


 こちらをギロリと睨みながら正論を言ってきた。

うっ、最後の一言は余計だろぉ……。


「い、いや、な、何言ってるんですか、友達ならいますよ?いつも一緒に遊んで、一緒にご飯を食べて、一緒に散歩に行って、時には一緒に寝たり、時には喧嘩もしたり、時にはお互い励まし慰め合う沢山の友だ」


「猫は友達とは言わないからな」


 言葉を遮られ、全面否定された。周りで聞き耳を立てていた先生達がクスクスと笑っている。


 え、サビ柄のシュンタロウや康毅、三毛のみぃなちゃんは友達じゃなかったの?いや、まず友達って人間じゃないといけない、なんて決まりはあるのか、無いよな。ということは逆説的に、犬や兎、ましては亀や虫でも友達になれるって事だ。大丈夫だ猫達は友達、いや、ネコダチだ!

と、半ば無理矢理に心を落ち着かせる。


「だ、大体、友達なんて二、三人で十分なんですよ、それ以上居ても付き合いに疲れて、関係があやふやになってきたりして、他人に戻る。そんなもんでしょう」


 キョロキョロと視線を泳がせながら説明すると、和泉先生は悲しげな目で此方を見ていた。


 その後、姿勢を直しつつ頭をガシガシと掻く。


「まぁ、お前がそう言うのなら良いのだが……」


 和泉先生が話を終えたと同時。


 キーン、コーン、カーン、コーン

 キーン、コーン、カーン、コーン


 よく聞くチャイムが鳴った。予鈴だ。


「まぁいい。もうそろそろ一時限目が始まる、続きは放課後だ。早く教室に戻るように。バックレんなよ?」


 そう言われて職員室に備え付けられている時計に目を向けると、一時限目まであと10分ほどだった。


 先生に一礼し出入り口である扉の前まで向かう。というかその口調は教師としてどうなんでしょうか……。バックレんな、とか今時聞かねぇしな。てか放課後も説教あるんですね……。


「失礼しました」


 職員室のドアを閉める時にふと、猫のストラップ片手にニヤついている和泉先生が視界に入った。この光景は没収される度に見る光景だ。


 あぁ笑っていれば可愛いのにな、と俺にとってはたわいもない事を頭の片隅で思いながらドアを静かに閉め職員室を後にする。


 自教室に戻ろうとすっかり静寂に包まれた廊下を軽く踏みしめる。窓から廊下へ日の光が差し込む。日は出ているので暖かいのだが、何処か朝の涼しさを残した風が廊下を流れる。


 もう他に生徒はいないようで、俺のコツリコツリという足音は一際大きく響き渡っていた。








「はぁ、憂鬱だ」


 溜め息をつきながらそっと呟く。


 まぁ没収されたストラップはまた買えばいいとして、放課後、帰るのが遅くなるのは勘弁だなぁ。


「はぁぁぁぁああ、憂鬱だ」


 先程より大きな溜め息をつきながら自教室に向かうため、第一教棟と第二教棟を繋ぐ渡り廊下を歩く。


「なんで俺はこんなにも悪運が強いんだ……。ちょっとストラップを見ただけなのに丁度そのタイミングで先生に見つかるし。絶対におかしいよなぁ……」


 今朝なんか登校中に鳥の糞は落ちてくるわ、信号は俺が来ると同時に赤になるわで、嫌な事だらけだった……。


 進む事、第二教棟の廊下。


 ぼーっとしながら「そういえば、一時限目はなんだったっけな」と、考えながら歩き進んでいると、急に背中に強い衝撃が走った。


「って‼︎」


 背中に走る痛みに思わず声が出た。何者かが背中をぶったのだろう。


 言っちゃなんだが俺が学校で接する奴なんか少数だ、そしてその中でこんな事をする奴はアイツしか居ない。


「いってぇーな、藍叶あいきょう‼︎」


 振り返ると、体操服姿の女子が一人。悪戯に成功した子供の様にニシシと笑う。だがその後直ぐにキョトンとした顔になり返答する。


「ん?詠野がトロトロしてたからだぞ?」


「だからっていきなり人の背中をぶっ叩くんじゃありません」


 これだからコイツは。


 コイツは藍叶あいきょうあい。クラスは一年生E科。部活は陸上部に所属しているらしい。この学校の中でも結構人気があるら、し、い。


 俺が“らしい”と言うには理由がある。俺はこいつがあまり好きではないのだ。どちらかと言うと嫌いな方だ。その訳は、


 ふと、藍叶の前髪に目をやる。そこには前髪を止めるためにしてあるであろう、動物の柄がついた二つのヘアピンがキラリと煌めいている。


 ぼーっとヘアピンに視線を向けていると、藍叶が目を細め口をニヤつかせた。


「おー?なんだなんだ?そんなに私のヘアピンをジッと見て、遂にわんちゃんの良さがわかったかー?万年猫好き詠野さん?いや、猫野さん?」


「おい待て、いつ俺が犬が好きだと言った。まぁ、俺が猫を超絶神的に好きなのは認める。だがな俺は犬が気になってヘアピンを見ていたわけではない。それに俺が犬が大嫌いな事ぐらい知っているだろ?」


