死にたいなあ

哲学徒

第1話 生まれ~小学校

死にたいなあ、という声は、物心つく前から耳の奥で響いている。


自然しか誉めどころのない田舎で育った。人間よりはトンボや猫や草と慣れ親しんだ子どもだった。


一応人間の仲間だと思われていたそうだが、私はどうも他の人間とは馴染めなかった。最初は仲間だと思って迎え入れられても、すぐに「お前は仲間じゃない」と追い出される。私の人生はこれの繰り返しでしかない。


飯に対する欲求だけは人一倍あるが、人間と寄り添いたい気持ちなどどこにも無かった。一人だと寂しくて堪らないという人間がいるが、とても信じられない。


車に乗れなければ生きられない田舎で育った。母親は人の心が分からず、父親は然るべき人に然るべきことを言えない弱い人だった。


学校に上がる前、母親に「あんたは堕ろすつもりだった」と笑いながら言われたことがある。その言葉は今も私の身体を巡り、私を不能ならしめている。


小学生になったあとは、卒業までを指折り数えていた。そして、小学校を卒業したあとも、中学高校大学があることに気づき、目の前が暗くなった。早く自由になりたかった。大人は自由だと聞いていた。「労働は人間を自由にする」という詩があるが、そんなのは噴飯ものの大嘘だ。


学校は私にとって刑務所と同じものだった。大人しくしていれば、内面がどうであれ出所できる。大人相手はその対応でいいが、子どもは本当に下らない馬鹿げた理由で絡んでくる。仕方ないので、殴ってやった。二度と仕返ししたくないと思うまで、しつこく殴る。それで万事解決だ。仲良くなりたいから殴る、なんてことはなく、ただ舐めてるだけなのだ。こうして私は暴力の力を覚えた。


周りが大人になってからは、殴らなくていいので随分楽だった。だが、逆に「殴る以外の威嚇方法」を知らなかったために苦労は増えた。目を合わせて笑顔になることは、動物の世界では威嚇と解釈される。「大きい声で笑顔で挨拶しましょう」とは、まさに「文明的に許された威嚇方法を覚えろ」という意味である。私は下らない威嚇合戦に負けた悲しいサルだった。










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死にたいなあ 哲学徒 @tetsugakuto

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