ふり返れば、学校

おたんこなす

 考えてみると、たとえばバーベキューのような何か行事めいた大がかりな遊びを、那智なちとはしたことがなかった。お互いに共通の友達がいなかったからかもしれない。あるいは、那智なちが気を遣って誘わなかったのか。

 ときたまタイムラインに勝手に流れてくる、古い知り合いの投稿には、よく那智なちの姿が写っていた。どの写真も楽しそうにはしゃいでいて、わたしと遊んでいる時よりよっぽど弾けているものばかりだった。

 笑顔だったりおどけた表情だったり、大勢の中でこそキラキラ輝く人だったのだということがよくわかる。


 生まれて初めて握った骨箸なるものがまるで菜箸めいていたため、わたしはふいにそんなことを考えてしまった。友人代表として(というよりまるで家族の一員のようにちゃっかりと)、ここに立つのを許されたことだけがわたしの唯一の、なけなしのプライドのような気がした。

 まったくおかしいじゃないか。当の那智がこんなざまなのにプライドだなんて。これからわたしは誰に見栄を張って生きていくんだ? 自分こそがこの子に一番好かれているだなんて、ただでさえ真偽も定かでなかった主張、もう誰にいくらしたって意味がないのに。


「オワコンだよ」


 実際に口に出ていたかはわからない。おそらく出ていないだろう。娘がこんな燃えカスになった上にそんなことを言われたら、両親が黙っているはずがない。まあ意味が理解できなかっただけという可能性もあるが。

 そう、オワコンだ。しばらくはみんな、SNSに思い出の写真とお手製ポエムを載せるのだろう。それでおしまい。那智という派手できらびやかなコンテンツは、この大きなイベントを最後に終焉を迎えるのだ。


 前の順番の人(おそらく親戚か何か)にならって、つまみやすそうな少し大きめの骨を拾った。どこの骨だろう。よくわからない。

 これを壺に入れるわけだが、わたしの手は思わずそこで止まった。ずっと黙りこくっていた公恵きみえおばさんがとうとう泣き崩れたのだ。


公恵きみえさん、公恵きみえさん……」


 顔もしらない第二のおばさんが公恵きみえおばさんの背中をさする。那智、那智、とおばさんは咆哮した。

 ただでさえ悲惨だった場の空気は、もうどうしようもない雰囲気になった。誰もがしくしくと涙を流している。おじさんも男泣きしているくらいだ。


「どうして、どうしてわたしは……ごめんね那智……気がつかなくて……馬鹿なお母さんでごめんね……」

公恵きみえさん……」


 だれも慰めの言葉すら思いつかないようだった。第二のおばさんは、名前を呼びながら背中をさするばかりだ。

 本当に、こいつらは馬鹿だと思う。那智は自殺したのだ。遺書も残さず。

 たしかに、まったく急な話ではあった。その2、3日前は地元に戻って飲み会をしていたというし、ついでに実家にも顔を出していた。さらに言えば前日なんて彼氏とラブラブ通話デートを楽しんでいたという。これには警察も首をひねっただろう。

 しかし置いて行かれた側としては「よくわからないけど自殺っぽいですね」では納得いくはずもない。結局どう落ち着いたかというと、これはまあいろいろな事情を聴取しまくった警察の意見だが、おそらく仕事やらひとり暮らしやらの慣れない環境に対するストレスがあったのではないか、というフワッとしたものだった。誰でも思いつきそうなありふれた動機だ。


 たしかに近ごろは仕事でミスが多く、職場でかなり落ち込んでいたという(いつもバカみたいに明るい那智が落ち込んでいる様子など到底想像できないが、職場の人間がそう証言したんだからそうなんだろう)。

 ということで、同じ部署で働いていたいわゆる”シスター”的立ち位置の先輩がその線で事情を聞かれたらしいのだが、そこまできつく言ったつもりはないとワンワン泣きじゃくったらしい。主任もイビリだとかイジメだとか過剰な残業だとか、そういったことは完全に否定した。思わぬところから新人の右フックが飛んできて、会社もとんだとばっちりだと思っただろう。


 そんなこんなで、あんなに人気者だった那智が「責任」という言葉にすげ替わり、これから末永くかつ幅広くたらいまわしにされていきそうな気配を感じたが、正直言えばそんなのわたしにとってはどうでもいいことだった。自殺の原因はしらないが、責任の所在なんてのは目の前のこの馬鹿どもにあるに違いなったからだ。