 俺がこいつを嫌いな理由。それは、俺が大の犬嫌いであり、こいつが大の犬好きだからだ。


「そんなの百、いや、兆も承知の上さ。だけど詠野は何でそんなにわんちゃんが嫌いなんだ?」


 自分のヘアピンを指差しながら俺に問いただす。


「だからな、いつも言っているだろうが。まだ俺が小さい時に犬に噛まれた事がトラウマなんだよ。今でも噛み跡がいくつか残ってるし」


 この会話にうんざりしながら、俺は体にある噛み跡の一部、腕にある跡を見せながら返答する。すると藍叶は腕を組み、考え込むようなそぶりを見せる。


「けどねー、はっきり言って詠野のわんちゃんに対する拒絶反応はそこら辺のわんちゃん嫌いとは違って度が増して異常なんだよ。幼少期に噛まれたっていうトラウマ以外の何かがあるとしか考え様がないんだよ」


「あのな言わせてもらうが、幼い頃に植え付けられたトラウマ程怖いものは無いと思うがな」


 言ってしまえば、犬を見ただけで悪寒がするし、吐き気、頭痛もする。その場から逃げ出したいとしか考えられなくなる。これはもう思考の問題じゃない、反射だ、条件反射だ、パブロフの犬だ。犬だけに。……クソッ、気分が悪くなった。


「はぁ……なんでお前はそんなに猫耳が似合いそうな容姿をしてるのに犬派なんだよ……。一回だけだから、な?付けてくれ!頼む!」


 俺は廊下のド真ん中で腰の角度を完全に直角、九十度に曲げ懇願する。


「だから嫌だって言ってるじゃんか。なんで私が猫耳なんか付けなきゃいけないんだよ」


 何言ってんだコイツ、そんなの分かりきったことだろ?


「は?可愛いからに決まってんだろうが。お前みたいに猫耳が似合う奴はそうそういないぞ?」


「……へ、へぇ〜、そうなんだ」


 藍叶は顔を赤くしながら目を逸らす。


「なぁだからお願いだよぉ〜……。この耳だけで良いから!」


「何回言われても答えは一緒って……てかなんで今猫耳持ってんのさ!お断りです!」


 プイッと顔を背け又もや拒否された。


 本当にコイツは強情だなぁ……。


 プクーっと頬を膨らませている藍叶を横目にふと、廊下の天井からぶら下がる状態で設置してある電波時計に目をやる。カチ、コチ、と長針と秒針が指し示す時刻に俺は目を見開く。


「やべぇ‼︎あと一分しか無ぇじゃねぇか‼︎こんなところで話してる場合じゃねぇ‼︎」


「本当だ!授業に遅れちゃう!」


 二人ハッと目を合わせると瞬時、同時に切り返し走り出す。俺は階段までの残り廊下を全力疾走。3階にある自教室に向かうため急いで階段を駆け上がる。


 藍叶は格好からして体育だろう、その証拠に俺がちらっと後ろを振り返った頃にはそこに姿は見えなかった。流石現役陸上部。けどこっちの扉から出た方が早かったのでは無いのかな?


 などと考えながら階段を一段飛ばしならぬ、二段飛ばしで駆け上がる。そしてようやく教室の扉が視界に映る。扉を勢いよく開け駆け込む。刹那、一時限目のチャイムが鳴った。


「っぶねぇー、遅刻するところだった……」


 そう小さく呟くと自分の席に向かう。クラス全員が俺の方をチラチラ見ているが気にしない、気にしない。


 クラスは名前の頭文字が五十音順に若い方から一番〜三十七番までの三十七人で構成されている。俺の席は窓際から数えて一号車目、人数が奇数のせいで一つ後ろに飛び出でいる席が俺の席。最高の席だ。


