第三十二話 そりゃもう凄かった



 皇女アルマ・ジェミ・グラディスの持つ《異能》とは、恐らく想像するに、身体能力の強化、それも速度に特化した奴である。


 さらにもう一つ――それは姿勢制御。どんな無茶な体勢をとっても崩れない平衡感覚であり、絶対のバランス。それが能力の根幹にあるに違いない。皇女様がやってみせたように一方の足を軸として自転運動をすると、回転動作が高速であればあるほど姿勢は安定して乱されにくくなる。つまりはジャイロ効果だ。超高速で右足を振り回すことで効果を引き起こし、バランスを維持したまま器用に俺の前髪だけを刈り取ったという訳なのだ。


 手加減なしでは残像すら視界に映らなかったその動きは、日々の鍛錬で培えるものでは決してない。確かに常人では到達できない域にある《異能》だ。




 なんですけど……。




「もう一回……見てみたいんじゃないか? ん?」


 どうしたものかと懊悩おうのうしていると志乃姉が余計な一言を発し、あやうく、あ、見たいです、と口に出しそうになったが慌てて首を振った。否が応にも頬が熱を持っているのが分かる。


「い――! い、いや! もう……分かったし……うん」

「遠慮するなよ? 減るもんじゃないだろ?」


 減るんだってば。

 俺の精神がごりごりと。


 ただその沈黙は皇女様の琴線きんせんに触れたらしい。見る間に眉がしかめられ、瞳が細くなった。


「あら……? 大した見どころはなかったと、そう言いたいのですか?」

「いやいやいや! そりゃもう、凄かっ――!」


 つい反射的に言葉に出してしまった。あっ、と思ったがもう遅い。


「だよなー?」


 もーお前えええええ!

 黙ってろよおおおおおもおおおおお!


 こういう時に頼れるのは馬鹿姉ではなく、我が愛すべき妹の――。


「………………ふーん」

「あ、あれ? 何です、浅葱あさぎさん? ちょ――」


 すがるような視線を受けても、にこり、とするどころかむしろ軽蔑しきった目で浅葱は、じとー、とにやけ面の不甲斐ない兄、つまり俺を見ていた。うろたえまくって手を伸ばすも一切を拒絶するようにそっぽを向かれてしまう。椅子の上で膝を抱えたまま、ぷくー、と頬を膨らませながら浅葱はぶつぶつ呟いた。


「……ひーくんがそんなにえっちだとは知らなかったなー? ふーん凄かったんだふーん?」


 やべえ! 浅葱も気付いてるのかよ!


 さらにその隣を見ると、奈々瑠ななるまでが弾かれたように俺の視線を避ける素振りを見せる。さすがの皇女様もようやくこの場の異様な空気に何かを感じ取ったらしい。


「貴方……! 何をしたの……っ!?」


 うん。知ってた。

 でもそれ、俺じゃない。


「お、俺じゃねえっつーの! むしろお前が原因なんだってば! お前が今やったことが!」

「……はぁ?」

「えっとだな……」


 何言ってんの、みたいな表情なんだろうなこれ。残念ながらあまりに無表情なので本気なのか冗談なのかちっとも伝わってこない。こんな状況になってしまったら、いまさらつくろった言葉を並べ立てようが無駄だ。仕方なく溜息をはぁーと吐き出してから俺は言う。


「いいかね、皇女アルマよ。お前の能力は確かに凄い。凄かった。一発目の蹴りは、見えなかったどころか、蹴りなのかどうかすら分からなかったくらいだし。………………けどな?」


 相変わらずその呼び名を口に出すと露骨に嫌そうな顔を見せるのだが、俺の知ったことではない。わずかに視線を下に向けると抜けるような白さのすらりと形の良い足が目に飛び込んでくる。ついでに対照的な色合いの映像までもが脳裏に蘇ってしまい、俺は思わず口ごもった。


「け、けどだな? スカートの時はやめた方がいいんじゃないかと思う。あの、あれだ――」

「……何故?」

「え? な、何故って? ほ、ほら! あれだってば!」

「はっきり言ってやれよ、ヒ・イ・ロ?」


 くそう。言えたら苦労しねえんだって!

 そこでようやく皇女様もちたらしい。


「なるほど……。そういうこと……」


 かと言って、恥じた様子は少しもない。呆れた、とばかりに軽く肩をすくめただけだ。


「たかが下着じゃない。それに、私の下着を見たところでどうということはないでしょう?」

「お………………おう?」


 せやな。




 って、なりませんけどね、ちっとも。

 まあ、得したってことでいいのか……?




「そ、それよりも、です!」


 あ、あれ?

 ちょっと、こいつ……赤くなってないか……?


 一層厳しい顔付で、ぐぐっ!と詰め寄ってきた皇女様を見て、一瞬そんな気もしたのだが、もう一度確かめる暇なんてなく、皇女様が鼻息荒くさらに距離を詰めてくる。


「わ、私も見せたのだから、貴方も見せるべきでしょう!? 貴方がその身にまとっている物、それを全てさらけ出しなさい! 早く!!」


 ちょ――!?


 激しく動揺してから、はたと気付く。あー。能力のことね。

 しかし、それはそれで素直にうんとは言えないのだ。


「何でそうなるんだよ……」

「そちらが一つカードを見せたので、こちらからも一つ見せたのです。次はそちらのターンでしょう? 卑怯じゃないかしら?」

「ひ、卑怯も何も、そもそもそんな約束なんてしてなかっただろーが。大体、俺はだな……」


 露骨に嫌がっている俺の態度に、皇女様はムキになって責め立ててくる。しどろもどろになりつつ俺は後ずさった。つーか、いつからここは外交の場になったんだっつーの。


 にしても、見せた見せた、と言われるたびにさっきの光景が、ちらっちらっ、とフラッシュバックして落ち着かない。ぐいぐい詰め寄る皇女様の視線を避けようとして顔を背けると。




「……じーっ」


 ――そこに別の視線があった。



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