30.過去の影(改)

「顔を上げなさいお嬢さん、もしやテア・ブルーム殿の娘ではなかろうか?」

 

 恐れ多くもそう話しかけてくださったのはフェオドルア王国国王陛下。


 ブラントミュラー卿とティメアウス城の回廊を通っていると、フェオドルアの国王陛下とその使者が通りかかったのでブラントミュラー卿と一緒に歩みを止めて頭を下げていたところだった。


 フェオドルアの国王陛下は黒色の長い髪に黒曜石のような瞳を持つお方。

 その瞳でじっとこちらを見ていらっしゃる。その眼差しはどこか優しく、私を通して別の誰かを見ているようだった。


「やはりとてもよく似ておる。彼女は私と妻を引き合わせてくれたのだ。ブルーム一族に来ていただけるとは、さすがは大国ティメアウス。羨ましい限りだ」

「身に余るお言葉です。私は娘のリタ・ブルームでございます。お初目にかかります」


 自己紹介をすると、彼は嬉しそうにお母様の武勇伝を聞かせてくださった。お母様、フェオドルアでも張り切っていたようだ。


 フェオドルア王国は昔からティメアウスと仲が良い国だ。

 先の戦争でもティメアウス側に立って援護したと聞いている。


 こうしてわざわざ国王自ら王城に来られるとは、よほど親交が深いようだ。


「ブルーム家の跡取り……ランドルフ・ハーゲンの弟子だな?」


 不意に使いの男が口を挟んできた。どこか敵意を含む言葉だ。男の顔を見てみると、嘲笑を浮かべている。嫌な感じだ。


 これは私だけに向けたものではない。

 お師匠様にも向けられているもの。


 これまでに何度も見てきたからわかる。


「こやつは結びネクトーラの魔法使いを倅に継がせてから私の相談役をしてくれているのだよ」


 国王陛下がそう説明してくださる。

 なるほど、だから彼はお師匠様の名前を口にしたのか。

 引退した結びネクトーラの魔法使いたちの道は様々だ。


 副業の薬屋を本業にする者、新しい仕事を始める者、旅してまわる者など、思い思いに過ごしている。

 時には彼のように王族の元で仕える者もいるが、そのことについては賛否両論で分かれている。

 1つの国に肩入れすることは良くないとする意見がある一方で、引退してもなお人を繋げるのは良いことではないかとする意見もある。


 私はどちらかと言えば後者の考えだ。

 守るべき守秘義務の線引きはあるが、今までの経験を活かしてより平和な世界を導けるのであれば素敵なことだと思う。


 しかし、彼に関しては好感を抱けない。

 許さない、とさえ思う。


 彼は無作法にも私の逆鱗に触れてきたのだ。

 あの一言を聞いてから体中にどす黒い気持ちが駆け巡って止まない。止めることなんてできない。


 許さない。


 お師匠様のことを悪く言うのであれば、許さない。

 何も知らないくせに。

 あの国で何が起こっていたか知らないくせに。

 誰も助けに来てくれなかったくせに。


 許さない。


「ハーゲンはラジーファーを捨て、あろうことか乙女ヒロイン候補と一緒になったのです。奴は結びネクトーラの魔法使いの恥です。可哀想に、せっかくのブルーム家の名前もあいつのせいで地に落ちたものですよ」


 許さない。

 わかったような顔をしてお師匠様を侮辱するな。


 ズキズキと頭が痛くなる。

 頭が熱い。


 黒い影が身体の中で暴れている。喉の辺りまで出かかっている言葉を飲み下した。そうすることがやっとだ。そうでもしなければ言い返してしまいそうだ。

 

