16.真夜中のできごと
その夜、私は微かな魔力を感じて目を覚ました。大いなる力が放つ魔力だ。きっと今宵は新たな
目をこすりつつ、ベッドから身体を起こす。淡い空色の礼装の袖に腕を通して、ランプに火を灯して外に出た。
外はまだまだ暗闇に包まれている。日中に空を覆っていた雲はすっかりなくなり、白く輝く満月と赤く燃えるような
満月と煌月がどちらも並ぶ日は特別だ。普段はどちらかが見えないのだが、年に数回はこうして並ぶ。その夜は不思議な力が宿ると言われている。
新しい
ひんやりとした夜風が気持ち良い。開けた場所に着くと、私はランプを足元に置いた。
目を閉じて、両手を固く結んで胸の前に引き寄せる。
大いなる力に思いを馳せつつ、新しい仲間への祝福を心の中で唱える。すると、魔力が全身を漲る。瞼越しに明るい光を感じた。
やがて光が消えて目を開けると、夜空に他の
上空を流れる光を眺めていると、ガサリと草を掻きわける音がした。声を上げそうになるのを堪えて音がした方を振り返る。
影が近づいてくる。
大きな影。男性だ。カチャリと音がして、相手が剣を携えているのが分かる。
急いでその場を離れようとすると、呼び止められた。逃げ足ながらも振り返ると、月明かりが影を照らす。
「ブルーム様、私です」
「ブラントミュラー卿?!」
彼は昼間とは違い、闇夜に溶けそうな深い紺色の騎士の服を着ている。その表情は、いつもと変わりない。ただ、その金色の瞳はいつもより鋭く、足がすくんだ。
どうしてこんな夜更けに森に居るのだろうか?
まだ心臓はバクバクと激しく脈を打つ。ひとまず、私は合言葉を口にした。
「セメスサの
「
彼が合言葉を返してくる。どうやら、正真正銘のブラントミュラー卿のようだ。私は胸を撫でおろした。
私は彼に尋ねられて、先ほどの魔法のことを説明した。
「そうとは知らず……おひとりで夜の森に入られたので勝手ながら護衛させていただきました」
「ブラントミュラー卿が守るべきなのは殿下なのでは……?」
「殿下の命です。ブルーム様をお守りせよと」
否定はできなかった。
過去に幾人かは、その力を悪用しようとする者に誘拐されてしまったことがある。私たちの魔法は自分の身を守るものではない。そのため、抵抗することもできないのだ。
姿を消すことや転移することもできるのだが、
だから私たちが身を守るために最低限しなければならないのは、自分の周りに何か魔法が施されていないか常に確認すること。怪しいと判断した魔法は少し干渉して”術式”とやらを書き換えて無効にしておかなければならない。
彼らが使うのは
私たちは森の中を歩きながら、昼間のできごとを話した。クラッセンさんはお母様とお話された方がよろしいのではないかと言ったところ、ブラントミュラー卿はそれは反対らしい。
彼女にそれを話すと、きっと責任を感じてゲイラー伯爵邸に戻ってしまうと危惧しているようだ。その可能性は確かに、否定できない。それに、そうなることはクラッセンさんのお母様も望んでいないとブラントミュラー卿に言われた。
歯がゆい。
見つけた事実をそのまま伝えられないなんて。一歩前進したような気がしたのに遠回りしているような気がする。
悔しい。その一言に尽きる。
「私も早くクラッセン様の不安を拭いたいですが、焦らずに一緒に伝えていきましょう。あなたは素晴らしい人なのだと」
気を紛らわせるために俯いて踏み分けた草を見ながら歩いていると、ブラントミュラー卿が静かな声でそう言ってきた。
やがて話題はオスカーに変わる。
ブラントミュラー卿がオスカーと知り合いだったことに驚いたと伝えると、彼は「あれは困った幼馴染です」と言いながらも、微かだが彼の目元が綻んだ気がした。
2人のやり取りを見ていると、幼馴染というよりもブラントミュラー卿の弟にも見える。兄弟みたいに仲の良い友だちが近くにいるのが羨ましいと思う。
「……オスカー、怒ったり落ち込んだりしていましたね」
「思うところがあったのでしょう」
ブラントミュラー卿は急に立ち止まると人差し指を前に出し、呪文を唱えた。すると、何かに覆われているような感覚がする。透明な壁が私たちを覆っているようだ。
彼によると、防音魔法を展開したらしい。
ブラントミュラー卿が魔法を使えるとは初耳だが、騎士団に所属して殿下の護衛に就くのであればそれ相応の能力を求められるのだから納得だ。
「オスカーはクラッセン様のお話を聞いて、マクシミリアン殿下とアレクシス殿下のことに重ねてしまったのでしょう」
「どうして……?」
正直言って驚いた。自分の事のように怒っていたから、彼とその身近な人間とのことにあてはめたものだと思い込んでいたのだ。
前々から思っていたのだが庭師見習いにしては彼は王族と近い距離にいる気がする。よくマクシミリアン殿下からの仕事も受けているし……一介の見習いにしては少々不自然だ。
庭師……他国では王宮の影の守り人ともいわれる仕事だ。彼もそれに当たるのであればその距離感にならざるを得ないのであろうか。
なんとも釈然としない。
「アレクシス殿下はマクシミリアン殿下のことを慕っております。しかしマクシミリアン殿下のお母上のご実家はマクシミリアン殿下のお母上のご実家と敵対する派閥ですので、それを快く思わない者たちがおります」
「……王位継承権を巡る問題が関わっているのですね?」
「ええ。マクシミリアン殿下に継承権が渡っていますが、己の派閥の発展のためにアレクシス殿下がそれを手にするよう機会を窺っている者がいるのが現状です」
支持する貴族家出身の女王から生まれた子どもが王座に就けば、上手く政治に取り入れられる。悲しいことに、どこの国に行ってもその思惑は渦巻いているのは事実だ。
「オリーヴィア王妃殿下はアレクシス殿下の身を案じてマクシミリアン殿下を避けるようにしていますが、アレクシス殿下はそれがお辛いようでして……塞ぎこんでいる時期もありました」
異母兄を敵視する大人たちに囲まれたアレクシス殿下。慕う異母兄の背中と大人たちの差すような視線の意味を理解してもなお、それが王族の宿命と割り切るのは難しかった。
それほど、彼は異母兄を尊敬し、彼に懐いている。
しかしマクシミリアン殿下が王座に就いた後のことを恐れたオリーヴィア王妃殿下は、同じ派閥の貴族にアレクシス殿下を守ってもらうためにもその姿勢を崩せずにいる。
全ては、彼を守るために。
たとえそれが彼を傷つけているとしても。
「……ご兄弟同士は本当に仲がよろしいんですね」
「ええ、マクシミリアン殿下もたった1人の弟君が可愛いようです。だから殿下も、今ではアレクシス殿下と距離をとって接しております。そうするしかないと仰っていました」
兄弟であっても仲良くすることを咎められてしまう殿下たち。
親子であっても面と向かって愛し愛されることが叶わないクラッセンさんとそのお母様。
残酷だ。
本来なら誰に口を挟まれることもなくできることが、なぜこんなにも難しいのだろうか。
「……殿下のそのお気持ちをオスカーが知っているのですね」
「ええ……まあお話する機会があったようで」
昼間に見たオスカーの表情が脳裏に過る。あんなにも傷ついた顔をしていたんだ。殿下たちはもっとお辛い気持ちを抱えているのだろう。
「良い夢を」
家に着くと彼はそう言って厳かに礼をし、剣の柄に手をかけて物陰に消えていった。
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