英雄の影

 繭香は得心していた。

 今の話を聴けば、父だから仕方がないとしか言いようがない。

 父は自分の私利私欲の為に他人の人生を踏みにじる人間だ。


 その報いを神から下されただけに過ぎない。

 そう、父は自分の富と栄華に溺れ、高慢になり過ぎた。

 自身をまるで神であるかの様に振舞っていた。


 でも、今ならハッキリ言える、父は神ではない。

 欲に溺れた弱い人間に過ぎない。

 本物の神は父の様に理不尽でも高慢でも無関心でもない。

 父とは完全に真逆の存在である事を繭香は知っている……知ってしまった。


 実際、アリシアの神としての力は本物だ。

 間藤家壊滅もそうだが、父は脳に損失を受けた。

 本来なら再生医療で再生可能な筈なのだが、医師の話でも再生が悉く上手く行かずいる様だ。

 このままでは脳に障害を抱えながら生きていき、近い内に繭香の事も忘れるかも知れないと言われた。


 恐らく、契約の箱の呪いを受け父には呪いが施されたのだ。

 永遠の後悔をする様な呪いを……。

 そして、間藤家の財産は全て無くなる。

 賠償金や父の犯した冤罪の被害者への賠償金、株価低下による間藤コンツェルンの負債の返済などで恐らく自分が譲り受ける財産はない。


 そもそも、財産を相続する気も無ければ興味も無いが、そうなると1人で生きていく道を考えねばならない。

 しばらくの家があるがそれもいずれ差し押さえられる。

 そんな繭香の敏感な心を読み取ったアリシアが声をかけた。




「繭香。あなたは間藤の名前を捨てなさい」


「え……」




 思わぬ唐突な一言に言葉が詰まる。




「あなたは間藤の因縁から解かれた。だからこそ、完全に関係ない人になるのです」


「で、でも保護者とか見つけないと直ぐには」


「もう……そんな心配は要りません。わたしは曲がりなりに神ですよ。その辺は権能紛いな力を使ってでもなんとかしますよ。それに出来る事しかやらせないよ。あなたはわたしの紹介する弁護士さんと一緒に戸籍とは苗字を変えるの。間藤とは関係ない新しい繭香となりなさい。大丈夫だよ。あなたはかつて同じ事をして失敗している。あなたの道はわたしが平らにしておく。失敗しそうになった私が全ての力を使ってあなたを助けるから大丈夫。それともわたしじゃ不安かな?」




 否、そんな筈がない。

 繭香は確かに奇跡を見た。

 自分に纏わり付いた死の鎖から解き放つ奇跡を見た。

 誰も救ってくれない真の絶望しかない世界からは半端な輝きの光は届かない。

 少しでもその光に闇が混じっているなら、いつか同化して消えてしまう。

 力が無い光ならまず、絶望の底に届く事はない。

 ただ、繭香は1つだけ絶望の淵に居て良かったと思った。


 絶望の深い闇があったから偽物の光は一切届かない。

 正義の味方を語る親戚の光すら届きはしなかった。

 だが、それでも届く光があるとすれば、それが本物と言う何よりの証拠になる。


 本物の光を見つける為に絶望を味わう必要があったなら繭香が絶望を味わう意味はあった。

 それだけの今までの努力と苦労が報われたと思えた。

 彼女に会えて良かったと心の底から思えるのだ。





「分かりました。わたしに出来る事ならやってみます」




 かつての恐れはない。

 自分の側にアリシアがいれば恐る者は何もないのだから。




「うん。良い顔。闇に落ちていた時よりずっと良い」


「え……わたし、そんな酷い顔でした?」


「それはもう、ゾンビに衣装着せた様な顔だった!」




 繭香は急に頬が赤くなる。




「もう、やめて下さいよ」


「あはは、ごめんね」




 アリシアは繭香を揶揄う。

 だが、そこに悪意はない。

 彼女といると心が温かい。

 こんな風に笑ったのは人生で初めてでとても刺激的だった。

 繭香は家族も親戚も誰にも心を許さず、信じてすらいなかった。

 でも、確かに信じられる者がそこにいた。





(楽しい。心の底からそう思えたのは一体、いつ以来なのだろう?)




