39.結びの魔法使い

「お師匠様……私、ラジーファーでお師匠様のお仕事を邪魔してしまって……ごめんなさい」

「何のことでしょうか? あの国でリタは私と大切な人を引き合わせてくれたのですよ。あなたがしてくれなければ、私はずっと後悔していたでしょうねぇ」

「でも……私のせいで結びネクトーラの魔法使いを追放されてしまいました……」

「私が結びネクトーラの魔法使いであり続けるのではなくダーシャの伴侶であることを選んだのです。リタは何も悪くありませんよ」


 そう言ってぎゅっと抱きしめてくれた。修行中、辛いことがあるとそうやって抱きしめてはおまじないを唱えてくれたお師匠様。

 こうやってまた目の前にいるのが嬉しくて私もお師匠様を抱きしめた。


「リタ、これで君も名実ともに立派な結びネクトーラの魔法使いだねぇ。立派になった姿を見られて嬉しいですよ」


 銀色の髪を揺らして私を覗き込んでくる表情も懐かしくて、じんわりと涙が浮かびお師匠様の顔が滲んだ。

 その時、視界の端にブラントミュラー卿の姿が映る。彼はいつもの表情で殿下の傍に控えた。


 王太子殿下の護衛筆頭。

 彼は侵入者たちから殿下を守りに来たのだ。


 お師匠様たちは私の知り合いとはいえ、外部からの侵入者だ。不安になって殿下の方を見ると、彼は片手を挙げて制した。ブラントミュラー卿はそれを見て一歩下がる。


「咎めることはありません。私がここに連れてきたリタを迎えに来た者たちなのですから」

「仰せのままに」


 ブラントミュラー卿は私の方を見ると、微かに微笑んだ。

 もしかしたら、彼は私のことを心配してくれていたのかもしれない。オスカーに気をつけるようにと忠告してくれたのも彼だ。


 それにしても、一見すると全く繋がりのない人たちがどうして集まってきたのだろうか?


 ルルノア様はピアスにかけていた魔法が解かれたのを察知したお師匠様がルルノア様に協力を求めて探しに来てくださったのだが、なんとナタリーさんもいる。

 どうして彼女がここに?


「リタ、初仕事お疲れ様! お祝いのパーティーをしなくちゃいけないわね!」


 ナタリーさんが私とお師匠様を抱き寄せる。

 なんだかとても仲が良さそうだ。まるで恋人のようで、ますます混乱してしまう。


「今まで黙っていてごめんなさい。私もランドルフもあなたを見守ることにしていたのよ。ナターリエとエーミールとして」


 彼らが目配せし合うと、ナタリーさんは光に包まれ姿を変えた。赤褐色の髪に緑色の瞳、そして小麦色の肌の女性。

 お師匠様と結ばれた、ラジーファーの乙女ヒロイン候補ダーシャさん。


 お師匠様たちはずっと、私を見守ってくれていたのだ。

 私を置いて遠くに行ってしまったと思っていじけたこともあったのに、こんなにも近くにいてくれていたとは……言葉にできない気持ちで胸がいっぱいだ。


「お師匠様……どうしましょう。私は結びネクトーラの魔法使いなのに私が乙女ヒロイン候補に代わって繁栄の魔法を発動させてしまいました」


 前代未聞の事態に、途方に暮れてしまう。

 

 このまま魔法をかけなおす?

 記憶を消さなければならない?

 私は追放されてしまう?


 堰を切ったように不安が押し寄せてくる。

 するとルルノア様が私の背中を撫でてくださった。


「リタ・ブルーム、結びネクトーラの魔法使いの掟に王子様と結ばれてはいけないと書かれていましたか?」

「書かれてはいませんが……」

「あなたはこの国の繁栄の魔法を発動させられなかったのですか?」

「いいえ……」

「それなら、何も心配はいらないでしょう? 魔法が発動されたのは我らが主が認められたからです。あなたが王子様と結ばれることも、あなたが結びネクトーラの魔法使いであり続けることも、認められたのですよ」


