第二十二話 まだ地図に無い国



「私が生まれたのは、アルマと同じグラディス皇国です。ヨーロッパにある小さな国で――」


 ソファに三人で座り、奈々瑠ななるの淹れた紅茶とクッキーを堪能しつつ、ふと浅葱あさぎが投げた質問に奈々瑠が答えた。聞いた浅葱は反射的にうめいたが、当然奈々瑠にはその真意は分かるまい。


「あ……あの……?」

「ん? あー、何でもないです何でもないんです! ちょーっと社会科の勉強で弱ってただけなのでー。ヨーロッパの国、数が多くて覚えられないなーとか。あは……あははははー!」

「そ、そうなんですね」


 釣られて奈々瑠も笑ったがいまいちピンと来ていない顔だ。

 俺も好奇心から尋ねてみる。


「グラディス皇国って、どんな国なんだ?」

「そ、そうですね……小さな国です。元々貴族領だったものが世の勢いに乗じて独立してできた国家です。歴史は浅いですけど、そこで暮らす私たちにとっては住み慣れた良い土地です」


 ここです、と浅葱が持ってきた世界地図の一点を奈々瑠が指さしたが、残念ながらそこにはまだその名は存在していなかった。それほど欧州の情勢は日々変化しているということだ。


「大好きな場所なんでしょ?」

「ええ! 帰れるものなら、今すぐにでも帰りたいです!」


 と、つい口にしてから、慌てて言葉を繋いだ。


「い――いえ! 日本が嫌いって訳じゃないんですよ? ただ……まだまだ分からないことばかりなので落ち着かなくって……」




 ――帰れるものなら?




 もし物語の《主人公》であれば、ここでさらにもう一歩、奈々瑠の事情に踏み入ることも厭わないのだろう。


 だが、俺は違う。

 だから、その違和感をそっと飲み下すだけだ。




「でも、奈々瑠さんって日本語上手ですね。お父さんかお母さんのどっちかが日本人なの?」

「母親は――いないので」


 浅葱が、しまった! という実に分かりやすい顔をして俺に目で助けを求める。仕方ない。ツインテールをがしっと掴んで自分と同じ角度まで押さえつけると、共に深々と頭を下げた。


「あー……悪かった。妹も悪気はなくってさ――」

「ち――違うんです違うんですううう!」


 が、奈々瑠の反応は予想と違っていた。

 あわあわと手を振り、言い訳するようにまくし立てる。


「母親はいないと言っても、そういうんじゃなくって! ホントに言葉の通りの意味なので! ぜんっぜん気にしないで下さい! だいじょぶなので!」


 むしろ気になるばかりだが――この話題は避けた方がいい。お互いのためだ。


 あははははー、と誤魔化ししつつ、奈々瑠はさりげなく一つ前の話題に戻して話を続けた。


「で――ですね。これ、メイド長の方針なんです。小さな国の住人だからこそ、何処に行っても通用する国際的知識を身につけなさい、って。その一つが語学なんですよ」


 英語・ドイツ語・イタリア語・フランス語・スペイン語といったメジャーどころはもちろんのこと、マイナーなロマンス語やバチカンでしか出番のなさそうなラテン語だって喋れますよ? と奈々瑠が代表的な短いフレーズを実際に発声してみせる。 アジア・アフリカ圏に関しては……とわずかに言葉を濁したが、それでも日・中・韓は習得済みなのだから十分尊敬に値する才能だ。控え目に控え目に語りつつも、ところどころでドヤ顔をしたのが妙にムカつくが。


「すごーい!」

「あはあは。やった、褒められちゃいました」


 奈々瑠はお道化て誇らしげに胸を張る。

 む……こいつ、結構あるな。いや、かなりだ。


「……? 何です?」

「な――何でもない何でもない! しかし、グラディス皇国か……申し訳ないけれど全然知識がない。そういえば皇女様は第七皇女って言ってたな。一体何人の兄弟姉妹がいるんだ?」

「一番上の第一皇子に続き、七人の皇女がいます」


 総勢八人か。昨今、七人兄妹でも多すぎるくらいだろう。だがそれよりも、ちょいちょい敬称を省く奈々瑠の癖が気になって仕方なかった。仕える身としては致命的ともいえる悪癖だ。


「――あ、王も皇后もご健在です。かなりご高齢ですけど。実質的な裁量は、第一皇子であるシャルヴァール皇子に一任されています。言葉では言い表せないくらい、有能で素敵な方で」

「ふーん。……んで」


 自ら日陰の道を歩くと決めた俺だ、才覚あるイケメンには興味ない。もう一つ聞いてみる。


「グラディス皇国を代表するモノ、って何なんだ? もちろん特産品とかあるんだろう? 気付いてないだけで、意外と俺たちの身近にあったりする物だったりするのかな?」

「え……えと……」


 一瞬、言葉の意味が分からなかったのかと思ったが、そうではなかったようだ。


「人材の……育成? ですかね?」

「俺に聞かれても」


 困る。

 シンクタンク、とでも言いたいのだろうか。


「ま……いっか。いまいちピンと来ないけど」


 気のせいか奈々瑠はほっとしたように見えた。



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