 実家をもう出ていたとはいえ、新卒で就職したばかりのできたてほやほや新社会人だぞ? 気にかけろよ少しは。

 どんな仕事を任されていて、どんな生活を送っていて、どれくらいの頻度で連絡がとれているのか。お前の腹から出てきた娘だろ。

 まったく親という生き物は、揃いもそろって責任感が欠如していて身勝手だ。生んでしまったなら、お前が死ぬまで、一生かけてそいつの人生を気にしろよ。勝手にお前の都合で生んどいてハイあとはあなたの人生ですって、なんだそれは。どんだけ自己中だ。


 こんなことを考えているのは、きっとわたしだけに違いなかった。なんせまるで公恵きみえおばさんにスポットライトがあたっているかのような空気なのだから。いや、もしかすると全員にひとつずつ、ライトがあたっているのかもしれない。那智以外。


 わたしは挟んでいた大きめの骨を元あった位置にそっと戻し、いまにも崩れそうなちいさなカケラを拾った。ポケットからハンカチを取り出してそれをくるむ。

 ピンスポの光が強すぎるのか、客の妙な動きにはだれも気がついていないようだった。

 うしろに並んでいた、鼻水を垂らして泣きじゃくる第三のおばさんに骨箸を渡して、わたしはすっと後ろに下がった。



 公恵おばさんがときおり発狂するので、葬儀はとどこおりつつ進んだ。

 葬式なんてのはどこもこんな感じなんだろうか。少なくとも、わたしの式でここまで号泣してくれる可能性があった人間は、ついに今日ひとりもいなくなってしまった。


 帰り際、公恵おばさんは疲弊しきった顔で、それでも笑顔を作りながらわたしに近づいてきた。


静子しずこちゃん、今日は本当にありがとう」

「あ、いえ……」

「久しぶりに顔が見れて本当によかった。元気にしてた?」

「まあ、はい」

「そうなんだ。よかった。那智からね、よく話だけは聞いてたの。頻繁に遊んでくれてたんだよね。ありがとう」


 おばさんがうっと言葉を詰まらせた。いやもうさんざん泣いたじゃん。勘弁してくれよ。


「あなただけは、静子しずこちゃんだけは呼ぶってすぐに決めたの……だって、本当に、あなたは、わたしたちの……」


 涙腺が決壊した。たぶんわたしたちの家族みたいなもの、的に繋げようとしていたんだろう。自分で言っていてもう感情の制御がきかなくなったらしい。

 どうしていいかわからなかったので、とりあえず第二のおばさんを真似て背中をさすってみる。公恵おばさんは嗚咽しながら何度かこまかく頷いた。もしくは震えていただけかもしれない。


「静子ちゃん……また、連絡してもいい?」


 涙のあとが残る頬を、さらに上書きするように水滴がつたっていく。

 この人は、人畜無害な人間だ。誰かを追い詰めたり傷つけたりするようなことは決してしない。いわゆる”いい人”。

 しかし見てみろ、その”いい人”ですらこのありさまだ。公恵おばさんは、わたしの中に那智を見つけようとしているのだ。わたしをつかって自分を慰めようとしている、那智に耽ろうとしている。いままで連絡のひとつもなかったのになんて都合のいい家族なんだろうか。


「いいですよ。いつでも連絡してください」


 わたしからも連絡します。今度ごはんでも食べに行きましょう。そう言うとおばさんは顔をぐしゃぐしゃにして笑った。ここで社交辞令が言えないほど鬼ではない。

 話がひと段落したところで、遠くからおばさんを呼ぶ声が聞こえた。おじさんの声だ。忙しそうにしている。おじさんと話すタイミングは、ついにおとずれなかったな。

 本当にありがとうね、と何度も頭を下げながら、おばさんが葬儀場の敷地内へと戻っていくのをなんとなく見送った。もともと小柄な人だったが、小さな背中がいよいよダンゴムシか何かのように丸まっている。