 空を見てください、と言ってルルノア様に連れられて窓辺に行く。


 窓越しに空を見上げると、満月と煌月が並んでいる。

 これが大いなる力のご意向。


「でも……私は大いなる力のお導きがあれば他国にも行く身です。一国の王妃になるとそれも難しいはずです」

「それをどうするのかはリタが決めていくのです。主は結びネクトーラの魔法使いとしての新しい生き方を許してくださったのですから。私も、リタがどんな人生を歩むのか楽しみです」


 王妃になる結びネクトーラの魔法使い。

 前例のない生き方で今以上に柔軟で臨機応変な対応が必要になってくる。

 殿下の傍に居られるのはとても嬉しいけれど、不安もある。


「一人で悩まなくていいのです。私たちも傍に居るのですよ。一緒に手探りして新しい道を歩んでいきましょうね」


 そう言ってお師匠様は私の手を取り、殿下の前に進む。

 殿下はブラントミュラー卿とお話されていた。


「オスカーの姿であのようなことをされましたので、いつぞやにお約束しました不服従を行使してブルーム様を助けようと思っておりましたが、その必要はありませんでしたね。ついに殿下を止めるために我が家門の守護神黒炎獣ニグフレウムスを召喚する時が来たのかと肝を冷やしましたよ。無事にお2人が結ばれて安心いたしました。速やかに国王陛下やアレクシス殿下、それにヴァルター公爵閣下にお伝えせねばなりませんね。きっと皆さまお喜びになるでしょう」

「そんな約束もしていたな……それにしても、今日はよく喋るな」

「佳き日でありますから」


 2人は顔を見合わせて笑った。


 殿下がこちらに気づく。

 お師匠様は咳ばらいをすると殿下に私の手を握らせた。


「私としてはいささか不本意ですが、大いなる力が認められたのであるなら仕方がありませんねぇ。殿下、どうか私たちの可愛い娘をあまりいじめないでやってくださいね」

「心外です。私は彼女を大切にしています」

「侮蔑した顔も素敵だと仰ったようで」

「第二のお義父様、愛の形は人それぞれですよ?」

「またそのようなことを……あなたの策士ぶりには前々から気づいておりましたよ。姿を隠していなければどれほど注意しようと思ったことか」


 お師匠様と殿下、2人とも穏やかな表情なのに後ろではメラメラと燃える炎の幻影が見える。


「ランドルフ、いい加減にしなさい。あまりしつこいとリタに嫌われるわよ?」


 ダーシャさんが呆れて溜息をついている。


「そうですよランドルフ、主がお許しになったので心配はないかと」


 ルルノア様はそう言うや否や、きゅっと口を引き結んで何やら思索を巡らす素振りを見せる。


「……主がお許しになったので心配はないかと」


 ルルノア様、なぜ同じことをもう一度仰ったのです?