 お師匠様の名誉のために言い返したい。でもそんなことをすればマクシミリアン殿下やブラントミュラー卿に迷惑をかけてしまうことだろう。

 この男のことは許せないが、相手は王室の相談役ということは平民の私が物申すことはできない。


 何もできない。

 今の私じゃお師匠様の名誉を挽回するための力がない。実績がない。ただただ、言われるのを聞くことしかできない。


 どんなに挑発されても、乗ってはいけない。それこそ相手の思うつぼだ。

 耐えなければならない。わかっていることだけど、これまで何度も耐えてきたことだけど、やはり慣れることができない。


 辛い。

 痛い。

 平静を装う仮面の下で、誰にも見せられないくらい凶暴な感情が育っていく。



「たった1人の魔法使いの、たった1つの魔法が発動しなかっただけで国が傾くことがあるものか。風前の灯火だった内政に非があるのではないか?」



 突然、殿下の声が耳に届いた。

 今までに聞いたことのない殿下の声。

 低く、冷たく、凄む声。


 相談役の男はビクリと肩を震わせた。

 殿下に問われたのは彼だ。

 私たちの向かい側から護衛騎士たちを引き連れて現れた殿下が、彼に問いかけたのだ。


 私とブラントミュラー卿がなかなか現れないから探しに来てくださったようだ。


「陛下もそうお考えになられますよね?」


 殿下はそう仰ってフェオドルア王国の国王陛下にいつもの穏やかな微笑を向けていらっしゃる。


「怖いのう、ティメアウスの若い獅子は。喧嘩をふっかけようものなら嬲り殺されてしまうわい」


 陛下は相談役の男を下がらせた。見ると男の顔はすっかり蒼くなっていた。今度は彼の方が反論できない立場になっているようだ。


 フェオドルア王国の国王陛下は話を続ける。


「ゴーフレ・ストロウルクとの戦争は実に見事な作戦だった。あんな戦い方をされては恐ろしくてどの国もティメアウスに手を出せんだろうに」

「人聞きが悪いですよ。まるで私が惨殺してきたかのように仰るではないですか」

「見せしめとしてわざとあの連合軍に消耗作戦を強いらせたんだろう。ティメアウスならあやつらなぞすぐに叩き潰せただろうに」


 殿下が戦争の話をされているのを初めて聞く。

 戦争の話をしている時でさえ、殿下はいつもの微笑みのままだ。


「時として演出も必要です。そう簡単に我が国民と領土に手を出されるわけにはいきませんので。我が国賓を傷つけるのもまた許しませんよ?」

「やれやれ、小さい頃は本当に天使のようだったのに。いつの間にこんなにおっかない御仁に仕上がったのやら」

「留学中に陛下よりご指導賜ったおかげですよ」

「言ってくれるのう」


 フェオドルア王国の国王陛下は口調とは裏腹に嬉しそうに目を細めて殿下を見つめられている。

 まるで身内の子どもの成長を喜んでいるかのように。

 

 殿下はフェオドルア王国の国王陛下と少しお話を続けられるということで、私はブラントミュラー卿と一緒に先に部屋に入って待つようにと指示を受けた。


 2人だけの室内。ブラントミュラー卿は何も喋らない。そんな彼に慣れているが、今はその静寂が苦しい。

 何かで気を紛らわせないと、あの相談役の男が口にした言葉に追いかけられてしまう。


「ブルーム様、そのような御顔をされていますと殿下が色んな意味で喜んでしまいますよ」


 いきなりブラントミュラー卿が口を開いた。


 そんな顔……?

 私は今、どんな顔をしているのだろう。

 殿下が色んな意味で喜んでしまうとはどういうことだ?


 次々と湧き出る疑問。

 ブラントミュラー卿の言葉の意図が分からない。


「そ、それはどういうことですか?」

「……守秘義務ですのでお答えできません」

 

 ブラントミュラー卿から言っておいて秘密とは、どういうことだ。

 粘って聞いてみようとするのだが、どんなに尋ねてみてもそれ以上は教えてくれなかった。

 どこか遠い目をして目を合わせようともしてくれない。半端に教えてもらってしまうと余計に気になってしかたがないのだけれど。


 守秘義務を持ち出して教えてくれないけれど、さきほどそのそれを漏らしていたのは大丈夫なのだろうか。



 色んな意味で喜んでしまうって、どういうことですか。

 ブラントミュラー卿、あなたは一体何を隠しているのですか?

 


 やがて殿下が戻ってこられると、ブラントミュラー卿は外に出て行ってしまった。あんなにも気になることを仰っておきながら、出て行ってしまわれたのだ。


 殿下に目を合わせるのが怖くなりつつも、私は殿下に先ほどのお礼を申し上げた。

 何も言い返せなかった先ほどのあの状況で、殿下の言葉に救われたのだ。


結びネクトーラの魔法使いも私たちと同じ人間であるのですね。あの者を見ているとそう思いました。私はさきほどまで、結びネクトーラの魔法使いとは人間ではない神聖な生き物だと思っていましたので」

「そのようなことはありません。私たちにも諍いや妬みのようなものはあります」


 事実、私は先ほどまであの相談役の男への恨み言で胸がいっぱいだった。

 ちっとも神聖な生き物ではない。


 ああ、ダメだ。あの男に言われた言葉を思い出してしまう。

 本当に、殿下がご想像しているような存在ではないのだ。


 今でも思い出すだけで真っ黒い感情が蠢くのだから。

 気をつけても顔を顰めてしまう自分がいる。

 

 すると殿下が手を伸ばして私の手を包み込んだ。

 大きく温かな手。その先にあるのは、なんだか潤んだ瞳の殿下。その視線を受けて、なぜだかぞくりと寒気がして身構えてしまった。


 失礼にも程があるのは重々承知だ。


 しかしなぜだろう。

 いつもの殿下と様子が違う気がするからなのかその感覚が消えない。


 ”殿下が色んな意味で喜んでしまいますよ。”


 ブラントミュラー卿の言葉が思い出される。


 まさかそんなことはない。

 殿下が今、私がこの荒む感情を抑えているこの状況を見て喜んでいるだなんて、そんなことはない。


「恨みが込められたその表情も人間らしさが垣間見えて良いですね。遠くに感じていたあなたがこちらに近づいてきたようで嬉しいです」


 殿下の言葉が更なる打撃を加えてくる。 


 彼が私の今の状況を見て喜ぶなどないはず。

 そんなことない……はずだ……。 


 しかし殿下はなぜか今、嬉しいと言っていた。

 そもそも彼が仰っていることがわからない。

 人間らしい、とはどう言うことでしょうか。


 一体全体、どういうことなのだ?


 殿下の視線に目を逸らせてしまう。

 逸らしてもひしひしと感じるのだが、その目を合わせられない。


 皮肉にも殿下とブラントミュラー卿の不可解な言葉のおかげで私は逆に冷静さを取り戻した。

 いつの間にか頭痛もおさまった。



 残るのは疑問と、この奇妙な肌寒さのみである。

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