 それから、一時限目は現代文だったらしい。先生が現代文の教師だ。あと、放課後の呼び出しめんどくさいなぁ。


「まぁ放課後の呼び出しの事は忘れて今は癒されよう」


 先生が授業を始めるのと同時に俺は机の横に掛けている鞄から猫のストラップを取り出す。

 今日は先日こてつちゃんストラップと一緒に買ったこのミクルちゃんストラップでも眺めていよう。


「やっぱりメインクーンはこのサラサラの毛並みがたまらんよなぁ〜。いつか触ってみたいなぁ〜」


 俺はストラップを眺めながら授業を聞き流した。先生や周りのクラスメイトがニヤけている俺を見て苦虫を噛み潰したような顔をしていた気がするが気にしない気にしない。


 ストラップを愛でていると時間は直ぐに過ぎていき、六時限目終了のチャイムが鳴る。


「はい、じゃあ今日はここまで!」


 六時限目の教科、数学担当の先生がチャイムの音を聞いた後、手に持っていたチョークを粉受けに置き、生徒達にそう伝える。


 その後、生徒達がドッと喋り始めいつも通り周りの席のクラスメイトと話しながら下校の支度をするものや、部活仲間と今日の部活について話し始めたりなどして、教室が「ようやく終わったよ」「今日の練習メニューなんだっけ」などの話し声に包まれ活気が生まれる。


「ふぇ?……あ」


 授業終わってた。職員室行くか……。


 俺は教室の雰囲気に気付き、ストラップをしまい口から垂れそうな涎をズズッと啜った後、周りと同じように帰る支度を始める。


 まぁろくに授業聞いてなかったので鞄にしまう物などほぼ無いのだが。


 ほぼ無い物を鞄にしまうと後ろ側の扉をくぐり職員室へ向かう。


 廊下に出ると、テニスラケットや部活道具が入っているであろうエナメルを肩から下げている運動部員達で混雑している。皆、運動場付近に向かおうとロケット鉛筆式に階段を下っている。


 俺はその人混みを通り抜け、ここ第二教棟から職員室のある第一教棟へ向かう。


「よう!今日も呼び出しか?またストラップ見てたんだろ」


 渡り廊下に差し掛かると同時、ダルそうに歩く俺と並歩し横から声をかけられた。


「あぁそうだ、なんか文句あっか」


「いいや別に。てかお前、今日初めて人とちゃんと話しただろ?」


「残念ながら、今日はお前で三人目だ。まぁこの学校で積極的に俺と話そうとするのは、お前含め数人だけだけどな」


「マジか!良かった良かった、話したの俺だけだと思ったよ」


「今日は何かと人と話す機会があったからな。まぁ不本意だけど。で、お前は今日も部活か?鐘場」


「まぁな、毎日毎日レシーブの練習、辛いよ……」


 鐘場かねば英樹えいじゅ。バレー部所属。俺と同じ一年A科。つまりクラスメイトで、俺と会話を交わす数少ない友達の一人だ。

 部活の練習が厳しいようで、この後の練習を想像し肩を落としている。コイツも災難だな……。


「……で、なんか用があったんじゃないのか?」


「お、そうだそうだ、ちょいと待てよ……」


 肩にかけていた通学鞄を開き何か探し始めた。数秒後、鐘場はニッと笑いながらノートを数冊手渡してきた。


「ほらよ」


「……ん?ノート……?」


「板書取ってないだろ?貸してやるよ」


「おぉさんきゅ、助かる。すぐ写すよ、明日返したんでいいか?」


「おう!いいぜ!」


 鐘場は俺がノートを鞄にしまうのを待った後、「じゃあな!」と一言言って体育館の方へ走って行った。

 俺は手を振りつつ鐘場の後ろ姿が見えなくなったのを確認した後、ストラップを奪還するため職員室に向けて再び足を進め始めた。




第一教棟、職員室にて。御説教中……。


 何時間だろうか数えていないから分からないが確実に時間単位で時が経っているのは分かる。


 早く終わらないかなぁ、あ、足が痺れてきた、今日もポニテ絶好調だなぁとか何とか思っていた。まぁなんか途中でちょいちょい猫の話が混ざっていたからさほど苦では無かった。


 通勤中に子猫を見ただとか、自分の家の近くに新しく猫カフェが出来たとか恍惚とした顔で話していた。全く関係ねぇ……がその話は有効活用させて貰おう。


 すると今までガミガミと話していた先生はふと時計に目を向け一旦「はぁ……」と、ため息を吐き再び口を開いた。


「次、見ているのを見つけたら永久没収だからな。もう夕暮れだ、気を付けて帰るように」

「はい分かりました……気を付けます……」


 職員室の出入り口でそう俺に忠告すると和泉先生はポニーテールを揺らし自分のデスクへと戻っていった。

 永久没収とか洒落にならない……。でもあの先生ならするだろうな、そして家に持って帰って愛でる姿が容易に想像出来る……。


「さようなら……」


 小さくそう言いながら職員室の扉をゆっくりと閉め、職員室を後にした。

何時間説教されていたんだ……まぁこてつちゃんは返して貰ったし、取り敢えず帰るか……。今日は世界ネコ歩きの放送日だしな!


 校舎から出て空を見上げると先生が言っていた通り既に日は暮れていて、春と言うには些か信じがたい。先程までいた校舎だけでなくその他の校舎までも夕焼けに照らされ朱に染まっていた。

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