17.図書館ではお静かに
一歩足を踏み入れると、天井にまで届くような本棚の数々が迎えてくれる。今日は王都にある図書館でクラッセンさんに外国語を紹介する日だ。
私たちは人気が無い一角にあるテーブルを占領した。外国語の絵本を並べ、その国ごとの特徴なども紹介する。
ティメアウス王国は珍しく他国の本がたくさんある。中には昔読んだことがある絵本もあり、その背表紙を見ると懐かしい気持ちになった。
お母様やお師匠様が外国語の勉強のために読んで聞かせてくれた物語は今でもしっかりと覚えている。
クラッセンさんは異国の絵に目を輝かせた。その隣で、ブラントミュラー卿は黙って私たちのやり取りを聞いている。
「わぁぁ! 文字って不思議ですね。こんなにたくさんあるなんて」
「言語はその国の文化が現れてくるので、学ぶ数だけ新しい発見があって面白いですよ」
「私なんてティメアウス語を使いこなすので精一杯です……」
「いいえ、クラッセンさんは勤勉な方ですのでそのうち他の言葉もつかえるようになりますわ。ティメアウス語と近い法則の言語から勉強すると良いと思います」
でも、と言いよどむクラッセンさん。すると、ブラントミュラー卿もさりげなく彼女の長所を口にして励ました。
彼女に、お母様から聞いたことを話せたらどんなにいいことだろうか。頭の中に浮かんでくる気持ちに心が揺れそうになる。
ダメだ、ブラントミュラー卿の言葉を思い出して気持ちを切り替えよう。
私は頭を振って頭からその気持ちを追い出すと、引き続き絵本を広げて紹介した。
クラッセンさんにするのは導入だけなので、少し絵本を読み上げてみたり単語の意味を教えたりしていた。
「リタは何か国語喋られるのですか?」
「たいていの国の言葉は話せますよ! プロフェッショナルなので!」
「頼もしい、外交にもってこいですね」
ん?
声が降ってきたので見上げると、真後ろからこちらを覗き込んでいらっしゃる王太子殿下と目が合った。何故でだろうか。足音もしなかったし気配も感じなかったのにいつ現れたのだろうか。
ひゅっと息を飲んでしまった。
「で、殿下?!」
「リタ、図書館では静かにしないといけないよ」
慌てて手で口を押える。しかし、周りを見渡してみると私たち以外誰もいない。どうやら人払いしたようだ。
それさえも気づかないうちにしていたとは……恐ろしい。常々思うが、王族は敵に回したくない。
「ルートヴィヒ、リタに話があるから少し席を外してくれないか?」
ブラントミュラー卿は返事をするとクラッセンさんを連れて外に出られてしまった。私は椅子から立ち上がろうとしたが、殿下はそれを制して私の隣にお座りになられる。
このお方、最近は本当によく現れるのだがお仕事は大丈夫なのだろうか。いや、お仕事をこなすために睡眠をおろそかにされていると聞いたが、このままで大丈夫なのだろうか。
そんなことを考えつつ、チラと殿下を見る。
いつもは白を基調としたお召しものが多い殿下だが、今日は黒地に金色の装飾が施されていて雰囲気が違う。精悍といった言葉がふさわしい御姿だ。
それに今まではこうしてすぐ隣に座られることもなかったので、なんだか緊張が込み上げてくる。
「ど、どのようなご用件でしょうか?」
「今晩から1週間ほどヘーゲル辺境伯領の視察に行くので挨拶に来ました」
「そうでしたの……遠方ですし国境も近いのでお気をつけくださいませ」
「あなたにそう言っていただけると頑張れそうです。毎日お手紙を送っていただけますか?」
「……へ?」
予想外のご要望に思わず間抜けな声を出してしまった。すると、殿下は寂寥を含んだ眼差しをお向けになる。間近でそんな表情をされると迫力がある。私は体を少し後ろに退いた。
「最近は
「
「私も顧客ですよね? プロフェッショナルなら顧客2人分の対応を同時にこなせるのでは?」
「うっ……」
「
「ううっ……」
その心得を持ち出されると返す言葉もない。他になす術もなく、私は毎夜殿下に魔法でお手紙をお送りすることになった。
これもプロフェッショナルとしてお客様のコンディションを整えるための大切な仕事だと自分に言って聞かす。文通などではないと。報告書形式で送ろう。
「ではクラッセンさんの様子をお書きしま……」
「リタのことを書いてくださいね。普段は何をしているのか知りたいです」
「そ、そのようなことを知ってどうされるのです?!」
「おわかりなのに尋ねられるのですね」
殿下はするりと私の手を取る。彼の指が触れる感覚に心臓が跳ねた。これまでのことから、彼がこの後なにをなさるのかは見当がついている。
目の前で微笑む彼は、蒼い瞳でこちらのそんな気持ちを見抜かれていらっしゃるようだ。
手の甲に当たる熱に胸が苦しくなる。間近にある、瞼を閉じた殿下の御顔。その瞼の内側に隠された瞳で見つめられるのが怖い。
この事態に、どう向き合えばいいのかわからなくて不安になる。
彼を納得させることができないまま中途半端な事態を招いているのを改めて思い知らされて、苦しい。
殿下が瞼を開けそうなのに気づき、目を逸らした。それでも蒼い瞳がこちらを見ているのはなんとなくわかる。
「殿下、私は
「存じています」
「私は、この王国で繰り広げられる物語の裏方なのです」
「私の物語の中では誰も代役できない登場人物です。それをお忘れなきように」
殿下の、物語の、中では?
代役できない登場人物……?
騒めく気持ちが胸の中に広がってゆく。それに合わせて、頭の中で反芻される言葉がかき乱してきてますます困惑した。
手を離そうにも、殿下が私の手を握っていらっしゃる。
「王都を留守にする間、ルートヴィヒをあなたにつけます」
「なぜです? 彼は殿下の護衛ですよ?」
「あなたは王太子である私のために遣わされた
「大丈夫です! プロフェッショナルとしては
殿下はなにが可笑しかったのか、声を上げて笑われた。目尻にたまった涙を拭いて笑うお姿を見て、なんとも言えない気持ちになる。
私は真剣に言っているのだが……。
ただ、いつもの穏やかな笑顔とはどこか違った表情で、思わず見入ってしまった。
「そんなこと言わないでください。戦う術ではないからこそ、
祈りのような、美しい魔法。
殿下は折に触れて、私たちの魔法をそう称えられる。
そう言ってくださるのは嬉しい。私もこの魔法を誇りに思っているのだから。ただ、いま改めてこの魔法が人や自分自身を守れないことに歯がゆさを感じる。
ゆっくりと手が離される。彼は立ち上がると、扉の前まで行って外にいる誰かに声をかける。ブラントミュラー卿がそれに応えて扉を開けた。
「ルートヴィヒ、また後で」
「承知しました」
ブラントミュラー卿は殿下の出立に立ち会うのかもしれない。長らく仕えてきた殿下から離れることを、彼はどう思ってるのだろうか?
ブラントミュラー卿は私の護衛にして、本当に良いのだろうか?
不安が次々と押し寄せてくる。これまで国内外問わず殿下をお守りしていた信頼する家臣を王都に残すなんて、命を狙ってくださいと敵に言うようなものだ。
殿下はもう一度振り返りこちらを見る。
私は彼に向かって礼をする。
「そんな不安そうな顔しないでください」
殿下はそう言い残して図書館を出た。
殿下の声が聞こえなくなると私は頭を上げて、窓辺から殿下の後姿を見送った。
彼が口にした言葉の数々が、頭から離れない。
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