 さよならおばさん。もう二度と会わないよ。

 わたしは子供のころ散々お世話になった人に背を向けて、ゆっくりと歩きはじめた。


 それにしても本当に、なんてど田舎なんだろう。じりじり照り付ける太陽が遠くの景色を揺らめかせている。はるか長い一本道だ。

 葬儀場は那智の実家とおなじ市内ではあるが、距離がかなり離れていた。民家なんて確実にないだろうこの山のふもとはうっそうと木が生い茂っていて、セミが暑苦しく大合唱していた。緑が多いのにこんなにムシムシしているとは何事だ。とても人間が住む場所とは思えない。まあこんな場所だから葬儀場があるのだろうが。

 さっきは何台かの車にすし詰めになって移動したが、帰りはもちろん電車だ。そして駅までかなり歩くことになるのは先ほどの車内から確認済みである。非常に気が重い。


「あの」

「っ!!」


 ぼそりと低い声がした。

 えっ。なんだ。

 盛大に動揺して振り返る。


「……えっと……」


 蒸し暑さを体現した陽炎をバックに、ひとりの青年が立っていた。――学ランを着ている。高校生くらいだろうか。

 誰だこいつ。


静子姉しずこねえちゃん」

「……えっ?」


 それを聞いて、わたしは目をひん剥きそうになった。一人っ子であるわたしをお姉さん呼びする人間なんて、この世に一人しか存在しなかったからだ。


「た、竜也たつや……くん」


 迷いに迷って「くん」をつける。昔は呼び捨てだったが、こう見るとどうもそんな気にはなれない。

 でかい。わたしの伸長を優に超えていた。知らぬ間にふつうの男に成長している、わたしの記憶ではまだちんちくりんの小学生だというのに。

 あわてて追いかけてきたのか、竜也たつやは肩で息をしている。むかしの面影がかろうじて残っている、すこし気だるげな目がわたしをじっと見つめた。


「いたんだ。全然きづかなかった」

「静子姉ちゃん」


 すっ、と右手が伸びてきた。


「返して」

「……は?」

「那智を返して」


 迷いのない視線だった。じっとただ私を見据えてくる。

 じり、と思わず後ずさった。


「……返してって、何が」

「静子姉ちゃん、とったでしょ」

「何を」

「那智を」

「とった、って……」


 ごくりと喉が鳴った。ジーワジーワと蝉がうるさく鳴いている。履き慣れていないヒールの底が地面ですれて、砂利の音がした。


「……ちょっとだけじゃん」

「ちょっとでもダメ」

「なんで」

「那智が泣くかもしれないから。指がないとか、足がないとか」

「バカじゃん。那智はもう泣かないよ」


 ムッとした顔のひとつもしなかった。やはりじっとわたしの目を見つめてくる。

 竜也は昔からこうなのだ。たぶん姉と同じで気まずいとか人が怖いとか、そういう感情が欠如しているんだろう。愛想こそなかったが、いつも友達に囲まれているのはよく見ていたし知っていた。公恵きみえおばさんも同じ。この人たちは、そういう人種なのだ。


「ずるくない?」


 こうして見ると、目はあまり似ていない。でも口元はそっくりだ。


「そういうの、わたしずるいと思うんだけど」

「ずるいって……何が?」

「那智は誰のものでもないじゃん。なんであんたたちが全部持ってくの?」


 芯のとおった視線に負けないように、なるべく強く竜也を見返した。

 やるなら来いよというつもりだったんだが、しかし拍子抜けなことに、肝心の相手はあまり争う気がないらしい。ただ傾聴する様子だけ見せている。挑発には乗りそうになかった。


「那智が大変だったとき、そばにもいてやれなかったのに? 那智の人生だろってほっといたのに? 今さら、なんであんたたちが我が物顔で那智を持ってくんだよ。いつから那智はあんたたちのものになったの」

「……那智は那智だよ。別に俺たちのものとか、誰のものとか、そういうんじゃない」

「はぁ?」


 なんだこいつ。よく言うわ。ずっと那智を自分の所有物みたいに「自慢の姉、自慢の娘」ってひけらかしてきたろ。わたしが育てたんだ、僕が一緒にいたんだって。

 こうなったら助けないくせに。


「言うことだけは立派じゃん。でも、わたしが那智もってったら、返せって言うんでしょ? 返せって何様だよ。那智はあんたたちのもんじゃないんだよね? じゃあ、なんでそんな言葉が出てくんのかなあ!」


