31.準備も大詰めなのです

 ひと月経つのもあっという間で、ついに王宮で催される夜会の招待状が王国内の貴族の家に届いていった。


 フローラさんと私は、殿下が特別に用意してくださった招待状で参加することになる。

 私たちは殿下がフェオドルアに留学なさっていた頃の友人という設定で出席することとなった。そこで、ティメアウスの貴族に話しかけられた場合は上手く対処できるよう台本を用意した。


 備えあれば患いなし。


 不測の事態を想定して準備するのがプロフェッショナルの仕事である。


「当日は一番最後にフローラさんと踊っていただくことでよろしいですか?」

「ええ、構いません。そのための夜会ですので」


 王宮にある一室で、私は殿下と最後の打ち合わせをしていた。


 当日の予定を大まかに説明すると、国王陛下のご挨拶の後に始まるダンスで殿下とフローラさんは一緒に踊っていただき、その後は中庭に移動してもらって歓談していただく流れだ。


 彼らはまだ、私のドレスの打ち合わせでしかお話したことが無い。

 改めて自己紹介やお互いが興味をもっていることをお話してもらって距離を縮めていただこうという計画だ。


「ところでリタ、今日は全く視線が合いませんね?」

「そそそ……そんなことございませんわ。殿下の瞳の色に見惚れていましたのですよ?」


 鋭い。

 さすがは殿下。目を見ていると思わせて眉とか鼻を見ていたのに気づかれてしまった。


 実を言うと、最近はいささか殿下と顔を合わせづらい。

 彼がここ最近私に仰ってきた言葉の数々を思い出してしまうのだ。


 翻弄されてばかりだ。

 どのような意図で仰っているのか見当がつかない。


 ただ、ブラントミュラー卿やナタリーさんたちに相談してみたところ私が彼の恨みを買ってしまったから言われた、というわけではないらしい。


 嫌われたのではなくて良かった。

 ただ、別の可能性が顔を覗かせているのが問題なのだ。


 殿ということだ。


 正直ナタリーさんやオスカーが言っていたことを私はまだ理解できていない。

 そのことをオスカーに知られたらまたお子様扱いされそうで癪だけど、全くわからないのだ。


 いつも穏やかな笑顔の殿下が、国民のことを一番に考えていらっしゃる殿下が、歪んで見えるような愛情表現をされるはずはないと思うのだが……。

 そもそも愛情表現って……これをどう捉えたらいいのだろうか。


 殿下は私が結びネクトーラの魔法使いであることを十二分にご存じのはず。

 今回の夜会もこちらの提案に応じてくだっているのだから、プロポーズをなされたときのようなことはないはずだ。


 どういう意図なのだろうか?

