喜劇のサーカス

ネモ🍣

金剛石の章_Ⅰ


_第1章【ルノ編】


「おはようございます、ルノ様」


「ああ、おはようシルヴィ」


執事のシルヴィに起こされ、

真っ白なシーツに7色の虹彩を放ちつつ

むくりと身体を起こす。

シルヴィはここの執事であり、

僕とは幼い頃からの付き合いでもある。


シルヴィが陽の光に輝く真っ白なカーテンを

勢いよく開くと、

暖かい太陽の光が差し込み、

宝石で出来た僕の髪、目の輝きを一層激しくさせる、

朝にしか見れないなんとも美しい光景だと

いつか誰かに言われた事がある。


確かそれもまだ、

当主になりたてだった頃のような気がする。


そんなことを考えている内に

執事は流れる流水のように滑らかな手つきで

紅茶をアンティーク調のシンプルなデザインをしているティーカップに注ぐ。


ティーカップは僕のお気に入りであり、

特に縁にある黒いラインはデザインを強調させており美しい。

我が屋敷に

代々受け継がれている由緒あるものだ。


「……どうぞ。本日はアールグレイの茶葉でございます。」


注がれたアールグレイは、

琥珀よりも少し濃い、秋の落ち葉が舞い降りたような色に輝いている。

カップを近づけると、アールグレイ独特の爽やかで落ち着くハーブ園にいるような香りが顔全体に広がる。


「ありがとう。…さっぱりとしていて美味しいな。」


「お褒めに預かり光栄にございます。」


執事はそう言うと

手際良く紅茶の器具を片付け

すぐ近くにある黒を基調とした

ロココ調のクローゼットやタンスを静かに開き、僕の本日着る衣服を用意し始める。


「む、今日の服は…」


「はい。本日は様々なお客様が来られるとの事でしたので、

少し硬めの生地で出来ておりまして、フォーマルな雰囲気にまとめさせて頂きました。」


「そうか、……動きにくいが仕方がない」


今日の服はまさに礼服……と言うような服だった。


黒色の中でも深みのある黒を使っている

上等なウール生地で出来たアビ(コート)。

内に着るシワひとつ無くパリパリになるまで丁寧にアイロンをかけられた真っ白なシャツ。

シンプルに何かの植物であろう模様のみが

左右対称に刺繍されている藍鼠色に漆黒のラインが縁どられたジレ(ベスト)。


装飾は、いつも付けている僕と同じダイヤモンドで出来たブローチで

シルクが煌めいている漆黒のリボンを留める。

そのブローチは特に輝かしい模様や細工が施されている訳では無いが、

宝石の貴族達は皆これをするのが暗黙の了解のようになっている。


この服とこの服が組み合わさる事が決まっていたかのようにしっくりくる組合せだ。

身体のパーツも、全て正しい位置へ直されるようなそんな気がする。


しかし、僕は動きにくい服が苦手だ。

動きやすくなくては、様々な場面で問題が生じる事もある。

足をつまづいた際には、すぐそこに支えを置かなければ恐らく頭が割れるだろう。

物をこぼしてしまった場合も、すぐに拭き取らなければその服は生涯その香りを纏い続ける。

それに、

元々お堅い服が好きではない、と言うのも理由だ。

畏まられすぎるのも、かしこまり過ぎるのも僕には苦痛になる。

故についお堅い服は避けてしまっていたのだ。


だが僕の執事は昔から毎日、

今日という日に最善の服を用意してくれる。

僕に口を出す権利は、執事に選ぶ事を任せたその時に潰えたのだから

着るしかないのだ。


「……燕尾服よりはマシか……。

着替えが終わったら、食堂へ行く。

お前はそれまでにモーニングを用意していてくれ」


「かしこまりました。

それでは、失礼致します」


パタンと静かに音を立てて執事は出ていった。

硬めの生地は肌に馴染むまで時間がかかる、さっさと着替えなくてはと思いながら

のそのそと服を着る。


アビのボタンを全て閉めてしまうので、

下半身はシンプルな白のキュロットに懐中時計を装飾兼時計として装備するのみだった。

これ程簡単で良かったと思う事はないだろう。


着替える際布と布が擦れる音に混ざって

ダイヤで出来た髪がピアスと交ざり、

しゃらりと水琴窟のような音を立てる。


ふとその音で着替えを止め、