「あ、そうだ。話は変わるんだけど」


「何ですか?」


「詳しくはまだなんだけど……わたし、あなたの親戚を名乗る人と示談する事になったんだけど、相手の事をよく知らなくて、だから、教えて欲しいな」


「あなたはそう言う事、すぐにわかるじゃないの?」



 神様は何でも知っていると言うイメージから来る発言だろう。

 300年前はそうだったが今は違う。

 人間以上の情報は持ってはいるが、それでも情報は自分の手で探さないとならない。

 現代の悪魔の妨害と言うのはそれだけ強いのだ。




「まぁ、そうなんだけど、話を聴いた方が情報の精度が上がるみたいな感じかな。だから、教えて欲しいの?良いかな?」


「えぇ、わたしは良いですよ。そうですね。間藤の親戚で示談する金に余裕があるとなるとやっぱり天空寺ですかね」


「あ、そこはわたしの情報と一致する。なら、相手はその天空寺ですね。間藤とはどう言う関係?」


「父の姉が嫁いだ財団一家です。所謂、政略結婚だったと」


「じゃ、示談の相手はその人か旦那さんかな?」


「いえ、お二人とも3年前事故死しています。今は息子の天空寺 真音土マインドが会社を経営しています。あ、彼は万高のパイロット科の2年生ですからわたし達の先輩です」


「ふーん。学生社長か……彼はどんな人なの?人格破綻者とか?」




 これはアリシアの偏見だが、金持ち、権力、性欲、物欲が特に強い=人間のクズと考える節がある。

 実際、あの文献でも金持ちは良い例えられ方はしない。

 金持ちを天の国に入れるにはラクダを針の穴に通す方が簡単だとか金持ちとラザロの例えでも金持ちの召使いであるラザロは天の国に入れるが金持ちは地獄に落ちたと言われるくらいだ。


 だからと言って全ての金持ちと権力者が地獄に落ちた訳では無い。

 ただ落ち易い立ち位置にいると言うだけだ。

 だが、繭香の父や宇喜多 元成、ペイント社ニジェール支部の有様を見れば、あの文献に書かれた事は嘘ではない。


 彼等は間違いなく地獄行きの切符を持っている人間だ。

 そして、天の元で特別な人間はいない。

 彼等の起きた事は全ての人間に多かれ少なかれ、様々な形を成して起きるのだ。


 彼等の行いは目立ち過ぎただけに過ぎない。

 そう言った意味でアリシアは天空寺 真音土を警戒している。

 それに天空寺と言う名前は前にも聞き覚えがある。

 繭香の言う天空寺とは天空寺コンツェルンの事だ。

 そして、その企業はバビに資金援助した流れがあり、かつてミロス率いる第2連隊にセイクリットベルを使って武力行使した組織だ。

 それがバビへの資金援助となり、ルシファー擬きが開発されたのだ。

 アリシアとしてはあまり心証は良くない。




「人格は普通の人間かな……ただ、一面だけ見れば破綻している」


「どう言う事?」


「彼は自称正義の味方を名乗っているの。絶対勝利の旋風!ザ・テンペスト!ここに参上とかキザな事をよく言うの」


「正義の……味方……」




 繭香は気づいていないが、アリシアにとってのNGワードが飛んだ。

 そのワードを聴いただけで不吉な予感しかしない。




「どうしたの?」


「あ、ううん。何でもない」




 アリシアは自分の心の不快感を悟られぬ様に誤魔化す。

 やはり、人格破綻者なのでは?と一抹の不安が過った。




「続けて」


「うん。性格はそうだね。熱血漢。それでいて頭脳明晰、名のあるテロリストと渡り合える程の身体能力にオンラインゲームの超弩級レアドロップを3回連続で引き当てて、宝くじの1等を10回当てる程の豪運持ち。彼が社長になってから四半期の天空寺コンツェルンの決算は250%になったとかですかね」




(うわぁ……もう会わなくても分かるわ。その人絶対”英雄因子”持ちだ)




 天の元特別な人間はいない。

 神は誰かを特別視する様には人を創造しない。

 神は個々に能力を与えるが、著しく有能過ぎたり劣等感を与える物は与えない。

 人間で言う天才は全体スペックのバランスが悪く特出している様に見えるだけで常人と基本変わらない。


 個人の努力で能力が伸びる事もあるが、弊害を生むほど伸びる事は無い。

 そんな事をすれば人間同士が妬んで争い合うからだ。

 つまり、これらの特出した能力の多くは悪魔が争いを生む為に付与した場合が多い。

 一部の例外を除いて殆どがこれに当たる。

 世間から評価される才能とそうでない者との間に軋轢を生み人類の統合や協調、和合、連合を損なう様に出来ている。


 本来、人間とは団体行動がし難く、国家や軍隊を運営する事に向いていない。

 そう言った統合体を様々な悪癖を除かず、無理に作れば、更なる軋轢を生むだけなのだ。

 国家が必要無いとは言わない。

 ただ、問題を改善しない限り国が滅びる事が前提であり、遅かれ早かれ、必定なのだ。

 ”英雄因子”とは軋轢を生む代表的な力の1つと言える。


 差し詰めスキル”豪運”とか、スキル”英雄因子”とかが付いているかも……いや、ロアみたいなネオスタイプとしてスキル”肉体向上”とかスキル”読心”とかスキル”送念”とか心を読んだり、イメージを見せる系の新人類系のスキル持ちかもしれない。