 眉尻を下げコテンと頭を傾けてこちらを向くのだが、どう返したらいいのかわからず、つられて私も同じ表情になってしまう。


「なぜだか胸の内に不安が募っていきます。これが父親の感情というものでしょうか……永らく生きてきて初めて抱いた感情です」


 そう言って私の頭をせわしなく撫でてくる。


 いつもは大いなる力のお告げを伝えに来たり御者としてサポートしてくれる彼。

 結びネクトーラの魔法使いが誰かと結ばれた瞬間を見るのは初めてのことなのかもしれない。私たちを自分の子どものように思ってくださっている、大いなる力に次ぐ尊き御方。


 お師匠様の助けを求める声に応じて来てくれたのが嬉しかった。


 名前を呼ばれて振り向く。

 私の手を握っている大切な人。

 ある日いきなりプロポーズしてきた王子様。


 あの日のことは、本当に突然で取り乱してしまった。

 まさか彼が私に想いを寄せているだなんて思ってもみなかったから。


「殿下、……その、いつから私のことを想うようになられたのですか? 正直に申し上げますと、拒絶を感じ取っていた時期もありました」

「侍従に薔薇の茶器を探すように言った時です。薔薇の花が好きなあなたが喜んでくれるのではなかと思ったときに気づきました。あなたが私の中心になっているのだと」


 面談の場所が執務室から応接室に変わった日、案内された部屋で出されたピンクの薔薇があしらわれた可愛らしい茶器。

 王宮の茶器は形もデザインもおとぎ話に出てきそうなほど可愛らしい、と思って感銘を受けていた。

 あの時、その気持ちを口にすると殿下が微笑まれたのは、そういう背景があったからだったのね。


 何度も贈ってくださった薔薇の花。

 色も形も意味も違う無数の愛。


「リタは……どうして私を選んでくれたのですか?」

「きっかけは、執務室でお仕事している殿下の姿でした。殿下がおつくりになる静かな空間が心地よくてもっと傍に居たいと思いました。困っている人をほっとけない殿下も、剣を振るう殿下も、知るたびに惹かれていきました。この御方を笑顔にさせたいと思いました……もちろん、お気楽者の誰かさんだった殿下も」


 殿下は手の甲に口づけを落とす。


「どんな私も愛してくれていると捉えてもいいでしょうか?」

「はい」


 彼は私の手を取ったまま跪いた。


「リタ・ブルーム、私と婚約してください。あなたの夢を支え、喜びも苦しみも分け合える存在でありたいのです。私と一緒に物語を紡いでいただけませんか?」

「喜んで。あなたと一緒に真新しい物語を紡いでいきます」


 手を握り返す。

 どちらからといわず、私たちは唇を重ね合った。


 これからきっといろんなことが待っている。

 予想だにしない困難や試練がたくさん待ってるのもわかってる。

 

 それでも大切な人に何かあった時に一番に寄り添えるよう心が結ばれたこの喜びを忘れないで、ずっと隣で歩んでいきたい。


 私に幾つもの愛をくれるこの人に、あなたはひとりじゃないと、ずっと伝えたいから。

 この人と一緒じゃないと知りえない喜びもまた、たくさん待っていると思うから。


 たとえくじけそうになっても一緒に考えてくれる仲間たちが居る。

 大いなる力が結んでくれた大切な人たち。


 みんなで物語を進めてゆく。


 私を真の結びネクトーラの魔法使いにしてくれた、この人たちと共に。


 どこからともなく淡い空色の光りが現れる。

 ルルノア様が差し出した掌に淡い空色の薔薇の花が現れた。彼がそれを手渡してくれると、私の手の中に消えていった。


「リタ、主からお導きがありました。次はフュッセル王国のユレルミ王太子殿下。式を挙げ終えたら向かってあげてください」

「以前リタにプロポーズしていたあの王子殿下ですね……若くして選ばれるとは何かまた複雑な事情がありそうですねぇ」

「キルシュトルテ王国に居た時に式典でお会いした方ですね! プロフェッショナルとしてユレルミ殿下と乙女ヒロイン候補の心に寄り添い、必ずや繁栄の魔法を発動させます!」


 あの時はお人形さんのように可愛らしく私の後をついて回っていた御方だったけど、今は成長してどのようになられたのか……お会いするのが楽しみだ。


 ぐいと身体を引き寄せられ殿下の頬が頭に当たる。


「リタにプロポーズを……へぇ?」

「で、殿下? 昔のお話ですのよ? それに歳が離れた御方ですし」

「昔のことをまだ引きずっているかもしれません」


 いつもの穏やかな声なのになんだか落ち着かない。

 まさか妬いていらっしゃるのだろうか?


「殿下、ブルーム様のお仕事を邪魔されてはなりませんよ」

「ルートヴィヒ、すっかりリタの味方だな」

「ブルーム様には返しきれない恩がございますので」


 殿下は何も言わずに抱きしめなおしてくる。

 もしかしてティメアウス王国から出さないつもりなんじゃ……この沈黙が妨害の意思を示す答えとなりませんように。



 予測不可能な事態に振り回されつつも素敵な人たちに支えられて終えた初仕事。

 これは、とある魔法使いに課せられた波乱と愛に満ち溢れた受難のお話。



「リタと離れてしまうだなんて心が引き裂かれそうです」

「で、殿下……?」



 ……まだちょっぴり、この受難は続きそうです。

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