29.クローディアの異変
誰もいない廊下を歩く者が一人。
見舞い用の花束を手にぎこちない歩みで、一つの部屋の前に立ちノックをする。
「…クローディア。入ってもいいか」
「はい」
中から返事が聞こえ、なるべく明るい表情を作り扉を開ける。
「まあ、ジルベルト殿下!ご機嫌よう」
「ああ」
「こんな姿で申し訳ありません。皆様何故かわたくしをベッドから出して下さらなくて…」
「いいや、気にしなくていいよ」
クローディアのベッドの隣の椅子に腰を下ろす。
「調子はどうだ?」
「皆様同じことをわたくしに尋ねますのね。わたくしは大丈夫ですわ。特に異変もありませんし…」
「そうか、それならいいんだ」
ふと、クローディアに異変を感じる。
―――何かがいつもと違う。
「殿下?」
考え込んだジルベルトにクローディアが心配そうに声を掛ける。
ーーーそう。心配そうに。
「!?」
異変の正体に気づき、思わずガタンと音を立て椅子から立ち上がった。
「どうかしましたか?殿下」
クローディアが、笑っている。大笑いとまでは行かないが、クスッと頬を緩め、柔らかな表情で。
「クローディア…」
「はい」
かわいい…。
まるでその場に花が咲いたかの様だった。今まで一度たりとも彼女の笑顔を見たことはなかった。いつも、どんな時も彼女はピクリとも笑わず、表情を変えることすらなかったのに。
原因は分かっている。記憶を失っているからだろう。
どんな人間でも、最初から感情が無いわけはない。きっとクローディアにも昔は感情と呼べる物があったのだろうが、何かのきっかけで失うこととなってしまったのだろう。
だが、今回はその「きっかけ」もろとも忘れているため、感情らしきものが戻っている、と考えるのが妥当だ。
ーーーしかし。
違和感がすごい。老若男女誰もが認める美貌を持ちながら、誰に対しても決して笑わないのがクローディアだった。正直自分も長年その認識だったため、突然笑われると可愛さに見惚れそうになりながら『これは本当にクローディアなのか』と、どうしても思ってしまう。
「クローディア、私と君の関係はわかるかい?」
何とか自分が知っているクローディアである確認を取りたくて、あえて婚約者の話題を出す。
「わたくしと殿下の関係、ですか?」
「わかる限りでいいんだ。教えてくれないか」
「ええ、わかりました。わたくしが知る限り、わたくしは殿下の婚約者候補の一人で…、あれ?それで…」
クローディアは何とか答えを出そうと考えるが、どうにも記憶があやふやだ。自分が知っていることと本能が告げることに、矛盾が生じている気がしてならない。
「それ以上はわからない、か」
「申し訳ありません…」
「いや、いいんだ」
「ところで殿下、わたくしはどうして王宮の一室にいるのでしょうか。どうしてベッドから起きてはいけないのですか?寝ていても特にやることがなくて暇で…。わたくしの体には異常は見られないですし、普通なら学園に通う歳なのに」
確かにそうだった。今の彼女は記憶を失っている、と言う理由だけでなんとなく安静にしていないといけない、と思い込んでいたが、記憶に異常がある以外特に問題はない。心肺停止の状態からはとっくに回復していてもう問題もないと医者も言っていた。
クローディアに度を超えた嫌がらせをした令嬢たちも今は拘束され、学園にはいない。休んでいる理由もない。
「クローディアは学園にはいきたいかい?」
「行きたいか、と問われるとわかりませんが、友人を作りたいです」
友人ができることを想像したのか、フワッと微笑んだ。
だが問題はある。クローディアが記憶を失っていると言うことはまだごく少数の人間にしか知られていない。学園に行けば、今までの様に皆は彼女がジルベルトの婚約者であることを前提に接するだろうが、先ほどの彼女の話を聞く限り、彼女の中では私と彼女は婚約関係ではない。今の状態を悪化させてしまうかもしれないのだ。
かと言って「クローディアは記憶を失っています!」なんて大々的に言えば彼女の婚約者としてのポジションを奪おうとする人間であふれ、今回の様なことがまた起きる可能性もある。
片付けようとしてもどうにもならない問題ばかりだ。
それでもなんとかしないといけない、と複雑な心境になった。
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