 要するに新人類と言うのは悪魔が人類に与えた偶像崇拝ととも言えるかも知れない。


 これはあくまで憶測の域が出ない話だ。

 それは天空寺を”戦神眼”で見れば分かる話だ。

 まずは集められる情報を集めないとならない。




「もしかしてだけど、オレは人類の未来と平和を守るんだ的な事言っている?」


「言っていますね。それはもうたくさん」


「馬鹿みたいに自分の正義を信じている?」


「信じていますね。それはもう固執とも取れるほどに」


「正義は必ず勝つ!それを最後まで信じられなかったお前が無力なんだ的な事は?」


「あぁ……言っていましたね。なんか一度真音土の事が気に入らないとか言った人が決闘を挑んだ時にそんな事を……」


「で、その人は負けたと」


「負けましたね。惜しかったけど」


「でもって、これが正義の力だ!とか言いながら毎回武力行使で正義を示すとかは?」


「ありますね。それはもう毎回の様に。特にサレムの騎士討伐作戦に参加した時なんかそんな事をオープンチャンネル越しに叫びながら無双して撃墜してたて……」




 アリシア深く溜息をついてから一言呟いた。




「はぁ……これはまた、厄介な……」


「ん?わたし何か悪い事言いました?」




 心配に成った繭香が尋ねた。

 気分を害したのではないかと不安そうな顔をしている。

 アリシアは「しまった!」と思いすぐに微笑みを作る。




「いや、あなたは悪くないよ。ただ、その人とわたしは相性が悪そうだて分かったから会うのが気だるいだけ……」


「その気持ち分かる気がします。確かに真音土は変です。変に盲信的過ぎる。まるでアニメの中の正義の味方をそのまま取り出したみたい。でも、まぁ……それは無いでしょうね。そんな事現実でされたらハタ迷惑を良いところですからね」




 繭香は軽い冗談のつもりでそんな事を言った。

 そうただの冗談のつもりだったのだ。

 実はかなり本質を得た答えであるのを知るのはもう少し先の事になる。




「まぁ、とにかく、明日、学校に来るらしい……てっそうか。そもそも、パイロット科の先輩なんだから会えて当然か……ところでもう1つ気になったんですけど良いですか?」


「何?」




 パイロット科の先輩なら明日学校で会えると分かるはずなのにそこまで頭が回らないほど疲労が溜まっていると自覚しながら、繭香には疲れを悟らせないように笑みを崩さないように意識する。

 先頭に立つアリシアが暗い顔をしたら全体が暗くなる。

 況して、繭香は新しい魂だ。

 余計な不安を与えないように引き締めないとならないとアリシアは気持ちを引き締める。




「なんで示談に応じたんですか?あなたなら別にお金とか権力なんて要らない筈なのに?」


「あーそのことね。わたしは単純に繭香に手を出さないでと頼みたいだけだよ。万が一にも邪魔されたくないから」


「えぇ?」




 繭香は驚いた。

 とても意外そうな顔をしている。




「なんでそこで驚くの?」


「だって、そんなに怪我負わされたのに要求するのが自分の為でもなくわたしの為なんて……」


「ううん。違うよ。これはわたしの為だよ。私にとって繭香は大切な家族だから。その辺の金属の塊きんかいとかただの紙の束ふくざわゆきちよりは私にとってはあなたの方が大切なの。勿論、世界平和よりもあなたが大事だよ」




 彼女は顔が傷だらけになっても損害を慰謝料で埋める訳でも相手に怒りをぶつける為でも況して、自分の為でも無く。

 その全てを繭香に注ごうとしている。

 自分の利己心を一切出さず、繭香の為に尽くしている。

 己の関心の全てはまるで救い、導く事であるかの様にその瞳は澄んでいた。

 その目は人間らしくはない。


 まるで機械の様でもある。

 だが、機械の様に無機質では無い。

 機械の様に何も感じない訳でも無い。

 機械の様に温もりが無い訳でも無い。

 寧ろ、邪な物が無いが、故に人間が機械に思える程暖かい。


 彼女を機械や機構と捉える者は決して彼女とは相容れない、受け入れる事もない。

 何故なら相手が機械だから、人間では無いから受け入れない。

 人間らしい方法という古い生き方に固執する者には永遠にその様に映るのだ。

 その心は邪な心を持つ人間を照らす。

 だが、邪な者は己の悪が露見する事を恐れ、彼女を避けて虐げる。

 まるで彼女が悪い様に……。

 繭香は父の事を思うと彼女に申し訳なく胸が痛かった。

 それがきっかけだったのかも知れない。


 繭香は思ってしまった。

 何故、彼女はここまでしてくれて、ここまでの事が出来るのだろうか?と思ってしまい知りたいと欲してしまった。

 それの意志が繭香をアリシアの深層心理に誘う。

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