 上着のポケットに手をつっこんだ。固形の感触はない。今にも崩れそうだったんだ、おそらく潰れてこなごなになってしまっているだろう。

 ややあって、竜也が昔懐かしの調子でぬるりと尋ねた。


「那智をどうするつもりなの?」

「どうするって、なにが」


 まるでわたしが悪者みたいな言い方だな。


「いつでも会えるよ。お墓はなるべく家から近いところにしようって話になってるから。べつに閉じ込めたり、誰とも会えなくするわけじゃない。それでも那智を連れてくの?」

「連れてく」

「どうして?」


 言っただろ、あんたたちばっかずるいからだって。どこまでいっても那智を独り占めしようとする。そんな資格があんたらにあるのかよ。

 たしかに那智は自慢の家族だったんでしょうよ。誰にも恨まれずみんなから好かれて見た目も可愛い、まるで天使みたいな存在なんだから。

 でも、わかってないよ。あんたたちとわたしとでは、「那智がいなくなる」ことの意味合いがまるで違う。ただ「いなくなって悲しいね」だけで終わるようなあんたたちとは、全っ然違うんだよ。

 だけど、そんなことを言っていても、絶対に伝わらないであろうことはなんとなくわかっていた。


「……お墓をつくる」

「お墓?」


 竜也が聞き返した。


「そう。約束してたから。もし自分に何かあったらここに骨を埋めてほしいって、那智が。そう言ってた。家族のお墓とは別にもう一個作ってほしいって」

「那智がそう言ったの?」

「そう」

「……そうだったんだ」


 納得してくれたようだ。もちろん口からでまかせだが。

 わたしはポケットからハンカチを取り出して、それをぎゅっと握って見せた。


「だからこれはもらっていく。いいでしょ。遺言なんだから」

「……わかった」


 竜也はあっさり引き下がった。悔しそうでもなんでもない。おそらく、姉の遺志を優先したってことなんだろう。本当に那智のことが好きなんだ。馬鹿だこいつ。


「じゃあ、わかったんだったら……」

「待って。それなら、お願いがあるんだけど」

「……お願い?」


 なんだよめんどくさいな。


「俺をそこまで連れてってほしい」

「はぁ?」


 思わず非難めいた声をあげてしまった。

 なんだそりゃ。いまの話きいてたか? 那智は家族がいない場所に墓が欲しいって言ってたんだぞ(言ってないけど)。


「思い出の場所かなにかなの?」

「……そうだよ。あたしと那智の大切な場所だよ」

「そうなんだ……そっか、やっぱり連れてってほしい」

「いや、ふつうに嫌なんだけど」

「那智が大切にしてた場所なんでしょ。俺も見てみたい」

「だから、なんであんたなんかに……」

「那智は誰のものでもない。そうでしょ?」


 ぐっ、と返す言葉に詰まった。……誰のものでもないのなら、墓の場所は、聞かれれば確かに教えるべきなのだ。

 なにかいい切り返しはないかと一瞬考えたが、わたしの思考回路はすぐに白旗をあげた。慣れないことばかりで疲れ切っていて、これ以上なにかを考えることは非常にかったるかった。


「……わかった」

「ありがとう、静子姉ちゃん。それじゃあいつ……」

「いま」


 当たり前だ。いま以外ない。こんな面倒くさい仕事をあとに回すのなんかまっぴらごめんだ、こいつらとは二度と、もう金輪際会いたくない。今日限りにすると誓って、これですべて手切れだと思って、そう言い聞かせて二度と戻る気もなかったどぐされ故郷にまで足を運んだんだ。


「いま行けないってんなら、連れてかない。あそこにいる那智と葬式でもなんでもしてりゃいーじゃん」

「わかった。いま行こう」


 即答だった。たたみかける必要はなかったらしい。手ぶらで走って来ただけあって後先考えず思い切りだけはいいようだ。

 話が早いのはいいが、それも気に食わなかったので、わたしはふんとひとつ鼻をならした。


「いい返事じゃん。いくよ」


 きびすを返すと、すこし遅れて後ろから砂利を踏みしめる音が聞こえてくる。……行くって、いったいどこに行くつもりなんだ、わたしは。

 ぼんやりする頭でわたしはポケットに問いかけた。――那智、見てよこれ。なんなのあんたの弟。ついてきちゃうよ。どうすりゃいいのよ、こいつ。

 ポケットの中はだんまりして、うんともすんとも返事をしない。わたしはひとつため息をついてから、すっかり小さくなってしまった那智を手のひらの中で抱きしめた。

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