僕は自分の長く7色に輝く髪を見ていた。


「……この髪も、随分と長い付き合いになってしまったな。」


僕の目から見ても、恐らく僕の髪は美しい。

人間が昔、こぞって手を挙げ欲しがった高価な宝石、ダイヤモンド。

それが僕であるのだと、再認識する。


今の時代僕らのように、宝石で出来た貴族は少なくない。

しかしその起源は

人が突然変異した訳でもないし、

遺伝子組み換えで誕生したような秘話もない。


言えば「魔法」や「奇跡」に近い存在だ。

話せば長くなるので言えないが。


「……さて、こんなものか。」


着替え終わって一息つく。

お堅い生地も、装飾を付けている間に多少は馴染んできたようで

可動域が次第に拡がってきた。


少しゆっくりしてから行こうと、

ティーカップへ手を伸ばす。

残っていた紅茶は冷めていたが、

紅茶を飲みつつ丁寧に広げ置かれていた新聞を手に取り、目を通す。


紅茶も飲み終わり、

新聞の内容を一通り見終え、

ふぅ、と一つ溜息を付く。

幸せが逃げると言うが、ため息をつかなければやっていられない世だ。

ため息を付かぬほうが幸せが逃げるだろう。


「…そろそろ行くか。

予定も沢山詰まっているし……」


そう言って部屋を出て、

大広間へと行く。

大広間はよくパーティーに使ったり

お客を待たせる場でもあるため、

お客を飽きさせないように様々な絵画や装飾品、像が飾られており、

天井には、陽の光だけでは少し暗がりな広々とした屋敷の光を補うために設置された

鈴蘭型のランプが均一に暖かな光を発している。


しかしその大広間の中央には装飾品は何も無く、

なんの柄も入っていないまっさらな壁が寂しげに佇んでいる。

少しばかり傷や跡は見えるが、それがより

寂しさを引き立たせてしまう。


「……ここ、寂しいな。

早くいい物を見つけなければな…」


ここにだけは、今は

何も飾られていない。


代々受け継いでいた物はあったが

何時だったか

盗まれ、消えてしまったのだ。


「気に入ってはいたんだがな…」


サーカスの風景を描いた絵で、

団員の顔も

観客の顔も全てが個性で満ちていた。

ある人物は大笑いし、

ある人物は恐ろしさにおののいており、

ある人物は勇敢な表情をしてサーカスの動物へ立ち向かっている。


そしてそれを、観客が皆

目を爛々と光らせ説教を受ける狐のように真剣な眼差しで見つめている。


しかし彼らの目の先には、勇敢な表情のものしか写っていないだろう。

誰一人としておののいている者へ目線を配る観客は居ない。


そんな、

【人間】というのがとてもよく分かる絵だった。


「題名はなんだったか………どうにか思い出したいな……同じ物が見つかればいいのだが……」


あのような深い大作の絵、

きっと僕らと同じ程の確率でしかないだろう。

が、そう思うくらいには気に入っていたので

非常に残念だった。


そうして数々の装飾品を眺めつつ、

大広間の階段を降りる。


降りてすぐ横にはさらに廊下が続いており、

次は百合を象ったランプが暖色の光を

煌々と放つ。


そのランプの煌びやかな光の雨を受けながら

廊下の真ん中まで辿り着く。


両側には爽やかでありつつ豪華な白バラを

壁掛け花瓶に飾った物があり、

木にロココ調の彫りを入れ金や銀で装飾が施された重々しい見た目のドア。

ここの扉の先が食堂だ。


「やはり長いな…昔はよかったが今は堪える…」


ふと不満をもらしつつ、

ようやく食事だと息を整え扉を開けた。


そこには、シルヴィを筆頭に執事とメイド達が本日も揃っている。


だけだったはずだ。


「ミルド様、お座り下さい。

はしたないですよ」


赤くハイビスカスのように熱烈な色を

キラキラと空間に散りばめながらはしゃぐ

ミルドと呼ばれた男。


「いいのいいの!この間言った土地ではこのくらい礼儀の内だったよー?

……あ!ルノ!やぁーっと来たー!

遅かったねぇ!」


何故だ。


「なんで、もうお前がここにいる!」


屋敷に響き渡る僕の声は、

今日一番の声だった。


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