 もしかしてちょっとしたご冗談だったりするのかしら。 


 そんなことを考えているとエーミールさんの言葉が頭を過って邪魔をしてくる。変態、と。

 違う。そんなはずがない。殿下に限ってそんなことはない。本当に、ただのご冗談でなされているのだろう。


 お母様と国王陛下のように、私とマクシミリアン殿下もそれなりに信頼関係を築いてきたと思っている。

 冗談の1つや2つを言い合えるようになったということよね。


 ちらと彼を見れば、いつもの穏やかな微笑みをこちらに向けて首を傾げられる。

 見目麗しい王子様。

 絵本に出てくる王子様そのもののような御方。


 先日感じた不可解な寒気を、今日は感じない。

 あの日は私も疲れてしまっていたから体調を崩して寒気を感じてしまっていたのだろう。きっとそうだ。

 殿下を見て寒気を感じるだなんて、不敬にもほどがある。


「リタ、私以外と踊ってはいけませんよ?」

「私はあくまで見届けるために参加するので踊りませんよ」


 当日、私は2人を全力サポートするのだ。

 踊ってなんかいられない。2人のためなら壁の花にも庭園の木にも大草原の草にもなれる。なんだってなってみせる。


 そうしてこっそりと見守りつつ出会いを素敵に演出する所存だ。


「しかし、顧客との交流も大切ですよ?」

「仕事中に踊るわけにはいきませんので……」


 結びネクトーラの魔法使いとしていかなる事態が起きても対処できるように待機しなければならない。

 それに、殿下は私と踊る時間なんてないはず。彼の方こそ、社交関係で忙しいに違いないのだから。


 殿下は顎に手を当てて何やら思い出すような素振りを見せられた。


「……そう言えば、乙女ヒロイン候補のことは名前で呼んでいるらしいですね?」

「ええ、彼女に寄り添った対応ができるよう名前で呼び合うことにしました」

「なるほどです。私のことは要望を出した後も変わらず殿下と呼んでいますよね?」


 しまった。

 迂闊だった。


 私は以前、殿下から名前で呼んで欲しいとご要望があったが断ったところだ。


 フローラさんのことは、またもやブラントミュラー卿の報告で殿下の耳に入ってしまったようだ。

 どうして細部まで報告されるんですか。

 優秀だからなのですよね。


「殿下と私とでは身分の問題もあるのでそのご要望は叶え難いかと」

「それでは顧客の要望を満たすために代替策をご用意されているんでしょう?」

「うっ……」

「プロフェッショナルなら一方的に断るだけで終わりませんよね?」

「ううっ……」

「代替案として一緒に踊っていただくのはどうでしょう?」


 殿下の言葉はごもっともだ。

 私はお客様殿下からのご要望を叶えないままでいる。

 かと言って裏方の私が乙女ヒロイン候補を差し置いて殿下と踊るなんて言語道断。


 別のことで……なにか別の代替案を用意せねばならない。


 殿下がクスクスと笑う声が聞こえてくる。


「そんなにも拒まれると悲しいですね」

「……私は殿下と乙女ヒロイン候補をずっと見守っていたいのです」

「私と乙女ヒロイン候補をですか……」


 独り言のように呟かれる言葉。

 伏せられた目を思わず見つめてしまう。

 彼のその表情を見ると奇妙な気持ちが生まれてくるのだ。

  

「私の結びネクトーラの魔法使いが選んだ乙女ヒロイン候補。外ならぬ、あなたが選んだ特別な存在」


 殿下はそう仰いながらすっと手を伸ばしてティーカップの縁をなぞった。


 貴婦人のドレスの裾のような、可愛いフリルが形どられたティーカップの縁。

 それをなぞる、長く形の整った彼の指は芸術作品のようで、浮き上がったり沈んでいったりするその動きを、じっと眺めてしまう。


 彼は時おりこのようなことをする。

 伏せられた目は物憂げな雰囲気を醸し出しており、ほんのりと優婉さが窺えるその仕草。


「リタが私とティメアウス王国のために見つけ出してくれた人。きっと、素晴らしい人なんでしょうね。こんなにもあなたが力を入れて対応されているのですから」

「ええ。彼女とお話されましたら、きっと殿下は彼女に惹かれていくかと思います」


 きっと彼らは惹かれ合う。

 フローラさんはすでに殿下のことが気になっているようだ。殿下も彼女があの宝石のような瞳を輝かせてお話しているところを見れば、惹かれていくはず。


 早ければ夜会の間に繁栄の魔法が発動されるだろう。

 そうすれば私は2人の結婚を見届けてからティメアウス王国を離れる。


 こうやって殿下とお話する日々が、もう終わりに近づいているのだ。


 ふと気づくと、殿下はじっと私の目を見つめている。深い蒼色の瞳。海の中に潜ったらこのような色の世界が広がっているのかもしれない。


 視線がかち合うと、彼はいつもの微笑みを浮かべる。


「夜会はあのドレスで来てくださいね。絶対にですよ」

「え、ええ……お贈りいただきありがとうございます」


 殿下は私の手を取って甲に唇を寄せた。

 閉じられた瞼が開かれると、少し手を引かれて手首にも口づけされた。


 唐突なことで心臓が跳ねた。

 私の手から顔を離された殿下を見るが、彼は何も言わなかった。


 ただ、じっと見つめられた。



 ◇



 翌日、私は平民が主に利用する教会の孤児院に行って薬を届けた。

 なんだか雰囲気が変わっており、よくよく観察すれば家具が新しくなっているのに気づいた。


 シスターに聞いてみると、マクシミリアン殿下が新しい家具を寄付してくださったとのこと。

 なんでも、ルシウの木が大量に手に入ったからそれを利用した家具らしい。


 ルシウの木が大量に手に入ったということは、きっと調査の後に伐採するよう指示してくださったんだ。

 それを孤児院のために利用してくださるだなんて、やはり殿下は国民のことをいつも想っていらっしゃるのだ。


「殿下はずっとここの孤児院を気にかけてくださっているのですよ。ゴーフレとストロウルクとの戦争で孤児になった子どもたちへの責任を感じていらっしゃるのです」


 シスターの話によると、殿下は時おり孤児院を訪れては笑顔で子どもたちに話しかけていらっしゃるらしい。

 笑顔だが、どこか苦しそうだったという。


 そう言えば以前、この孤児院と同じ敷地内にある教会で殿下にお会いした。

 どうして平民が利用する教会にいらしたのか疑問だったが、恐らく孤児院を視察なさったのだろう。


「お優しい殿下。これからもそういったご経験をなさるのでしょうね。あのお方の心の支えとなる素敵な方と出会えますように」

「そうですね……」


 ズキンと胸が痛んだ。


 心配することはない。きっと、フローラさんなら殿下を支えてくださるから。

 彼女が隣にいればきっと大丈夫。だって、彼女は私が見つけ出して、大いなる力も認められた乙女ヒロイン候補なんですもの。


 きっと殿下を幸せにしてくれるはず。

 彼を孤独や苦しみから救い出すのは、フローラさんだ。


 私はそのきっかけを作ることでしか殿下を救うことはできない。


 

 私は結びネクトーラの魔法使いなのだから。



***お知らせ***


いつも読んでいただきありがとうございます!

30話を加筆修正いたしました。

改めてみると文がめちゃくちゃでしたので……誤字や表現の修正もろもろしております。


ご迷惑おかけして申し訳ございません……。

今後気をつけます><


修正回避のため、今後は更新が1日おきになる場合もあります。

なるべく毎日更新できるよう努めていきますので変わらず読んでいただけると嬉しいです……!

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